第五十二話 近江商人の教え
翌朝。
俺は庄吉を連れ、京でも指折りの豪商・近江屋を訪れた。
門をくぐった瞬間、思わず足が止まる。
「……広い。」
山本屋の店が、そのまま何軒も入りそうな屋敷だった。
広い土間には荷車が何台も並び、人足たちが慌ただしく荷を運んでいる。
それなのに、不思議と混乱はない。
「若旦那。」
庄吉が小声で囁く。
「みんな、無駄な動きをしてません。」
俺も同じことを感じていた。
荷を運ぶ者。
帳場で記録する者。
荷を確認する者。
役割がきれいに分かれている。
「さすがだ……。」
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奥の座敷へ通されると、近江屋当主・藤兵衛が穏やかな笑顔で迎えてくれた。
「遠いところ、ご苦労でした。」
「お招きいただき、ありがとうございます。」
挨拶を交わすと、藤兵衛は早速本題へ入った。
「弥助殿。」
「そなたは、なぜ儲かっていると思いますか?」
いきなりの問いだった。
俺は少し考える。
「情報です。」
「それもある。」
「物流です。」
「それも正しい。」
藤兵衛は静かに笑う。
「では、一番大切なものは?」
俺は答えに詰まった。
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藤兵衛は茶を一口飲み、ゆっくり口を開く。
「信用です。」
「信用……。」
「商人は金で商売をしているように見える。」
「だが違う。」
「信用を金へ換えているだけです。」
その言葉は胸に響いた。
確かに。
五百俵を集められたのも。
将軍家が声を掛けたのも。
鍛冶屋が協力したのも。
すべて信用があったからだ。
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「弥助殿。」
藤兵衛が帳面を取り出した。
「この帳簿をご覧なさい。」
そこには、何十年も前の日付が並んでいた。
「これは?」
「祖父の代の帳簿です。」
「まだ残しているんですか?」
「もちろん。」
藤兵衛は頷く。
「二十年前に助けた商人。」
「十五年前に貸した金。」
「十年前の飢饉。」
「全部ここへ書いてあります。」
俺は思わずページをめくった。
そこには、取引だけではない。
「○○村へ米を二十俵貸す。」
「返済は豊作の年でよい。」
そんな記録まで残されていた。
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「商売は。」
藤兵衛が静かに続ける。
「今年だけではない。」
「十年後。」
「二十年後。」
「その時に返ってくる信用を育てる仕事です。」
俺は思わず息をのんだ。
前世では四半期決算。
年度目標。
短い期間ばかり追いかけていた。
だが、この時代の商人は違う。
子へ。
孫へ。
何十年も先を見ている。
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「だから。」
藤兵衛は笑った。
「弥助殿。」
「儲けを急いではいけません。」
「信用は積み上げるものです。」
その言葉を、俺は心の中へ深く刻んだ。
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昼食をご馳走になった後。
近江屋の蔵を見学させてもらう。
米蔵。
味噌蔵。
反物蔵。
薬種蔵。
それぞれが独立して建てられている。
「すごい数ですね。」
庄吉が驚く。
「全部必要なのですか?」
藤兵衛は頷く。
「火事になれば、一つ失っても他は残ります。」
その一言で、俺ははっとした。
山本屋は一つの蔵へ何でも保管している。
もし火が出れば。
すべて失う。
「危機管理……。」
思わず前世の言葉が漏れる。
「きき……?」
「あ、いえ。」
俺は慌てて誤魔化した。
「備えですね。」
藤兵衛は満足そうに笑う。
「その通りです。」
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夕方。
近江屋を後にする。
庄吉が何度も振り返っていた。
「若旦那。」
「今日は勉強になりました。」
「ああ。」
「商売って。」
「物を売るだけじゃないんですね。」
俺は静かに頷いた。
信用。
仕組み。
備え。
どれも目には見えない。
だが、それこそが商人の財産なのだ。
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その日の夜。
宿へ戻ると、一人の飛脚が待っていた。
「山本屋様!」
「どうした?」
「急ぎです!」
文には、伊三郎の筆跡で短く記されていた。
**『東国で大地震。街道寸断。各地で物資不足が始まる』**
俺はゆっくり文を閉じた。
戦。
凶作。
そして今度は天災。
物流は、またしても大きな試練を迎えようとしていた。




