第七十三話 途絶えた街道
黒潮屋の首領と思われる老人――源兵衛が姿を消してから三日。
博多の町は、表向きには平穏を取り戻していた。
山本屋への噂も収まり、荷の流れも元へ戻っている。
しかし弥助は、かえって警戒を強めていた。
「あの人は、何もせずに帰る人じゃない。」
庄吉も真剣な表情でうなずく。
「次は、もっと大きな仕掛けをしてきますね。」
---
その予感は的中した。
昼過ぎ、一頭の早馬が島井家へ駆け込んできた。
「大変です!」
「豊前へ向かう街道が通れません!」
「何があった。」
宗清が立ち上がる。
「橋が落ちました!」
「橋?」
「昨夜の雨で川が増水し、木橋が流されたそうです!」
部屋がざわつく。
博多から東へ向かう荷の多くは、その橋を渡る。
「復旧は?」
「早くても十日はかかると……。」
---
「十日……。」
庄吉が青ざめる。
「米も塩も止まりますよ。」
弥助は地図を広げた。
橋が落ちた場所は、博多と豊前を結ぶ主要街道。
まさに物流の大動脈だった。
「迂回路は?」
「山道があります。」
役人が答える。
「ですが荷車は通れません。」
確かに細い山道では、大量の荷を運ぶことはできない。
---
その日の夕方。
博多の商人たちが集まった。
「復旧を待つしかない。」
「十日間、商売は休みだ。」
「仕方あるまい。」
誰もが諦めかけていた。
その時だった。
「船は使えませんか。」
弥助が静かに口を開く。
「船?」
「橋の代わりに?」
宗清が驚く。
---
弥助は地図の海岸線を指差した。
「街道は止まりました。」
「でも。」
「海は止まっていません。」
部屋が静まる。
「橋を渡れないなら。」
「船で川を越えればいい。」
---
「しかし。」
「荷車はどうする。」
「荷車ごと渡します。」
「できるのか?」
「大型船では無理です。」
「ですが。」
「小舟を何隻も並べれば。」
弥助は紙へ絵を描いた。
小舟を横一列につなぎ、その上へ板を渡す。
「浮き橋です。」
---
「なるほど……。」
宗清が思わず声を漏らした。
「船を橋にするのか。」
「はい。」
「常設ではありません。」
「橋が直るまでの仮設です。」
商人たちが顔を見合わせる。
「面白い。」
「できるかもしれん。」
---
翌朝。
船頭たちが集められた。
二十隻の小舟。
縄でつなぎ、厚い板を敷いていく。
毛利水軍からも数人の船大工が応援に来た。
昼過ぎには、川の上へ一本の浮き橋が完成する。
「若旦那!」
庄吉が嬉しそうに叫ぶ。
「本当に橋になりました!」
---
最初に渡るのは米俵を積んだ荷車。
皆が息をのむ。
ゆっくり。
ゆっくりと荷車が進む。
橋はわずかに揺れるが、崩れない。
「渡った!」
歓声が上がる。
続いて二台目。
三台目。
荷車は次々と川を越えていく。
止まっていた物流が、再び動き始めた。
---
その知らせは、すぐに源兵衛の耳へ届いた。
玄蔵が申し訳なさそうに頭を下げる。
「橋が落ちれば止まると思いましたが……。」
源兵衛は静かに笑った。
「いや。」
「よくやった。」
「敵の力を知るには、試すのが一番早い。」
玄蔵は顔を上げる。
「では。」
「橋を落としたのは……。」
源兵衛は答えない。
ただ、茶を一口飲んだ。
---
夕暮れ。
弥助は完成した浮き橋を見つめていた。
そこへ一人の老人が近づいてくる。
見覚えのある後ろ姿。
源兵衛だった。
老人は橋を眺め、小さく笑う。
「壊れた橋を嘆くのではなく。」
「新しい橋を作るか。」
弥助は静かに答えた。
「道がなくなれば。」
「新しい道を作るだけです。」
源兵衛は満足そうにうなずく。
「ますます面白い。」
そう言い残し、人混みの中へ消えていった。
弥助は追わなかった。
今は分かっている。
この男との勝負は、一度捕まえれば終わるものではない。
物流への考え方。
商いへの信念。
そのすべてを懸けた、長い戦いなのだから。




