第八十二話 変化を恐れる者
東海道で始まった新しい荷札制度。
その効果は、すぐに現れた。
荷の確認時間は短くなり、宿場での混乱も減った。
商人たちの間でも、少しずつ評判が広がっていく。
「確かに便利だ。」
「今まで、何度も同じ説明をしていたからな。」
「これなら荷の行き先も分かりやすい。」
しかし――。
全員が歓迎しているわけではなかった。
---
ある宿場町。
大きな屋敷の一室。
数人の商人が集まっていた。
中央に座るのは、東海道でも有名な問屋頭・**藤堂屋の源七**。
五十代。
長年、この街道で商売を続けてきた男だった。
「山本屋の弥助。」
源七は苦々しい顔で名前を口にする。
「聞けば聞くほど、厄介な男だ。」
---
若い商人が尋ねる。
「ですが。」
「荷札のおかげで、我らの仕事も楽になるのでは?」
源七は首を振った。
「お前は分かっていない。」
「何がですか。」
「情報だ。」
「情報?」
「そうだ。」
源七は机の上に置かれた荷札を指で叩く。
「今までは。」
「どの商人が。」
「どれだけの荷を。」
「どこへ運ぶのか。」
「我ら問屋が握っていた。」
---
「しかし。」
「この荷札が広まれば。」
源七の表情が険しくなる。
「誰でも荷の流れを見ることができる。」
「つまり。」
「我らの力が弱くなる。」
部屋が静まり返った。
---
弥助の改革は、ただ便利にするだけではない。
情報を一部の者から開放すること。
それは、今まで利益を得ていた者にとって脅威だった。
---
その頃。
弥助は宿場で商人たちの話を聞いていた。
「新しい荷札は便利だ。」
「でも……。」
一人の商人が言葉を濁す。
「何か問題がありますか?」
「昔からの問屋が。」
「使うなと言っているんです。」
庄吉が眉をひそめる。
「なぜです?」
商人は小声で答える。
「自分たちの仕事が減るからでしょう。」
---
弥助は黙って考えた。
改革が正しいからといって、相手が悪いとは限らない。
源七たちにも、守るべき生活がある。
問題は。
変化する時に、誰を置いていくかだ。
---
その日の夜。
弥助は一人、帳面を開いていた。
庄吉が心配そうに声をかける。
「若旦那。」
「悩んでいますか?」
「ああ。」
「珍しいですね。」
弥助は苦笑する。
「博多では。」
「皆で良くする方法を見つけられた。」
「でも東海道は広い。」
「関わる人も多い。」
---
庄吉は少し考えてから言った。
「なら。」
「その人たちにも聞いてみたらどうですか。」
「え?」
「若旦那はいつも言っています。」
「現場を見るって。」
「なら、問屋の人たちも現場の人ですよね。」
弥助は目を見開いた。
「……そうだな。」
また庄吉に教えられた。
敵と決めつければ、見えるものも見えなくなる。
---
翌日。
弥助は源七へ面会を申し込んだ。
「山本屋の弥助です。」
「ようこそ。」
源七は笑顔で迎える。
しかし、その目は警戒していた。
「今日は。」
「私を説得しに来たのですかな。」
「違います。」
弥助は首を振る。
「話を聞きに来ました。」
源七は少し驚いた。
---
「聞く?」
「はい。」
「私が何を困らせているのか。」
「知りたいのです。」
源七はしばらく黙っていた。
やがて。
「……変わるのが怖いのですよ。」
ぽつりと呟いた。
---
「私は三十年。」
「この街道で商売をしてきました。」
「荷の癖。」
「商人の性格。」
「どの道が早いか。」
「全部、経験で覚えてきた。」
「それが。」
「紙一枚で誰でも分かるようになる。」
源七は拳を握る。
「自分の価値が消えるように感じるのです。」
---
弥助は静かに答えた。
「源七さん。」
「あなたの価値は。」
「荷の場所を知っていることだけではありません。」
「人との信頼。」
「長年積み重ねた経験。」
「それは紙には書けません。」
源七は顔を上げる。
---
「ですが。」
弥助は続けた。
「その経験を。」
「次の世代へ渡す時が来たのではありませんか。」
「……。」
「変化とは。」
「今までのものを捨てることではありません。」
「良いものを残して。」
「もっと良くすることです。」
---
その夜。
源七は一人、古い帳面を開いていた。
三十年分の記録。
誰にも見せなかった知識。
「渡す……か。」
小さく呟く。
---
一方。
黒潮屋。
源兵衛は報告を聞いていた。
「源七と話した?」
「はい。」
玄蔵が答える。
「争うのではなく。」
「説得しました。」
源兵衛は静かに笑う。
「やはり。」
「弥助は敵を増やす男ではない。」
「敵すら変えようとする。」
---
しかし。
源兵衛の表情が少し曇る。
「だからこそ。」
「次の手が必要だ。」
玄蔵が尋ねる。
「次は何を?」
源兵衛は東海道の地図を見る。
「人ではなく。」
「道そのものを止める。」




