第一話 潰れかけの米問屋
「親父! また取り立てが来てるぞ!」
店の奥から飛んできた怒鳴り声で、俺は目を覚ました。
……いや、正確には、目を覚ましたというより、意識が浮上したと言うべきだろう。
頭が妙に重い。
身体も小さい。
見慣れない木造の天井を見上げながら、俺はゆっくりと起き上がった。
「なんだ……ここ」
六畳ほどの部屋。
土壁。
障子。
薄い布団。
どう見ても現代日本ではない。
その時だった。
大量の記憶が頭の中へ流れ込んできた。
「ぐっ……!」
頭を抱える。
知らないはずの記憶。
なのに、自分のものだと分かる。
名前は弥助。
年は十五。
この町で米問屋を営む家の長男。
そして――
「戦国時代……だと?」
思わず呟いた。
混乱する頭を整理する。
俺は現代日本で働く会社員だった。
物流会社の倉庫管理担当。
残業帰りに居眠り運転のトラックへ巻き込まれ――
そこから先の記憶がない。
つまり。
死んだらしい。
そして気が付けば、この戦国時代へ転生していた。
「嘘だろ……」
だが、窓の外から聞こえる人々の声。
荷車の音。
馬のいななき。
どれも本物だった。
夢ではない。
俺は本当に戦国時代へ来てしまったのだ。
その時。
襖が勢いよく開いた。
「おい弥助! いつまで寝てる!」
現れたのは四十代ほどの男。
日に焼けた顔。
疲れ切った表情。
記憶によれば、この身体の父親だ。
米問屋『山本屋』の主人。
山本源兵衛。
「親父?」
「親父じゃない! それどころじゃねえ!」
源兵衛は額を押さえた。
「今月の支払いができねえんだ!」
「……は?」
「借金だよ借金!」
いきなり重い話だった。
父親は俺の手を掴むと、そのまま店の帳場へ連れて行く。
そこには大量の帳簿が積み上がっていた。
「見ろ!」
帳簿が広げられる。
俺は何気なく目を通した。
そして固まった。
「……これ、本気か?」
酷かった。
想像以上だった。
仕入れ額。
販売額。
運送費。
保管費。
未回収金。
借入金。
現代で物流管理をしていた俺には一目で分かった。
この店は危険だ。
いや。
危険どころじゃない。
「親父」
「なんだ」
「これ、あと半年持たないぞ」
源兵衛が黙った。
沈黙が答えだった。
どうやら本人も理解しているらしい。
山本屋は潰れかけている。
米の値段は下落。
取引先は減少。
借金だけが増えている。
その上、倉庫の管理も杜撰だった。
帳簿をめくる。
さらにめくる。
そして俺は思わず顔をしかめた。
「なあ親父」
「なんだ」
「倉庫にある米、ちゃんと数えてるか?」
「だいたいだ」
「だいたい?」
「だいたいだ」
駄目だこりゃ。
在庫管理が存在していない。
現代の物流会社なら上司が卒倒するレベルだった。
俺は帳簿を閉じた。
少し考える。
戦国時代。
転生。
米問屋。
そして借金まみれ。
最悪のスタートだ。
だが。
不思議と絶望はなかった。
むしろ。
「……面白いな」
自然と笑みが浮かぶ。
物流管理。
在庫管理。
輸送効率。
需要予測。
それは前世で散々やってきた仕事だった。
武術はない。
剣も振れない。
戦国知識だって歴史好き程度。
だが。
商売なら話は別だ。
「親父」
「なんだ」
「店を立て直そう」
源兵衛が呆れた顔をした。
「無茶言うな」
「無茶じゃない」
俺は帳簿を叩いた。
「まず倉庫の在庫を全部確認する」
「全部?」
「全部だ」
「何のために」
「店に何がどれだけあるのか分からない奴が商売できるか」
源兵衛はぽかんとしている。
だが構わない。
まずは現状把握だ。
それが全ての始まりになる。
その時。
店の外から慌ただしい足音が聞こえた。
番頭の庄吉が駆け込んでくる。
「旦那!」
「なんだ!」
「大変です!」
庄吉は息を切らしながら叫んだ。
「隣の領で凶作の噂が広まっております!」
「何!?」
源兵衛が顔色を変える。
だが。
俺は別のことを考えていた。
凶作。
つまり収穫減少。
つまり米不足。
つまり――
価格が上がる。
俺はゆっくりと立ち上がった。
「親父」
「なんだ?」
「今ある金で米を買えるだけ買おう」
「は?」
「全部だ」
源兵衛が目を丸くする。
借金まみれの店で買い占めなど正気ではない。
普通ならそう思うだろう。
だが俺の頭の中では、いくつもの数字が組み上がっていた。
もし噂が本当なら。
山本屋は助かる。
いや。
飛躍する。
戦国時代最大の商機が、今まさに目の前へ転がってきていた。
俺は帳簿を閉じた。
そして小さく笑う。
「米問屋を舐めるなよ」
戦国の世で人を動かすのは、刀ではない。
飯だ。
そして。
その飯を扱うのが俺たちなのだから。




