11:わたくしの斧は血に飢えておりますの
「んもう、嫌ですわー! やめてくださいませっ!」
重苦しい沈黙を破ったのは、ベアトリスの大声だった。しかし怒り狂っているというより、頬を右手で押さえて盛大に照れ照れしている。
「この日は……お肌のノリが今一つでしたもの! せめて一週間前の、殿下が放置されくさっていた稟議書の尻拭いをした日を選んでくださいませ!」
彼女は頬に右手を添えつつ、もじもじと上半身を捻る。左手に握りしめたままの斧が、それに合わせてぶおんと空を切った。
「ぎゃあっ、来ないで!」
何もない空間と思ったところから、悲鳴が上がった。同時にぬるりと、ヤギに似た二足歩行の生き物が姿を現す。今まで姿を消していた悪魔だろう。
実体のない悪魔と言えども、あの斧さばきを見た直後に目の前でぶんぶん振り回されたら、さすがに怖いらしい。悪魔は跳ねるような勢いでベアトリスから距離を取り、震える蹄を突き出して彼女を責めた。
「あっ、あなたは婚約者に、どれだけの恨みを抱いているのだね!? 昨日まで指輪をはめて、それはもう、未練たらたらだったはずではないか!」
「あら、そちらもご覧になっておりましたのね」
ベアトリスは斧を右手に持ち直しながら、自分の手元を一度見た。より正確には、昨日まで指輪がはまっていた薬指を。
「あの指輪は、王妃殿下がデザインしてくださいましたの。王族としてだけではなく、一人の女性としても本当に素晴らしいお方ですので、捨てるにはしのびなくて……」
彼女は憂い顔で呟いたが、すぐに舌打ちをこぼす。
「けれどあの指輪を見ていると、贈呈者のバカ面もついつい思い出してしまいまして……腹立たしいので、投げ捨ててやりましたの」
「紛らわしいこと、するんじゃあない! 絶対に負け犬女の未練ムーヴだと思うではないか!」
「まあ、そうでしたの。ごめんあそばせ?」
ベアトリスは悪びれもせず楚々と微笑んだ。なんだったらちょっと小馬鹿にしていそうである。悪魔も小馬鹿にされたと思ったのか、キーキーと地団駄を踏んでいた。小物っぷりがすさまじい。
キーツは二人のやり取りを遠巻きに観察していたが、途中であ、と呟く。そしてベアトリスへ声をかけた。
「あのさ、お嬢ちゃん。昨日みたいに、神聖力使ってくれねぇか?」
この奇妙な呼びかけに、ベアトリスは赤い唇を尖らせる。
「構いませんが、わたくしの力では何の役にも――」
「大丈夫だって。斧持ってる手だけでいいから」
もにょりと抵抗するベアトリスを、キーツは胡散臭い笑顔で押し切った。
ベアトリスも一つ息を吐いて、まあいいかと右手に集中する。
すると、たちまち右手ではなく手斧の刃先が白い光に包まれた。
「まあっ、綺麗ですわね」
「ヒイィィィッ!」
ベアトリスは驚き見開いた目を輝かせ、一方の悪魔は身をすくめて震えた。
「やっぱり予想通りだな」
キーツだけがニヤリと笑って、ベアトリスへ視線を投げる。同時に人差し指と中指で、自分の首をかっ切るような動作をして見せた。
ベアトリスもこのジェスチャーの意味を、すかさず察した。艶やかに微笑み、ちぢこまっている悪魔へゆらりと歩み寄る。光る刃をちらつかせながら。
「なぜ公爵令嬢が、あの女と同じ力を持って――ああもうっ、くそがっ!」
悪魔は小声で何かをうめきながら、どこかへ逃げようと身をひるがえす。だが中途半端に体をひねったところで、白く光る鎖が悪魔を捕まえた。キーツの神聖力が生み出した鎖だ。
悪辣笑顔なキーツによる拘束と、じわじわ肉薄する猟奇殺人鬼もとい公爵令嬢の圧の二重奏に、とうとう悪魔は泣いた。
「わっ、私がっ、私が……何したって言うんですかぁぁぁー!」
「とっかえひっかえ、女の魂食っただろ」
キーツの軽口が悪魔の耳に届いたかどうかは、分からない。だってほぼ同時に、ベアトリスによって一刀両断にされたのだから。
