第四十五話 先物買い
「南蛮船が十日早く来る……。」
帳場に集まった面々の表情が引き締まる。
源兵衛が腕を組んだ。
「急いで米を集めるか?」
「いや。」
俺は首を横に振る。
「今回は米じゃない。」
「え?」
庄吉が目を丸くする。
「港へ持っていく品を集める。」
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俺は帳面を広げた。
「前回、港で一番売れた物は?」
「味噌です。」
「次は?」
「塩。」
「その次が酒でした。」
庄吉は迷わず答えた。
ちゃんと帳簿を付けるようになった成果だ。
「よし。」
「じゃあ、その三つを優先して仕入れる。」
「和紙は?」
「今回は控えめ。」
「干物も?」
「少なめでいい。」
前回の売れ行きを基準に、仕入れを変える。
感覚ではない。
数字で判断する。
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「でも若旦那。」
源兵衛が首をかしげる。
「本当にまた売れるのか?」
「絶対ではない。」
「ですが。」
俺は帳簿を源兵衛へ見せた。
「前回。」
「味噌は昼までに売り切れました。」
「塩は夕方。」
「酒は翌朝。」
「つまり。」
「需要は味噌が一番高い。」
源兵衛は何度も帳面を見返す。
「帳簿ってのは。」
「こんな使い方もあるのか。」
「売上を書くためだけじゃありません。」
「未来を考えるために使います。」
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その日のうちに、人足たちが各地へ散った。
「味噌を百樽。」
「塩を五十俵。」
「酒は四十樽。」
「急げ!」
飛脚も同時に走る。
「南蛮船が来る!」
「急ぎの荷を集めろ!」
山本屋全体が、一つの歯車のように動き始めた。
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二日後。
港町。
まだ南蛮船は来ていない。
市場ものんびりしている。
「若旦那。」
庄吉が小声で言った。
「早すぎません?」
「これでいい。」
「誰も動いてない今だから意味がある。」
倉庫を借り、荷を積み上げる。
味噌。
塩。
酒。
すべて準備完了。
あとは船を待つだけだった。
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翌朝。
港中に鐘の音が響いた。
「南蛮船だ!」
「来たぞ!」
市場が一気に動き始める。
商人たちは慌てて商品を集め始めた。
しかし。
もう遅い。
必要な荷は、すでに山本屋の倉庫に揃っている。
庄吉が思わず笑った。
「若旦那。」
「これ。」
「気持ちいいですね。」
俺も笑う。
「準備しただけだよ。」
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昼過ぎ。
宿屋の主人が駆け込んできた。
「山本屋!」
「味噌を全部くれ!」
「もう品切れなんだ!」
続いて。
「塩も!」
「酒も!」
注文が次々と舞い込む。
「庄吉!」
「はい!」
「慌てるな。」
「順番に帳面へ書け。」
「数を間違えるな。」
忙しい時ほど。
落ち着く。
前世でも何度も経験した繁忙期だった。
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夕方。
すべての荷が売り切れた。
庄吉は帳面を抱えたまま震えている。
「若旦那……。」
「利益が。」
「前回の二倍です。」
源兵衛も目を丸くした。
「こんな商売があるのか。」
「あります。」
「先に動いた者が勝つ。」
市場は公平ではない。
情報を早く持ち。
準備した者が利益を得る。
それが商売だった。
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その時だった。
「山本屋殿。」
見覚えのある声がした。
振り返ると、通詞を伴ったディエゴが立っていた。
「約束。」
「オボエテル。」
俺は頷く。
「もちろん。」
「三百俵の米ですね。」
ディエゴは笑顔で親指を立てた。
しかし。
通詞の表情は少し硬かった。
「実は。」
「お願いがあります。」
「お願い?」
「三百俵では足りなくなりました。」
俺は嫌な予感がした。
「何俵です?」
通詞は静かに答えた。
「五百俵。」
港の喧騒が、一瞬だけ遠く感じた。
五百俵。
それは山本屋一軒で簡単に用意できる量ではない。
だが。
もし、この商談を成功させれば――。
山本屋は、戦国の一地方商人から、一歩先へ進むことになる。




