第四十二話 港町への初荷
「南蛮船か……。」
伊三郎が帰った後も、その言葉が頭から離れなかった。
海外との交易。
前世では当たり前だったが、この時代では一隻の船が国の財政を左右するほどの出来事だ。
「若旦那。」
庄吉がお茶を差し出す。
「港へ行くんですか?」
「行く。」
「でも、見物じゃない。」
「商売だ。」
---
翌朝。
俺は帳場で帳面を広げていた。
「親父。」
「何だ。」
「港へ何を運べば儲かると思う?」
源兵衛は腕を組む。
「米じゃないのか?」
「もちろん米も持っていく。」
「でも、それだけじゃ足りない。」
港町には全国から商人が集まる。
米など、どこでも手に入る。
「違う物を持って行く必要がある。」
---
庄吉が帳簿をめくる。
「最近よく売れてる物……。」
「味噌。」
「塩。」
「干物。」
「和紙。」
「酒。」
俺は頷いた。
「全部積もう。」
「全部ですか?」
「港には人が集まる。」
「人が集まれば腹も減る。」
「旅支度も必要になる。」
「つまり。」
「生活に必要な物は全部売れる。」
庄吉が感心したように頷いた。
「なるほど……。」
---
二日後。
山本屋の荷車十台が出発した。
米。
味噌。
塩。
干物。
和紙。
酒。
これまで扱ってきた商品を満載している。
「若旦那。」
新しく入った人足の一人が尋ねる。
「港まで三日です。」
「途中の宿場は。」
「もう手配してある。」
「さすがです。」
「荷物より。」
「人が休めない方が問題だからね。」
疲れた人足では良い仕事はできない。
これも前世で学んだことだった。
---
三日後。
港町へ到着した。
「おお……。」
思わず声が漏れる。
海だ。
見渡す限りの青い水面。
大小さまざまな船が並び、港は活気にあふれている。
「すごい人ですね。」
庄吉も辺りを見回している。
魚を売る者。
布を運ぶ者。
荷車を押す人足。
怒鳴り声と笑い声が入り混じり、町全体が動いていた。
俺は自然と笑みを浮かべた。
「物流の中心だ。」
---
港の市場へ荷物を運び込む。
すると、一人の商人が近寄ってきた。
「見ない顔だな。」
日に焼けた大柄な男だった。
「山本屋と申します。」
「米問屋です。」
男は目を丸くする。
「米問屋が港まで来たのか。」
「ええ。」
「米だけではありません。」
荷車の荷を見せる。
「味噌。」
「塩。」
「干物。」
「酒。」
商人は一つずつ手に取りながら笑った。
「面白い。」
「旅人向けか。」
「その通りです。」
「全部まとめて買おう。」
「え?」
庄吉が思わず声を上げる。
「全部ですか?」
「宿屋を何軒かやっていてな。」
「これだけあれば助かる。」
思っていた以上の反応だった。
港町では、小口よりまとめ買いの需要がある。
これは大きな収穫だった。
---
荷下ろしが終わった頃。
港の方から大きなどよめきが起こった。
「来たぞ!」
「南蛮船だ!」
人々が一斉に岸壁へ集まる。
俺たちも思わず足を止めた。
ゆっくりと港へ入ってくる巨大な帆船。
戦国の和船とは比べものにならない大きさだ。
白い帆が風を受け、大きく膨らんでいる。
「これが……。」
庄吉は口を開けたまま動かない。
「南蛮船。」
甲板では見慣れない服を着た男たちが忙しく動いていた。
荷が次々と陸へ運び出される。
樽。
木箱。
大きな布袋。
そして。
「甘い……。」
ふわりと漂う香り。
「何でしょう。」
「砂糖かな。」
俺は前世の記憶をたどる。
この時代、砂糖は貴重品だ。
庶民が口にできる物ではない。
---
その時。
背後から、流暢ではない日本語が聞こえた。
「アナタ。」
振り向く。
背の高い異国の男が立っていた。
髭をたくわえ、青い目をしている。
男は俺たちの荷車を見て、にこりと笑った。
「コレ。」
「アナタノ?」
俺は頷いた。
「そうです。」
男は積まれた米俵を見つめ、興味深そうに触れる。
そして、片言の日本語で言った。
「ワタシ。」
「コメ。」
「カイタイ。」
俺は一瞬、言葉を失った。
南蛮人が。
日本の米を買いたいと言っている。
港へ来た目的は、市場を見ることだった。
だが、その初日から。
思いもよらない商談が始まろうとしていた。




