第三十九話 人を売る商人
「通せ。」
政景の一声で、城の広間へ一人の男が案内された。
三十代後半ほど。
日に焼けた肌。
旅装束は埃にまみれている。
背には大きな荷物。
いかにも各地を渡り歩いてきた商人という風貌だった。
男は広間へ入るなり、深々と頭を下げる。
「初めまして。」
「旅商人の伊三郎と申します。」
「先ほどの木簡は、お前が書いたのか。」
政景が尋ねる。
「はい。」
「ですが、誤解のないよう申し上げます。」
伊三郎は慌てて両手を振った。
「人身売買の話ではございません。」
広間に安堵の空気が流れる。
俺も胸をなで下ろした。
「では。」
「『人を売る』とは何だ。」
俺が尋ねると、伊三郎は真っすぐこちらを見た。
「弥助様。」
「あなたに必要なのは米ではありません。」
「人です。」
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その言葉の意味は、すぐに理解できた。
「運ぶ人間……か。」
伊三郎は大きく頷く。
「その通りです。」
「米は集められます。」
「荷車も増やせます。」
「船もあります。」
「ですが。」
「運ぶ人がおりません。」
俺は思わず地図を見た。
確かにその通りだった。
荷車が百台あっても、人足が十人では意味がない。
船があっても、船頭がいなければ動かない。
物流最大の資源は、人だった。
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伊三郎は荷物の中から一冊の帳面を取り出した。
「これは?」
「私の商売道具です。」
開く。
そこには人名が並んでいた。
「この者たちは。」
「各地の馬借。」
「人足。」
「船頭。」
「荷役職人。」
「大工。」
「鍛冶屋。」
俺は思わず息を呑んだ。
「名簿か。」
「はい。」
「私は物ではなく。」
「仕事を求める職人を各地へ紹介しております。」
現代で言えば、人材紹介業。
戦国時代に、そんな商売があったとは。
いや。
前世の知識に引っ張られているだけかもしれない。
口入れ(くちいれ)のような仕事は、この時代にも十分あり得る。
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「なぜ私に。」
俺が尋ねると、伊三郎は笑った。
「噂を聞きました。」
「山本屋へ行けば。」
「働く者を大切にしてくれると。」
「……。」
「人足へ昼飯を出した。」
「橋を直した。」
「荷車まで改良した。」
「そんな商人は珍しい。」
広間の家臣たちも静かに頷いている。
噂は思った以上に広がっているらしい。
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政景が腕を組む。
「つまり。」
「人を集められるということか。」
「はい。」
伊三郎は自信ありげに答えた。
「百人とは申しません。」
「ですが。」
「三十人。」
「いや。」
「五十人ほどなら。」
「一月もあれば集められます。」
広間がざわついた。
五十人。
今の山本屋にとっては夢のような人数だった。
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しかし。
俺はすぐには頷かなかった。
「一つ聞きたい。」
「何でしょう。」
「その人たちは。」
「何を求めていますか。」
伊三郎は少し驚いたような顔をした。
「賃金……ではありませんか。」
「それだけじゃない。」
俺は静かに首を振る。
「賃金だけなら。」
「もっと大きな商家へ行く。」
「山本屋を選ぶ理由が必要だ。」
伊三郎は黙り込んだ。
しばらく考えた後、小さく笑う。
「なるほど。」
「噂どおりです。」
「そこまで考えておられる。」
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「答えは簡単です。」
俺は帳面を閉じた。
「働く人が。」
「家族へ胸を張れる仕事にする。」
「胸を張れる……?」
「約束した賃金は必ず払う。」
「怪我をしたら助ける。」
「飯は食わせる。」
「よく働いた者は正しく評価する。」
前世では当たり前のことだった。
だが、この時代では決して当たり前ではない。
「そういう店なら。」
「人は集まります。」
伊三郎は深く頭を下げた。
「お任せください。」
「その言葉だけで十分です。」
「必ず良い者を集めてみせます。」
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その日の帰り道。
九兵衛が俺の隣を歩いていた。
「弥助。」
「はい。」
「お前は。」
「人を集めるのもうまい。」
俺は苦笑する。
「集めるんじゃありません。」
「集まってもらうんです。」
人は命令だけでは動かない。
この時代も。
前世も。
そこは変わらない。
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その頃。
大黒屋では、新たな報告が届いていた。
「旦那。」
「山本屋が人足を集め始めました。」
宗兵衛は静かに茶を飲む。
「そうか。」
「ついに、そこへ気付いたか。」
番頭が首をかしげる。
「問題なのですか。」
宗兵衛は窓の外を見つめながら答えた。
「米はいずれ尽きる。」
「荷車も壊れる。」
「だが。」
「人は育つ。」
「育った人は。」
「何倍もの富を生む。」
宗兵衛は静かに笑った。
「弥助殿。」
「わしは、おぬしと競えることが嬉しくなってきた。」
戦国の商いは、新たな段階へ入る。
米を巡る戦いから。
人を育てる戦いへ。




