第二十話 偽りの兵糧台帳
「本物の兵糧台帳は、代官所だ。」
俺の言葉に、庄吉は目を丸くした。
「じゃ、じゃあ盗まれたのは……」
「店の売買帳だ。」
俺は静かに頷く。
「あれを盗まれても商売には多少影響する。でも、兵糧の流れまでは分からない。」
九兵衛が感心したように笑う。
「用心深いですね。」
「前から狙われる気がしていました。」
橋を落とされ。
荷車を襲われ。
そして蔵への放火。
ここまで来れば、次に狙われるのは帳簿だと考えるのが自然だった。
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翌朝。
城では重臣たちが集まっていた。
「放火に帳簿泥棒か。」
城主・浅井政景が腕を組む。
「敵は執拗ですな。」
家老が険しい顔で言う。
政景は俺へ視線を向けた。
「弥助。」
「何か策はあるか。」
俺は一枚の紙を取り出した。
「あります。」
「ほう。」
「敵が帳簿を欲しがるなら。」
「こちらから渡しましょう。」
広間が静まり返る。
「どういう意味だ。」
「偽物を渡すんです。」
重臣たちがざわつく。
「偽物?」
「ええ。」
俺は紙を広げた。
そこには兵糧蔵の一覧が書かれている。
もちろん、本物ではない。
「在庫も。」
「保管場所も。」
「輸送日も。」
全部嘘だ。
「これを盗ませます。」
九兵衛が目を細めた。
「敵を誘導する……。」
「はい。」
敵は情報を信じて動く。
ならば、その情報そのものを操ればいい。
物流は物だけではない。
情報もまた、流れの一つだ。
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三日後。
夜。
山本屋の裏口に、一つの人影が現れた。
黒装束。
音もなく塀を越える。
蔵へは向かわない。
真っ直ぐ帳場へ入っていく。
「来た。」
屋根裏から見下ろしていた俺は、小さく呟いた。
隣には九兵衛。
さらに奥には、代官配下の武士たちが息を潜めている。
黒装束の男は迷いなく引き出しを開けた。
そして、一冊の帳簿を懐へ入れる。
そのまま窓から飛び出す。
「まだだ。」
武士が動こうとするのを、俺は手で制した。
「追わない。」
「なぜだ。」
「泳がせます。」
敵は末端だ。
捕まえても、大物は出てこない。
本当に知りたいのは、その先。
帳簿が誰の手へ渡るかだ。
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翌日。
昼過ぎ。
代官所へ一人の足軽が飛び込んできた。
「申し上げます!」
「申せ。」
「例の男を追跡した者が戻りました!」
広間の空気が張り詰める。
「男は城下を出た後、西の街道へ。」
「その先で、一団の商人と接触しております。」
「名は。」
政景が静かに尋ねる。
足軽は息を整え、答えた。
「三河より参ったと名乗る商人。」
「その名を――」
一瞬、間が空く。
「『大黒屋』と申しております。」
その名を聞いた瞬間。
九兵衛の表情が変わった。
「……大黒屋。」
「知っているのか。」
政景が問う。
九兵衛はゆっくり頷いた。
「あまり関わりたくない相手です。」
「西国でも指折りの豪商。」
「米だけではありません。」
「塩。」
「鉄。」
「布。」
「あらゆる物資を扱っています。」
重臣たちが息を呑む。
町の米問屋とは比べものにならない。
まさに巨大商人だ。
俺は静かに考え込む。
橋を落とし。
荷車を襲い。
蔵へ火を放ち。
帳簿を狙う。
その全てが、一つにつながった。
「敵は、大黒屋か……。」
だが、九兵衛は首を横に振った。
「いいえ。」
「え?」
「大黒屋ほどの商家が、自ら汚れ仕事はしません。」
「必ず誰かがいます。」
「裏で糸を引く者が。」
その言葉に、俺はゆっくり頷いた。
まだ終わっていない。
姿を見せたのは、巨大な敵の影に過ぎない。
しかし、一つだけ確かなことがある。
こちらも、ようやく敵の尻尾をつかんだ。
俺は静かに拳を握る。
「次は、こっちの番だ。」
兵糧を巡る商人たちの戦いは、ここからが本番だった。




