第四十六話 五百俵の壁
「五百俵……。」
思わず、その数字を口にした。
ディエゴは真剣な表情で頷く。
通詞が静かに説明を続けた。
「予定より船員が増えました。」
「さらに、次の港でも補給できる保証がありません。」
「ですので、日本でできる限り積んでおきたいとのことです。」
なるほど。
商品ではない。
命をつなぐための食料だ。
だからこそ、妥協はできない。
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「返事はすぐでなくても構いません。」
通詞がそう言うと、ディエゴも「ハイ」と頷いた。
「三日後。」
「その時までに、お返事をいただければ。」
俺は頭を下げた。
「分かりました。」
商談はそこで終わった。
だが、俺の頭の中では、すでに計算が始まっていた。
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宿へ戻ると、庄吉が勢いよく口を開く。
「若旦那!」
「五百俵ですよ!」
「うちの蔵だけじゃ足りません!」
「分かってる。」
「じゃあ断りますか?」
「いや。」
俺は即座に首を振った。
「受ける方向で考える。」
庄吉は驚いたように目を見開いた。
「本気ですか?」
「本気だ。」
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その夜。
宿の一室で帳面を広げる。
山本屋の在庫。
契約済みの兵糧。
各村の余剰米。
すべてを書き出す。
「現在、動かせるのは……。」
二百八十俵。
思ったより少ない。
黒川家への契約分は動かせない。
浅井家との約束もある。
無理をすれば信用を失う。
それだけは絶対に避けなければならない。
「あと二百二十俵か。」
小さく呟いた。
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翌朝。
宿へ一人の客が訪ねてきた。
「弥助殿。」
宗兵衛だった。
「おはようございます。」
「顔色が悪いな。」
宗兵衛は笑いながら座る。
「港へ来れば、おぬしに会えると思っておった。」
「実は……。」
俺は五百俵の話を隠さず打ち明けた。
宗兵衛は最後まで黙って聞いていた。
そして、静かに笑った。
「面白い。」
「面白いですか?」
「商人なら。」
「誰でも逃げ出す話だ。」
「だが。」
「おぬしは逃げようとはしておらん。」
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宗兵衛はお茶を一口飲み、続けた。
「弥助殿。」
「一人で抱えるな。」
「え?」
「山本屋だけで無理なら。」
「他の商家から買えばいい。」
俺は一瞬、言葉を失った。
「商家から?」
「そうだ。」
「敵でも何でもない。」
「利益になるなら売る。」
確かに、その通りだった。
俺は「自分で集める」ことばかり考えていた。
だが、商人同士で売買するという発想が抜け落ちていた。
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「ただし。」
宗兵衛が人差し指を立てる。
「条件がある。」
「何でしょう。」
「正直に話すことだ。」
「?」
「五百俵必要だから売ってくれ。」
「そう頼め。」
「隠すな。」
「駆け引きをするな。」
「商人同士は。」
「最後は信用だ。」
その言葉は重かった。
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その日の午後。
俺は町の商人たちを訪ね歩いた。
米問屋。
穀物商。
酒屋。
味噌屋。
「五十俵、お譲り願えませんか。」
「三十俵ならある。」
「うちは二十俵だ。」
予想外だった。
断られると思っていた。
だが、多くの商人が協力してくれた。
「山本屋なら。」
「ちゃんと払ってくれる。」
「信用してる。」
その一言が、何より嬉しかった。
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夕方。
庄吉が息を切らして走ってくる。
「若旦那!」
「集まりました!」
「全部で……。」
「五百十二俵!」
思わず息を吐いた。
「間に合った。」
庄吉も満面の笑みだ。
「山本屋だけじゃありません。」
「町中の商人が協力してくれました。」
俺は積み上げられた米俵を見つめる。
これは山本屋の力ではない。
この町の商人たち全員で集めた五百俵だった。
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翌朝。
港の倉庫へ米俵が次々と運び込まれる。
それを見たディエゴは、目を大きく見開いた。
「オオ……。」
通詞も驚きを隠せない。
「本当に……。」
「三日で集めたのですか。」
俺は静かに頷く。
「約束でしたから。」
ディエゴは何度も頷きながら、右手を差し出した。
「ヤマモトヤ。」
「イイ、ショウニン。」
固く握り返す。
その時だった。
通詞が、ふと思い出したように口を開く。
「ディエゴ殿から、もう一つお話があります。」
「まだ何か?」
「はい。」
「次は米ではありません。」
「鉄を探しているそうです。」
鉄。
兵糧の次は、鉄。
戦国の物流は、再び新たな商機を弥助の前へ運んできた。




