第七十一話 見えない荷
山本屋への悪い噂は、数日で勢いを失った。
島井家。
近江屋。
毛利家。
各地の有力商人や大名家がこれまでどおり山本屋と取引を続けたことで、「山本屋は信用できる」という事実が、噂よりも強い力を持ったのである。
しかし、弥助は安心していなかった。
「若旦那。」
庄吉が帳面を持って駆け寄る。
「注文は元に戻りました!」
「それは良かった。」
「でも……。」
弥助は帳面を見つめた。
「黒潮屋が、この程度で終わるとは思えない。」
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その日の午後。
島井宗清が慌ただしく山本屋を訪れた。
「弥助殿。」
「また妙なことが起きました。」
「何です?」
「荷が……消えます。」
「消える?」
「正確には。」
「届くはずの荷が届かない。」
宗清は帳面を広げた。
米。
塩。
干し魚。
どれも発送記録はある。
だが荷受け側には届いていない。
「盗まれた?」
「それも違います。」
「途中の港にも記録がないのです。」
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弥助は帳面を一枚ずつ見比べる。
荷を積んだ記録。
船へ渡した記録。
その先だけが消えている。
「庄吉。」
「はい。」
「この荷。」
「全部、どこを通る?」
庄吉は地図を広げる。
「博多から豊後へ。」
「それから瀬戸内です。」
「……なるほど。」
弥助は小さくうなずいた。
全部、同じ海路だった。
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翌朝。
弥助は港で荷積みを眺めていた。
船頭。
人足。
荷役。
どれも問題はない。
その時だった。
「若旦那。」
庄吉が声を潜める。
「同じ印です。」
見ると、別々の商人の荷に、よく似た荷印が付いていた。
「本当だ。」
よく見れば微妙に違う。
しかし夜や雨の日なら見間違える。
「これか。」
弥助はようやく気付いた。
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黒潮屋は荷を盗んでいたのではない。
荷印を偽装し、**別の荷として運ばせていた**のである。
「見えない盗み……。」
前世でも聞いたことがある。
伝票をすり替え、合法に見せかけて荷を抜く手口。
戦国にも、同じ発想をする者がいた。
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「すぐ港役人を呼んでください。」
弥助は宗清へ頼んだ。
「荷印だけでは駄目です。」
「帳面にも。」
「荷印を書き写しましょう。」
「帳面へ?」
「はい。」
「荷印と帳面。」
「二つが一致しなければ荷を渡さない。」
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港役人は少し困った顔をした。
「仕事が増えます。」
「増えます。」
弥助は素直に答えた。
「ですが。」
「荷を失うよりはずっといい。」
役人は苦笑しながらうなずいた。
「確かに。」
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その日の夕方。
さっそく試験的に始まった。
荷印を確認。
帳面を確認。
送り主を確認。
三つが一致して初めて船へ積む。
すると――。
「待ってください!」
若い人足が叫んだ。
「印は山本屋ですが。」
「帳面は違います!」
荷を調べると、印だけが貼り替えられていた。
あと一歩で、また荷が消えるところだった。
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知らせはすぐ玄蔵の耳にも届いた。
部下が頭を下げる。
「申し訳ありません。」
「新しい確認方法を始めたようです。」
玄蔵は静かに茶を飲む。
「早いな。」
「やはり。」
「弥助は荷の流れを見ている。」
怒る様子はない。
むしろ楽しそうだった。
「では。」
「こちらも流れを変えよう。」
「次の手ですか。」
「いや。」
玄蔵は不敵に笑う。
「そろそろ、本当の勝負人に出てもらう。」
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その夜。
博多の町外れ。
一軒の古びた屋敷へ、一人の男が入っていく。
玄蔵である。
座敷には、最初から一人の老人が座っていた。
白髪。
細い体。
商人とも武士ともつかない身なり。
だが、その目だけは鋭く光っている。
玄蔵は深く頭を下げた。
「お待たせいたしました。」
老人は静かに口を開く。
「山本屋の弥助。」
「どんな男だ。」
「思っていた以上です。」
「物流だけではありません。」
「人も動かします。」
老人はゆっくり笑った。
「ならば。」
「私が相手をしよう。」
その一言で、部屋の空気が変わる。
玄蔵でさえ頭を下げる相手。
黒潮屋を陰で率いる、本当の首領がついに動き始めた。




