第三話 米を買え
翌朝。
俺は源兵衛と庄吉を連れて市場へ来ていた。
朝だというのに人が多い。
農民、商人、行商人、荷運び人足――様々な人間が行き交い、その中心に米市場がある。
「本当にやるのか? まだ間に合うぞ」
源兵衛が不安そうに言う。
「間に合わなくなるから来たんだ」
俺は周囲を見回した。
米俵が並んでいるが、昨日より確実に数が少ない。
市場は正直だ。
噂が流れれば人が動き、人が動けば物も動く。
「値段は?」
「昨日より一割ほど高くなっています」
庄吉の答えに、俺は小さく頷いた。
やはり――始まっている。
まだ小さいが、市場は反応し始めていた。
「親父、金は?」
源兵衛は苦い顔をして小袋を差し出した。
「店に残っていた銭を集めた」
軽い。
かなり軽い。
山本屋の苦しい懐事情が伝わってくる。
「これで全部か」
「ああ」
「借金してでも集めろ」
「おい! 正気か!」
源兵衛が叫ぶ。
周囲の商人が振り返るが、俺は気にしない。
「凶作が本当なら米は上がる」
「もし嘘だったら?」
「その時は俺が土下座する」
「お前の土下座に何の価値がある!」
それは確かにそうだ。
俺は少し反省したが、判断は変わらない。
買うべきだ。
今しかない。
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「おやおや」
後ろから声がした。
振り返ると、太った男が豪華な着物を着て立っていた。
金の指輪。
いかにも儲かっている商人だ。
記憶が名前を教えてくれる。
米問屋『河合屋』の主人、河合宗兵衛。
山本屋の競争相手だ。
「源兵衛殿、潰れかけの店が市場へ何の用ですかな」
源兵衛の顔が歪む。
どうやら仲は悪いらしい。
「関係ねえだろ」
「いやいや、借金の返済が近いと聞きましてな」
嫌味だった。
しかも大勢の前で。
周囲の商人たちも苦笑している。
山本屋の経営難は有名らしい。
宗兵衛は俺へ視線を向けた。
「そちらは倅ですかな」
「ああ」
「なるほど。親子揃って米を買いに来たわけですか」
「そうだ。市場の米をできるだけ買う」
その瞬間、宗兵衛が吹き出した。
周囲もざわつく。
「ははは! それは面白い!
借金まみれの山本屋が買い占めですか!」
笑い声が広がる。
だが俺は平然としていた。
むしろ好都合だ。
誰も本気にしていない。
なら競争相手は少ない。
宗兵衛は笑いながら言った。
「若いですなあ」
「そうか?」
「凶作の噂など毎年あります」
「なるほど」
「それを信じて米を買い込むなど三流商人のすることです」
俺は少し考え、そして聞いた。
「じゃあ河合屋は買わないのか?」
「当然ですな。私は無駄な博打は打ちません」
そうか。
買わないのか。
ならますますありがたい。
俺は源兵衛へ向き直った。
「聞いたな親父」
「何をだ」
「競争相手が減った」
源兵衛が頭を抱える。
宗兵衛の笑顔が引きつった。
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俺は商人たちへ声を掛けた。
「米を売ってくれ。あるだけ買う」
市場の空気が変わる。
本気だと理解されたのだ。
最初に動いたのは、一人の農民だった。
「本当に買ってくれるのか?」
「ああ」
「全部か?」
「全部だ」
農民の顔が明るくなる。
そして次々と人が集まり始めた。
一俵。
二俵。
十俵。
二十俵。
山本屋の荷車が埋まっていく。
源兵衛が呆然と呟いた。
「おい……本当に買ってるぞ」
「当たり前だ。商機なんだからな」
その頃には、河合宗兵衛の顔から笑みは消えていた。
俺は気付かないふりをして、次の米俵へ手を伸ばした。
まだ足りない。
もっとだ。
もっと米が必要だ。
凶作の噂は、まだ始まったばかりなのだから。




