第二十八話 敵からの誘い
「私は、黒川家の使い。」
その一言で、店の空気が張り詰めた。
庄吉が思わず俺の前へ出る。
「若旦那。」
「下がってて。」
俺は静かに答えた。
使者の男は二十代後半ほど。
身なりは質素だが、立ち居振る舞いに無駄がない。
ただの使いではない。
「何の用ですか。」
男は懐から一通の書状を取り出した。
「これは、我が主からです。」
受け取る。
封を切る。
中には短く一文だけ記されていた。
**『その才、我が家で振るわぬか。』**
俺は思わず苦笑した。
「引き抜きですか。」
「左様。」
使者は表情一つ変えない。
「弥助殿。」
「あなたの評判は国境を越えております。」
「橋を守り。」
「川を開き。」
「兵糧を動かした。」
「商人としても。」
「兵糧方としても。」
「見事な働きだと。」
庄吉が目を丸くした。
「そこまで知られてるのか……。」
情報は想像以上に早く伝わっているらしい。
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使者は続けた。
「山本屋は小さな店。」
「ですが、黒川家へ来れば違います。」
「百人。」
「千人。」
「一万石の兵糧でも動かせます。」
「望むなら、蔵も。」
「人も。」
「金も用意しましょう。」
破格の条件だった。
前世なら、間違いなくヘッドハンティングだ。
能力を認められ、より大きな会社へ誘われる。
悪い話ではない。
源兵衛が不安そうに俺を見る。
庄吉も黙ったままだ。
店内が静まり返る。
やがて俺は、静かに書状を畳んだ。
「ありがたい話です。」
使者が小さく頷く。
「ですが。」
俺は書状を返した。
「お断りします。」
「理由を伺っても?」
俺は少しだけ笑った。
「俺は山本屋の跡取りです。」
「潰れかけたこの店を立て直すと決めました。」
「途中で投げ出すつもりはありません。」
使者は黙って俺を見つめる。
「それに。」
俺は続けた。
「商人は信用が財産です。」
「恩を受けた相手を裏切るような商人とは、誰も商売したくないでしょう。」
その言葉に、使者は初めて口元を緩めた。
「……なるほど。」
「評判どおりのお方だ。」
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使者が帰ろうとした時だった。
「一つだけ。」
俺は呼び止めた。
「何でしょう。」
「あなた方は、なぜ戦を急ぐんです。」
使者は足を止めた。
少しだけ空を見上げる。
「急いでいるのではありません。」
「急がねばならぬのです。」
「……?」
「今年は凶作。」
「このままでは冬を越せぬ村が出ます。」
俺は息を呑んだ。
黒川家も苦しい。
だから米を集めているのか。
戦をしたいのではない。
生きるために動いている。
「失礼する。」
使者はそれ以上何も言わず、夜の町へ消えていった。
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翌朝。
俺は城で政景へ一部始終を報告した。
「敵から引き抜きとは。」
政景は苦笑する。
「断ったか。」
「はい。」
「そうか。」
政景は静かに頷いた。
「礼を言う。」
「当然です。」
俺が答えると、政景は首を振った。
「いや。」
「だからこそ、礼を言う。」
その時。
九兵衛が広間へ入ってきた。
顔色が悪い。
「殿。」
「急ぎ、お耳に入れたいことが。」
「何だ。」
九兵衛は深く息を吸う。
「黒川家ですが。」
「兵を集めているのではありません。」
広間が静まり返る。
「では、何をしている。」
「民を。」
「国境沿いから避難させ始めました。」
「……避難?」
家老が驚く。
九兵衛は重々しく頷いた。
「戦の準備ではありません。」
「飢えの備えです。」
その言葉に、俺は嫌な予感を覚えた。
敵が恐れているのは、刀ではない。
飢えだ。
そして飢えは、人を戦へと駆り立てる。
兵糧を巡る戦いは、まだ始まったばかりだった。




