第六十九話 商人の勝負
「待っていたぞ。山本屋の弥助。」
男の低い声が、夜の倉庫街に響いた。
庄吉が思わず一歩前へ出る。
「若旦那!」
弥助は静かに手を上げ、制した。
「大丈夫だ。」
逃げる様子もない。
襲いかかる気配もない。
男はまるで、最初から会うつもりだったかのように落ち着いていた。
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「お前が黒潮屋か。」
弥助が問いかける。
男は小さく笑う。
「違う。」
「私は黒潮屋の番頭に過ぎん。」
「名は玄蔵。」
四十代半ばほどだろうか。
質素な着物をまとっているが、立ち居振る舞いには隙がない。
長年商売の世界で生きてきた者特有の落ち着きがあった。
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「何が目的だ。」
弥助はまっすぐ玄蔵を見つめる。
「港を混乱させ。」
「船へ細工をし。」
「武器を運ぶ。」
「何のためだ。」
玄蔵は少しだけ空を見上げた。
「商売だ。」
「それだけか。」
「そうだ。」
「戦が続けば武器は売れる。」
「物流が乱れれば、急ぎの荷は高く売れる。」
「困る者が増えるほど、儲かる。」
庄吉が拳を握り締める。
「そんな……。」
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弥助は静かに首を振った。
「それは商売じゃない。」
玄蔵の眉がわずかに動く。
「ほう。」
「商売とは。」
「人が安心して暮らせるようにするものだ。」
「困っている人を利用して金を稼ぐことじゃない。」
玄蔵は鼻で笑った。
「甘いな。」
「戦国だぞ。」
「甘い者から死んでいく。」
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しばらく沈黙が流れた。
やがて玄蔵が一歩近づく。
「弥助。」
「お前の噂は聞いている。」
「物流を変え。」
「港を変え。」
「商人を変えた男。」
「だから誘ってやる。」
庄吉が息をのむ。
「誘う?」
「黒潮屋へ来い。」
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「……何?」
「お前なら、もっと稼げる。」
玄蔵は静かに言った。
「毛利も。」
「堺も。」
「近江屋も。」
「全部まとめて相手にできる。」
「物流を支配すれば。」
「天下は金で動く。」
その言葉には、不思議な説得力があった。
物流が力であることは、弥助自身が誰よりも知っている。
だからこそ、その力を悪用すればどれほど恐ろしいかも分かる。
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弥助はゆっくりと首を横に振った。
「断る。」
玄蔵は少しだけ笑う。
「理由は。」
「物流は支配するものじゃない。」
「皆で使うものだ。」
「人を豊かにするための道だ。」
「道を独り占めする者は。」
「いずれ誰にも信用されなくなる。」
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玄蔵はしばらく黙っていた。
やがて、小さく拍手をする。
「なるほど。」
「だから皆がお前を信用するのか。」
「だが。」
その目が鋭く光る。
「信用だけでは守れないものもある。」
その瞬間だった。
倉庫の奥から十数人の男たちが姿を現した。
全員が黒装束。
庄吉が身構える。
「若旦那!」
「落ち着け。」
弥助は周囲を見回した。
逃げ道は一つ。
港へ続く細い路地だけ。
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しかし、次の瞬間。
「動くな!」
鋭い声が夜空を裂いた。
倉庫の屋根の上。
左右の路地。
そして港の入口。
一斉に毛利の兵たちが姿を現す。
「囲まれているのは、お前たちだ。」
小早川隆景がゆっくりと歩み出た。
その姿を見て、玄蔵は初めて表情を変えた。
「……読まれていたか。」
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「弥助殿から話は聞いていた。」
隆景は静かに言う。
「敵が堂々と名乗るなら。」
「罠である可能性も考える。」
「ならば。」
「こちらも備えるだけだ。」
兵たちが黒装束を取り囲む。
しかし玄蔵は慌てなかった。
懐から小さな竹筒を取り出す。
「まずい!」
弥助が叫ぶ。
竹筒が地面へ投げられる。
**ボンッ!**
白い煙が一気に広がった。
「煙幕だ!」
兵たちが咳き込む。
視界は真っ白になった。
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煙が晴れた時。
そこには誰もいなかった。
黒装束の男たちは、一人残らず姿を消していた。
ただ一つ。
地面には小さな木箱だけが置かれている。
慎重に開けると、中には金貨がぎっしり詰まっていた。
その上に、一枚の紙。
> **『これは宣戦布告ではない。商人同士の勝負状だ。』**
弥助は静かに紙を折りたたむ。
戦ではない。
商人としての戦い。
物流で人を支える山本屋と、物流を利用して利益を得る黒潮屋。
二つの商いは、もう同じ道を歩くことはない。
その夜、博多の港に新たな火種が生まれた。




