第二話 帳簿にない米
「今ある金で米を買えるだけ買おう」
俺の言葉に、店の中が静まり返った。
源兵衛は口をぱくぱくさせている。
番頭の庄吉も同じだ。
「……弥助」
「なんだ」
「お前、熱でもあるのか?」
失礼な親父だ。
だが気持ちは分かる。
借金まみれの店が、さらに金を使うと言い出したのだから。
「まず話を聞け」
俺は帳簿を開いた。
「隣領の凶作が本当なら米の値段は上がる」
「そんなことは分かる」
「問題はどれだけ上がるかだ」
源兵衛は眉をひそめた。
俺は続ける。
「だが、その前に確認しなきゃならないことがある」
「なんだ?」
「うちの在庫だ」
その瞬間。
庄吉が露骨に視線を逸らした。
見逃さない。
「倉庫へ行こう」
「今からか?」
「今だ」
俺は立ち上がった。
――――
山本屋の蔵は店の裏手にあった。
木造の大きな蔵だ。
だが近付くと分かる。
管理状態が悪い。
戸は半開き。
掃除も行き届いていない。
「鍵は?」
「一応あるが……」
「一応?」
嫌な予感しかしない。
蔵の扉を開ける。
中には大量の米俵が積まれていた。
源兵衛が胸を張る。
「どうだ。結構あるだろう」
俺は答えなかった。
代わりに言う。
「紙と筆を持ってこい」
「何をする気だ」
「棚卸しだ」
当然、誰も意味を理解していない。
だが構わない。
俺は一俵ずつ確認を始めた。
数える。
記録する。
また数える。
記録する。
昼を過ぎる頃には、源兵衛も庄吉も文句を言わなくなっていた。
単純作業とはいえ、途中で異変に気付いたからだ。
「……おい」
源兵衛が額の汗を拭った。
「帳簿と合わねえぞ」
「だろうな」
帳簿上では三百二十俵。
実際には。
二百八十七俵。
三十三俵足りない。
庄吉が青ざめた。
「そ、そんな馬鹿な……」
「馬鹿じゃない」
俺は帳簿を叩く。
「誰かが間違えたか、盗まれたか、その両方だ」
三十三俵。
金額にすれば小さくない。
この時代なら一家が何年も暮らせる額になる。
源兵衛の顔色が変わった。
「誰だ……」
「分からん」
俺は首を振る。
「だが、これで一つ分かった」
「何がだ」
「山本屋は思った以上に病気だ」
店は赤字。
借金まみれ。
在庫管理もない。
さらに帳簿と現物が合わない。
普通なら潰れている。
むしろ今までよく生き残っていたものだ。
だが。
俺は少し笑った。
「逆に言えば伸びしろしかない」
「何を言ってるんだお前は……」
源兵衛が呆れる。
しかし俺には見えていた。
前世の経験から。
この店はまだ終わっていない。
終わっていないどころか、改善できる場所だらけだ。
その時。
蔵の外から声が聞こえた。
「旦那! 大変です!」
店の奉公人が走ってくる。
「市場の米が急に売れ始めています!」
俺は思わず口元を吊り上げた。
やはりだ。
凶作の噂が広がり始めている。
市場が動いた。
そして。
市場が動いたということは――。
時間との勝負が始まったということだ。
「親父」
「なんだ」
「金を集めろ」
俺は蔵に積まれた米俵を見上げた。
「今から戦だ」
戦国時代の戦は、刀だけでやるものじゃない。
米を握った者が勝つ。
俺は、その勝ち方を知っている。




