第六十七話 黒潮屋の影
翌朝。
弥助は昨夜拾った木札を机の上へ置いた。
黒く煤けた木肌。
刻まれた文字は、短く力強い。
**『黒潮屋』**
「庄吉。」
「聞いたことはあるか。」
庄吉は何度も首を横に振った。
「堺でも、近江でも聞きませんでした。」
「商人なら屋号くらい誰かが知っているはずなんですが……。」
そこへ小早川隆景も姿を見せる。
木札を見るなり、表情がわずかに曇った。
「私も初めて見る。」
「ですが。」
「名を隠す商人に、ろくな者はおりません。」
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その日から、弥助たちは港の聞き込みを始めた。
船頭。
人足。
船大工。
茶屋の主人。
誰に尋ねても、黒潮屋を知る者はいない。
「変ですね。」
庄吉が首をかしげる。
「木札はあるのに。」
「誰も知らない。」
「だからこそ気になる。」
弥助は港を歩きながら考えた。
本当に商人なら、必ず荷を動かす。
荷を動かせば、誰かの記憶に残る。
それがまったくない。
つまり――。
「商売をしているように見せているだけか。」
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昼過ぎ。
一人の老船大工が声をかけてきた。
「弥助様。」
「少し気になる話があります。」
「聞かせてください。」
老人は辺りを見回し、声を潜めた。
「夜中に。」
「誰も使っていない古い桟橋へ船が着くことがあります。」
「昼間は?」
「誰もいません。」
「荷も積みません。」
「ですが。」
「夜だけです。」
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弥助と隆景は顔を見合わせた。
「行ってみましょう。」
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その夜。
月は雲に隠れ、港は静まり返っていた。
弥助。
庄吉。
そして毛利家の兵が数名。
物音を立てないよう古い桟橋へ近づく。
すると――。
「船だ。」
小さな荷船が一隻。
灯りもほとんど付けず、静かに岸へ寄ってきた。
「人が降りる。」
黒い着物の男たちが、木箱を次々と運び出している。
「米じゃない。」
庄吉が小声で言う。
「あの大きさ……。」
木箱は細長い。
軽そうだ。
塩でも米でもない。
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「もう少し近づこう。」
弥助たちは倉庫の陰へ身を寄せる。
その時だった。
男の一人が木箱を落とした。
蓋が外れ、中身が転がる。
「……鉄?」
いや。
よく見ると違う。
火縄銃だった。
しかも十丁以上。
弥助は息をのむ。
「武器の密売……。」
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戦国の世。
武器そのものは珍しくない。
だが問題は、密かに運んでいることだった。
正規の荷なら堂々と港を使う。
夜中に隠れて運ぶ必要はない。
「若旦那。」
庄吉が震えた声で言う。
「これって……。」
「ああ。」
「物流を乱していた理由が見えてきた。」
武器を秘密裏に運ぶには、正規の物流は邪魔になる。
だから港を混乱させ、監視を緩めようとしていたのかもしれない。
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その時。
「誰だ!」
見張りの男がこちらへ振り向いた。
しまった。
気付かれた。
「逃げろ!」
黒装束たちは木箱を捨て、小舟へ飛び乗る。
「追え!」
毛利の兵たちが駆け出す。
夜の港に怒号が響いた。
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小舟は沖へ逃げる。
しかし毛利水軍も速かった。
二隻の早船が左右から回り込み、逃げ道を塞ぐ。
「観念しろ!」
兵が叫ぶ。
男たちは抵抗したが、ほどなく取り押さえられた。
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翌朝。
捕らえた男たちは厳しく取り調べられた。
しかし。
「何も知りません。」
「運べと言われただけです。」
口を割らない。
あるいは、本当に知らないのか。
黒潮屋の名も出てこなかった。
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隆景は静かにため息をつく。
「末端だけか。」
弥助もうなずいた。
「本当の相手は別にいます。」
「港を混乱させ。」
「武器を流す者。」
「そいつが黒潮屋。」
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その日の夕方。
押収した木箱を調べていた庄吉が、また一つ奇妙なものを見つけた。
「若旦那。」
「これを。」
木箱の底板を外すと、小さく折り畳まれた紙が現れた。
そこには一行だけ書かれていた。
**『次は博多』**
弥助は静かに紙を握り締めた。
敵は瀬戸内だけではない。
その手は、西国最大の港・博多へも伸びていたのである。




