第三十六話 豪商、大黒屋
朝。
山本屋は開店と同時に賑わっていた。
「若旦那、米を二俵!」
「塩も頼む!」
「味噌はまだあるか?」
庄吉が店中を走り回っている。
「順番にご案内します!」
源兵衛も忙しく米俵を運んでいた。
つい数か月前まで、客の姿もまばらだった店とは思えない。
「ありがたいことだな……。」
源兵衛が汗をぬぐいながら笑う。
「まだですよ。」
俺は帳場で帳簿をめくる。
「ここからが本番です。」
その時だった。
店先が、不自然なほど静かになった。
ざわついていた客たちが、一斉に道を開ける。
「……?」
顔を上げる。
店の前に、一台の立派な牛車が止まっていた。
黒漆塗りの車体。
従者は六人。
身なりは質素だが、一つひとつの所作に無駄がない。
そして牛車から、一人の男が降りてきた。
五十代半ばほど。
白髪交じりの髪を後ろで束ね、黒い羽織をまとっている。
鋭い眼差し。
しかし、その表情は穏やかだった。
男は店先を見回すと、小さく笑った。
「ずいぶんと繁盛しておる。」
庄吉が息を呑む。
「あ……。」
「まさか。」
男はゆっくりと頭を下げた。
「初めまして。」
「大黒屋の主人、大黒屋宗兵衛と申します。」
店内の空気が、一瞬で張り詰めた。
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「奥へどうぞ。」
俺は宗兵衛を帳場へ案内した。
源兵衛も緊張した面持ちで席に着く。
庄吉は静かにお茶を運んできた。
宗兵衛は湯飲みを手に取り、一口飲む。
「うまい茶ですな。」
「ありがとうございます。」
しばらく沈黙が続く。
互いに探り合うような時間だった。
やがて宗兵衛が口を開く。
「弥助殿。」
「はい。」
「荷車を直したそうですな。」
「ええ。」
「川も使い始めた。」
「はい。」
「今度は塩まで扱い始めた。」
俺は頷く。
宗兵衛は静かに笑った。
「商売がお好きと見える。」
「好きというより。」
俺も笑みを返す。
「困っている人を見ると、放っておけないだけです。」
宗兵衛は少しだけ目を細めた。
「本当に?」
「え?」
「利益にならぬ商売は続かぬ。」
その一言は重かった。
長年商売を続けてきた者だけが持つ重みだった。
「慈悲だけでは店は潰れる。」
「利益だけでは客が離れる。」
「その間で悩み続けるのが商人です。」
俺は黙って聞いていた。
否定できない。
まさに、その通りだった。
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宗兵衛は店の奥に積まれた米俵を眺めた。
「弥助殿、一つ教えていただきたい。」
「何でしょう。」
「なぜ敵国へ米を売った?」
俺は迷わず答えた。
「飢えた民を見捨てたくなかったからです。」
「それだけか」
「もちろん利益もあります、ですが…飢えた国は必ず乱れます。乱れれば戦になります。戦になれば、もっと多くの米が必要になる。」
宗兵衛は静かに頷いた。
「先を見ておりますな。」
「物流は今日だけ見ても意味がありません。」
「一年先。」
「十年先。」
「そのための仕組みを作る仕事です。」
宗兵衛は思わず笑みをこぼした。
「なるほど。」
「黒川殿が気に入るはずだ。」
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やがて宗兵衛は懐から一枚の紙を取り出した。
「今日は敵として来たわけではありません。」
「お願いがあります。」
「お願い?」
紙を開く。
そこには、街道の地図が描かれていた。
一本の道に赤い印が付いている。
「この街道です。」
宗兵衛が指差す。
「雨が降るたびにぬかるみます。」
「荷車が立ち往生する。」
「双方の商人が困っております。」
俺は思わず宗兵衛を見た。
「一緒に直しませんか。」
「……。」
予想外の申し出だった。
敵同士が協力して街道を整備する。
普通なら考えられない。
宗兵衛は静かに続ける。
「商売敵ではあります。」
「ですが。」
「道は、誰のものでもない。」
「良い道は。」
「すべての商人を豊かにします。」
俺は地図へ視線を落とした。
確かに、この街道が使いやすくなれば。
山本屋も。
大黒屋も。
そして旅人も助かる。
「面白い話です。」
俺は顔を上げた。
「ですが。」
宗兵衛が笑う。
「条件がありますかな。」
「もちろん。」
俺も笑った。
「工事に使う人足は、両家で半分ずつ。」
「費用も半分。」
「完成後は、どちらも自由に使う。」
宗兵衛はゆっくり立ち上がる。
「結構。」
「その条件で参りましょう。」
そう言って右手を差し出した。
俺も立ち上がる。
その手を握る。
商人同士の約束は、契約書より重い。
その握手を見ていた源兵衛と庄吉は、驚きを隠せない様子だった。
敵と争うだけではない。
必要なら手を組む。
それもまた、商人の戦い方だった。
店の外では、多くの人が行き交っている。
誰も知らない。
この小さな握手が、戦国の物流を大きく変える第一歩になることを。




