第三十五話 豪商の一手
「大黒屋の荷隊が動きました。」
山本屋へ戻った翌朝。
庄吉が慌てた様子で帳場へ駆け込んできた。
「荷車は五十台。」
「米だけじゃありません。」
「塩や味噌、それに干物まで積んでいます。」
俺は帳面から顔を上げた。
「兵糧だけじゃないのか。」
「はい。」
「生活物資も一緒です。」
俺は少し考え込んだ。
兵糧だけを運ぶなら話は簡単だった。
だが、生活物資まで一緒に運ぶとなると話が変わる。
「庄吉。」
「はい。」
「市場の様子を見てきて。」
「市場ですか?」
「うん。」
「何が売れて、何が足りないのか。」
「それを調べてきてほしい。」
庄吉はすぐに飛び出していった。
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昼過ぎ。
庄吉が息を切らせて戻ってきた。
「若旦那!」
「分かったか。」
「塩がありません。」
「やっぱりか。」
予想どおりだった。
「米は?」
「少し高くなってます。」
「でも買えないほどじゃありません。」
俺は頷いた。
問題はそこではない。
「塩は、人は毎日使う。」
「味噌もそうだ。」
「つまり。」
「大黒屋は米ではなく、暮らしを押さえにきている。」
庄吉が目を丸くする。
「暮らし……。」
「毎日必要な物を握れば、人は自然と店へ集まる。」
「そこで米も売る。」
「商売としては見事なやり方だ。」
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その日の夕方。
店先へ一人の客が訪れた。
「山本屋さん。」
近所の豆腐屋だった。
「塩は入りませんか。」
「困ってるんです。」
「うちも味噌が手に入らなくて……。」
その後も。
魚屋。
宿屋。
旅籠。
同じ相談が次々と舞い込む。
「塩がない。」
「干物がない。」
「仕入れられない。」
俺は静かに帳面を閉じた。
「なるほど。」
「そういう勝負か。」
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夜。
家族と庄吉を集める。
「親父。」
「何だ。」
「うちは塩を扱おう。」
源兵衛は目を見開いた。
「塩だと?」
「米問屋だぞ、うちは。」
「そうです。」
「でも。」
「お客さんは米だけでは生活できません。」
源兵衛は腕を組んだ。
「確かにな……。」
「でも仕入れ先がないぞ。」
俺は笑った。
「あります。」
「え?」
「川です。」
庄吉が首をかしげる。
「川?」
「船大工を紹介してもらったでしょう。」
「あ。」
「船を使えば。」
「海沿いの町から塩を運べます。」
源兵衛が思わず立ち上がった。
「そんなことまで考えてたのか。」
俺は頷いた。
「米だけでは勝てません。」
「だから。」
「生活全部を支える店になります。」
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数日後。
山本屋の店先には、見慣れない樽が並んでいた。
「塩だ!」
町の人々が驚く。
「山本屋で塩を売るのか?」
「味噌もある!」
「干物まで!」
客が次々と集まり始める。
米を買いに来た客が、塩も買う。
塩を買いに来た客が、米も買う。
店先は久しぶりの賑わいを見せていた。
庄吉は嬉しそうに帳面を抱える。
「若旦那!」
「お客さんが途切れません!」
「良かった。」
俺は店の前を眺めながら答えた。
「商売は。」
「売る物を増やすことじゃない。」
「困っている人を減らすことなんだ。」
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その頃。
大黒屋。
番頭が慌てて店へ飛び込んだ。
「旦那!」
黒羽織の男が静かに顔を上げる。
「何だ。」
「山本屋が塩を売り始めました!」
「……。」
「しかも。」
「海路で仕入れております!」
黒羽織の男は少しだけ目を閉じた。
やがて、小さく笑う。
「面白い。」
「こちらが一手打てば。」
「必ず返してくる。」
番頭は不安そうな顔をする。
「どういたしますか。」
男は窓の外を見つめた。
「そろそろ。」
「私が直接会うとしよう。」
その一言に、番頭は息を呑んだ。
西国一の豪商、大黒屋。
その主人が。
ついに山本弥助の前へ姿を現そうとしていた。