***
左右で綺麗に二等分された悪魔だったが、しぶとくもまだ息があった。よってキーツが再び神聖力を使い、左右に分けたまま拘束している。
ベアトリスは地面に転がる半身どもを眺めながら
(もしも悪魔の死体を処分する場合、ゴミの分類はどうなるのかしら? 一般廃棄物? それとも産業廃棄物? 右半身は燃えるゴミ、左半身は燃えないゴミだったりしたら――ちょっと面白いわね)
などと、薄ら笑いで考えていた。
キーツは長い脚で悪魔の左半身を転がし、拘束具合を確かめている。しかし途中で、ニヤニヤ笑いのベアトリスを見た。
「教会にもたまにいるんだよな。あんたみたいに、武器に神聖力を宿せる逸材が」
「あら。普通は出来ませんの?」
「普通は生き物にしか宿せねぇんだわ。ベテランの修道騎士とかだと、時々武器に宿せるヤツもいるんだけどな」
武器という無機物にも宿せる理由は、実のところよく分かっていない。ただ一般的には、武器を自分の手足のように扱えるほどの熟練度が必要なのでは、と言われている――らしい。
彼の説明に、ベアトリスは愛用の手斧を眺めて一つうなずいた。
「なるほどです。たしかにこちらの斧は、十歳の誕生日にお兄様からいただいたお気に入りですもの」
「お兄様も怖っ」
なおベアトリスのお兄様こと次期公爵は、山にもたとえられる筋骨隆々な人型兵器としても有名だ。
キーツはのけぞりながらも、彼女がなでなでする手斧を指さす。
「でも手慣れてんのは、斧だけじゃねぇだろ? ナイフも相当扱い慣れてねぇか?」
「ええ。よくお分かりになりましたわね」
「昨日の夜な、あんたが触った肉用ナイフにも神聖力が移ってたんだよ。まあ、薄っすらだったけどな」
「あらまあ……――あ、だからあの時」
ベアトリスは感嘆の途中で、目を見開いた。昨夜のキーツの行動に、思い当たる節があったのだ。
夕食時にテーブルから落ちた彼のナイフを、ベアトリスが受け止めた。キーツにナイフを返却した時に、そういえば不思議そうな顔をしていたのだ。
ベアトリスが思い当たったことに、キーツもにんまり笑う。
「ああ。ナイフから神聖力が漂ってたからな、妙に思ってたわけ」
「本当に悪霊を目撃したわけではなかったのですね……残念ですわ」
「あんたはまだ、心霊現象を信じてたのかよ。割としつけーな」
「いいえ、一途なだけですわ」
ベアトリスは両手で斧を握り、ウィンクをした。凪いだ表情のキーツは「ふうん」と、今年一番の気のない声だけを返す。
彼は次いで、悪魔の左半身の背中を軽く蹴る。
「それでお前、真名は何なんだ?」
『はぁっ?』
右半身と左半身が同時に素っ頓狂な声を上げたため、束の間立体音響になる。うるせぇな、と顔をしかめるキーツに構わず、悪魔はギャンギャンと文句を続けた。
『秘めたる真の名は、私を封印したあの女にも告げなかったのだぞ! お前のような二流エクソシストになど、誰が言う――アバババァッ!』
キーツはしかめっ面のまま神の炎を生み出すと、それで悪魔の切断面をこんがり炙った。
炙られ、ちょっといい匂いを漂わせている悪魔は、絶叫しながら察した。
あっちの猟奇女だけでなく、こっちのダウナー男も割とヤバい、と。
一人ひとりの総合力はあの聖女(恥ずかしげもなく、本人がそう名乗ったのだ)に劣るだろうが、こいつらは武力と神聖力を見事に分業している。
おまけにこちらは油断した挙句、綺麗に二等分されているのだ。このままこいつらに責められたら――消滅の危機かもしれない。
数百年ぶりに感じる命の危機に、粘ついた汗がにじみ出る。幻の肉体なのに。
悪魔は本能に突き動かされるまま、ステレオで叫んだ。
『言う! 我が真名を言おう! いいえッ、言わせてくださいィッ!』
「うわっ、無茶苦茶うるさ」
『すみません! 私はイルフレイムと申します! 何卒お見知りおきをォォッ!』
「いや、仲良くする気はねぇんだけど……まあいいか」
キーツは耳を押さえて顔をしかめながら、再度神聖力を使った。右手に、水晶で作ったような透明の石板を生み出す。
