第七話 米を運ぶ者
「河合屋が米を買い始めました!」
代官所へ駆け込んできた武士の報告に、広間がざわつく。
清左衛門が眉をひそめた。
「河合屋か」
「はい。今朝から大量に買い付けております」
俺は思わず笑った。
やはり動いた。
あれだけ市場で馬鹿にしていたのに。
凶作が事実だと分かった途端にこれだ。
商人らしいと言えば商人らしい。
「弥助」
代官がこちらを見る。
「どう思う」
「当然です」
俺は答えた。
「米の値段はまだ上がります」
「ほう」
「だから今からでも買いたい」
商人なら当たり前の判断だ。
問題は。
その先だった。
「だが、河合屋は負けます」
広間が静まり返った。
源兵衛がぎょっとする。
「お、おい弥助」
「なんだ」
「聞こえたらどうする」
「事実だ」
俺は肩をすくめた。
河合屋が負ける理由は簡単だった。
奴らは米しか見ていない。
俺は別のものを見ている。
――――
代官所を出た帰り道。
源兵衛が聞いてきた。
「どういう意味だ」
「何が」
「河合屋が負けるって話だ」
俺は道を歩きながら答える。
「親父」
「なんだ」
「米を買ったら終わりか?」
「は?」
「違うだろ」
俺は指を一本立てた。
「運ばなきゃ意味がない」
源兵衛が黙る。
ようやく理解したらしい。
そう。
商売は仕入れで終わらない。
輸送がある。
保管がある。
販売がある。
その全てが繋がって初めて利益になる。
前世で嫌というほど学んだことだ。
「河合屋は今、市場で米を集めてる」
「ああ」
「じゃあ荷車は?」
「……」
「人足は?」
「……」
「倉庫は?」
源兵衛の顔色が変わった。
ようやく見えてきたらしい。
「足りねえ」
「そうだ」
俺は頷く。
今、市場は混乱し始めている。
米を買う商人は増える。
だが。
荷車の数は増えない。
人足の数も増えない。
つまり。
次に不足するのは輸送力だ。
――――
翌日。
予想は的中した。
「若旦那!」
庄吉が走ってくる。
「河合屋が揉めています!」
「やっぱりか」
「やっぱりって……」
俺は苦笑する。
市場へ向かう。
案の定だった。
河合屋の店先で怒鳴り声が響いている。
「約束が違う!」
「うちだって困ってるんだ!」
荷車屋の主人と河合屋の番頭が言い争っていた。
周囲には積み上がった米俵。
だが運べない。
荷車が足りないのだ。
「宗兵衛殿!」
「だから待てと言っているだろう!」
河合屋の主人・宗兵衛は真っ赤な顔で叫んでいた。
額には汗。
市場で見せていた余裕はどこにもない。
俺は遠巻きに眺める。
「若旦那」
庄吉が小声で言った。
「どうします?」
「どうもしない」
「え?」
「見てるだけだ」
慌てて米を集めた結果。
輸送が詰まった。
当然の結果だ。
そして。
ここで初めて、俺の準備が生きる。
「庄吉」
「はい」
「例の件は?」
庄吉が笑った。
「終わっています」
俺も笑う。
河合屋が米を買い始めた翌日。
俺は市場の主要な荷車屋を回っていた。
そして契約した。
山本屋が優先的に使うと。
もちろん銭も払った。
だが高い買い物ではない。
物流を押さえる価値に比べれば。
「商売はな」
俺は小さく呟く。
「米を持ってる奴が勝つんじゃない」
庄吉が首を傾げる。
「じゃあ誰が勝つんです?」
俺は市場を見渡した。
米俵。
荷車。
人足。
行き交う商人。
全てが繋がっている。
だから答えは決まっていた。
「流れを握った奴が勝つ」
その時だった。
市場の入り口が騒がしくなる。
武士たちだ。
十騎ほどの馬が土煙を上げながら駆け込んでくる。
ただならぬ様子だった。
そして先頭の武士が叫んだ。
「代官様から触れだ!」
市場が静まり返る。
武士は大声で告げた。
「隣領にて一揆発生!」
その瞬間。
市場から音が消えた。
凶作。
米不足。
そして一揆。
最悪の連鎖が始まろうとしていた。




