第五十一話 都という市場
「京へ行くぞ。」
俺の一言に、庄吉は目を丸くした。
「本当に都まで?」
「ああ。」
「塩の値上がりが一時的なものか、それとも本格的なものか、自分の目で確かめたい。」
飛脚の情報は貴重だ。
だが、最後に信じるべきは自分の目で見た事実だった。
---
三日後。
山本屋の荷車二台は京へ向けて街道を進んでいた。
荷台に積まれているのは米ではない。
塩が三十俵。
味噌が二十樽。
そして酒が十樽。
「若旦那。」
庄吉が荷を見ながら言う。
「本当に売れるんでしょうか。」
「分からない。」
俺は正直に答えた。
「だから見に行くんだ。」
商売は勘ではない。
確認の積み重ねだ。
---
京へ近づくにつれ、人の数が増えていく。
旅人。
僧侶。
武士。
牛車。
荷車。
街道は今まで見たことがないほどの賑わいだった。
「すごい……。」
庄吉が思わず息をのむ。
「町じゃない。」
「まるで国そのものですね。」
俺も同じことを思っていた。
一つの城下町とは規模が違う。
これほど多くの人が集まれば、物も、金も、情報も集まる。
---
昼過ぎ。
ようやく京へ着いた。
町へ足を踏み入れた瞬間、俺は立ち止まった。
店。
店。
また店。
通りの両側に、商家が途切れることなく並んでいる。
反物屋。
薬屋。
魚屋。
炭屋。
紙屋。
そして米問屋。
「これは……。」
思わず笑ってしまう。
「市場の宝庫だ。」
---
まず向かったのは米市場だった。
米俵が山のように積まれている。
商人たちが大声で値を叫び、次々と取引が成立していく。
俺は黙って値段を書き留める。
「庄吉。」
「はい。」
「うちの町より一割高い。」
「本当ですね。」
輸送費を考えても利益は出る。
だが。
それだけでは終わらなかった。
---
続いて塩問屋へ向かう。
店先には人だかりができていた。
「塩はまだか!」
「いつ入る!」
客たちが口々に叫んでいる。
店主は困り果てた顔で首を振る。
「入らねえんだ。」
「瀬戸内からの荷が遅れてる。」
その言葉を聞いた瞬間、すべてがつながった。
「なるほど……。」
「若旦那?」
「値上がりの理由が分かった。」
---
宿へ戻り、地図を広げる。
瀬戸内。
街道。
港。
頭の中で物流網を組み立てる。
「戦か。」
庄吉が息をのむ。
「たぶん。」
「どこかで街道か海路が止まっている。」
だから塩が届かない。
塩が届かなければ値段は上がる。
物が足りないのではない。
運べないだけなのだ。
---
翌朝。
山本屋の塩を市場へ持ち込んだ。
「塩だ!」
誰かが叫ぶ。
その瞬間、人が押し寄せた。
「十俵くれ!」
「いや、うちへ!」
「全部買う!」
庄吉は慌てて帳面を開く。
「順番です!」
「順番にお願いします!」
昼前には三十俵すべてが売り切れた。
しかも、予想を大きく上回る値段で。
「若旦那……。」
庄吉の手が震えている。
「こんな利益……。」
「塩って、こんなに儲かるんですか。」
俺は首を横に振った。
「違う。」
「儲かったのは塩じゃない。」
「情報だ。」
どこで不足しているか。
それを誰よりも早く知った。
だから間に合った。
---
夕方。
宿へ戻ると、一人の老人が待っていた。
質素な着物。
しかし、その立ち居振る舞いには気品がある。
「山本屋の弥助殿ですな。」
「はい。」
老人は静かに名乗った。
「私は近江屋の当主、藤兵衛。」
その名を聞いた庄吉が小さく息をのむ。
「近江屋……。」
京でも指折りの大店だった。
藤兵衛は穏やかに微笑む。
「少し、商売のお話をしませんかな。」
そう言って差し出されたのは、一通の招待状。
そこには『明日、近江屋本店にてお待ちしております』と記されていた。
地方の米問屋だった山本屋は、ついに都を動かす大商人たちの世界へ足を踏み入れようとしていた。