「それじゃあイルフレイム、誓約だ。お前は以後、人間界に悪さは出来ねぇし、他の悪魔を介してちょっかい出すことも出来ない。いいな?」
「ああ、構わない……だから」
「誓約するなら、このまま地獄には返してやるよ。俺は二流だけど、優しいからな」
にっこり当てこすっての言葉に、イルフレイムの右半身がビクリと跳ねた。しかしキーツの胡散臭い笑顔を恐々と見上げながら、小さく頷く。
「……ありがとうございます」
イルフレイムのはかない声と共に、誓約が成立した。石板の表面に金色の文字が浮かび上がる。
するとたちまち、二分割されたイルフレイムの体が灰になった。だがそれも、瞬きする間に消えた。
ベアトリスは手斧を抱きしめたまま、ほうと息を吐く。
「あら、消えてしまいましたわ。どうやってゴミ処理されるのかと、実は気を揉んでおりましたのに」
「連中は、実体があるように見せてるだけだからな。人間界と縁が切れれば、さっさと消えちまうんだよ」
キーツは呟き、透明な石板に刻まれた文字――神話時代に使われていた、古代文字のようだ――へ目を走らせる。よし、と小さく頷いてからベアトリスへ石板を差し出した。
「これ、あんたにやる。お嬢ちゃんはこれ持って、王都に戻りな」
「えっ? あの、こちらの石板は……?」
ベアトリスの金の目が、キョトキョトと石板とキーツの顔を往復する。キーツは軽く肩をすくめた。
「こいつは悪魔との誓約板だ。あいつを追い返した証明書になるし、これがある限りイルフレイムは人間界にちょっかいも出せねぇ。凱旋するのに、ちょうどいい手土産だろ?」
「ですが、こちらはあなたの手柄ではないのですか?」
ベアトリスはたしかにイルフレイムを二分割したが、それも悪魔を拘束したキーツの神聖力とアドバイスあってのものだ。
それに悪魔との交渉をまとめたのだって、キーツである。ベアトリスは誓約板をやんわり押し返そうとするが、その前に左手に載せられてしまう。
手のひらより少し大きいそれは、意外にも羽根のように軽かった。
「ちなみに。割れたら誓約も破棄されちまうから、気を付けろよ」
「うっ、卑怯ですわ……わたくしは、他人様の手柄を奪ってまで、殿下を泣かせたいわけではありませんのに」
ベアトリスの恨めし気な視線に、キーツは笑った。ちょっと疲れた笑い声だ。
「俺はここでのんびり暮らせりゃあ、それでいいんだよ。もう上のご機嫌次第で、あちこち行かされるのも疲れたしな」
「キーツ様……」
「これがありゃ、あんたは聖女の称号が貰えるかもしれねぇ。元婚約者の浮気相手をぶん殴っただなんて噂を洗い流すのにも、ちょうどいいだろ?」
驚きのあまり、ベアトリスは誓約板を落とすところだった。胸元でしっかり抱きしめてから、改めてキーツを見上げる。
「その噂も……ご存知でしたの?」
「言ったろ? 王都の教会にも出入りしてたって」
「それなのにキーツ様は何故、わたくしに親切にしてくださったの……?」
つい声が震えた。初対面での彼女の態度は、まあ酷かった、噂通りだ、と締め出されても仕方がないほどだったのに。
「ん? いやだってあんた、俺に殴りかかった後、すぐに謝ってくれたじゃん」
キーツはこともなげに言った。軽い口調やゆるい笑みからも、言葉通りに真実なんとも思っていなさそうだ。
あっけらかんとした回答に、ベアトリスはつい噴き出した。
「キーツ様ったら……もう、人が好すぎますわ! もっと疑り深くなってくださいませ!」
一方のキーツは、初めてベアトリスが声を上げて笑う様子を見て、面食らっている様子だったが。
年相応のあどけない笑顔でたしなめてくる彼女に、ニヤリと肩をすくめる。
「そう言うお嬢ちゃんは、もうちょっと男運がよくなるといいな」
「ふふっ、そうですわね。たまには神様にも、お祈りしてみようかしら」
「……それは毎日しろよ」




