第六十六話 見えない敵
「……切られている。」
弥助の言葉に、その場にいた全員が舵へ視線を向けた。
一見すると、ただ折れただけのように見える。
だが、よく見ると木目に沿って細く削られた跡が残っていた。
そこへ強い力が加われば、簡単に折れる。
「自然には見えません。」
弥助は静かに言った。
小早川隆景は舵を手に取り、ゆっくりとうなずく。
「人の手だな。」
部屋の空気が重くなった。
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翌朝。
遭難した船を詳しく調べるため、一行は岩場へ向かった。
船体は岩礁に乗り上げたままだったが、思っていたより損傷は少ない。
「荷も残っています。」
庄吉が船倉をのぞき込む。
米俵も塩も、ほとんど手つかずだった。
「海賊なら荷を奪うはずだ。」
隆景が腕を組む。
「目的は荷ではない。」
「船を止めること。」
弥助も同意した。
物流そのものを混乱させることが狙いなら、荷を盗む必要はない。
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船大工が船を調べ始める。
しばらくして、一人が声を上げた。
「隆景様!」
「こちらをご覧ください!」
船尾の金具が外されていた。
しかも、錆びたわけではない。
留め具を抜き、再び差し込んだような跡がある。
「やはり細工か。」
隆景の表情が険しくなる。
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「船を出す前に触れた者は?」
弥助が船頭へ尋ねる。
船頭は記憶をたどる。
「荷積みの前日は港へつないでいました。」
「見張りは?」
「二人いました。」
「途中で交代しましたが……。」
「交代した時刻は?」
「夜半です。」
弥助は地図へ目を落とした。
犯人は夜の港へ入り、船へ細工をした。
そして翌日、何事もなかったように船は出航した。
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「若旦那。」
庄吉が声を潜める。
「港の者が怪しいんでしょうか。」
「まだ分からない。」
「決めつけるのは早い。」
だが、港の仕組みを知る者でなければ、舵だけを狙うことは難しい。
内部事情に詳しい人間。
その可能性は高かった。
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夕方。
港へ戻ると、隆景は港役人や船頭たちを集めた。
「これより船の点検を義務とする。」
「出航前。」
「舵。」
「帆。」
「留め具。」
「すべて確認せよ。」
港中がざわつく。
今まで誰も、そこまで調べたことはなかった。
「面倒だ。」
そうつぶやく者もいた。
だが弥助は首を振る。
「面倒だからこそ、事故は起きます。」
「一刻の点検で、一船を失わずに済むなら安いものです。」
その言葉に、多くの船頭が黙ってうなずいた。
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数日後。
新しい点検が始まって三日目。
一人の若い船大工が血相を変えて駆け込んできた。
「大変です!」
「またです!」
「何だ。」
「別の商船でも、舵へ傷が付けられていました!」
しかし今回は違った。
出航前の点検で見つかった。
船は無事だった。
「未然に防げたか。」
隆景は深く息を吐く。
弥助の提案が、早くも命を救ったのである。
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その夜。
弥助は港を歩いていた。
昼間の賑わいとは違い、波の音だけが聞こえる。
ふと足を止める。
「……誰だ。」
物陰に、人影が動いた。
庄吉もすぐに駆け寄る。
「若旦那!」
二人が追いかけると、黒装束の男は狭い路地を駆け抜け、港の外へ逃げていく。
「待て!」
弥助も懸命に走る。
だが男は身軽だった。
最後に振り返り、小さく笑う。
そして闇の中へ消えた。
その場に残されていたのは、一枚の木札。
拾い上げると、そこには見覚えのない屋号が刻まれていた。
**『黒潮屋』**
庄吉が首をかしげる。
「こんな商人、聞いたことありません。」
弥助は木札を見つめたまま、小さくつぶやいた。
「商人なのか……。」
それとも――。
物流を裏から操る、別の組織なのか。
瀬戸内の海には、まだ見えない敵が潜んでいた。




