第十二話 空の釜
翌朝。
城下町は、人で溢れていた。
「お願いします……」
「子どもだけでも……」
門の前には、隣領から逃げてきた難民たちが列を作っている。
抱かれた赤子は泣き続け、年老いた者は力なく座り込んでいた。
誰の顔にも疲労と空腹が浮かんでいる。
「想像以上だな……」
源兵衛が小さく呟いた。
俺も頷くしかなかった。
五百人。
昨日の報告は決して大げさではなかった。
「代官様」
見張りの武士が駆け寄る。
「町の炊き出し小屋ですが……」
「どうした」
「米が尽きました」
広間の空気が凍りつく。
「馬鹿な!」
「昨夜から難民が増え続け、予定より早く……」
代官・松田清左衛門は拳を握り締めた。
「備蓄は?」
「あります。しかし――」
武士は言いにくそうに口ごもる。
「運ぶ者がおりません」
その一言で、俺は全てを理解した。
米はある。
だが届かない。
やはり問題はそこだった。
「弥助」
代官が俺を見る。
「頼めるか」
俺は静かに頷いた。
「すぐ動きます」
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代官所を飛び出した俺は、庄吉を呼び止めた。
「荷車は何台ある?」
「七台です!」
「全部使うな」
「え?」
庄吉が目を丸くする。
「三台だけ出せ」
「三台だけですか?」
「残りは村回りだ」
庄吉は首を傾げる。
「町が先じゃ……」
「違う」
俺は首を振った。
「町だけ助けても意味がない」
もし村への配送を止めれば。
今度は村人が町へ押し寄せる。
混乱はさらに広がる。
物流は、一か所だけ見てはいけない。
全体を見る。
それが基本だ。
「庄吉」
「はい!」
「人足は?」
「二十人ほど集めました!」
「十人は荷車。」
「五人は背負子。」
「残り五人は空の俵を持たせろ。」
「空の俵?」
「あとで分かる。」
庄吉はまだ不思議そうだったが、すぐに走り出した。
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昼前。
炊き出し小屋。
大きな釜が並んでいる。
だが火は消え、釜は空だった。
子どもたちが泣いている。
母親たちは不安そうに鍋を見つめていた。
「米が来たぞ!」
誰かが叫ぶ。
荷車が三台。
ゆっくりと広場へ入ってくる。
歓声が上がった。
だが俺は首を振る。
「全部炊くな。」
炊き出し役の老人が驚く。
「え?」
「半分だけです。」
「しかし足りませんぞ!」
「だからです。」
俺は釜を指差した。
「空にしないでください。」
老人は困惑している。
俺は続けた。
「釜が空になると、人は『もう終わりだ』と思う。」
「……」
「でも釜に米が残っていれば、『まだある』と思える。」
老人は目を丸くした。
周囲の武士たちも黙って聞いている。
「配る量は同じです。」
「ただ、一度に全部出さない。」
それだけで人の心は変わる。
物流は物だけではない。
安心も運ぶ。
それが前世で学んだことだった。
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夕方。
炊き出しは終わった。
誰一人取り乱すことはなかった。
暴動も起きない。
難民たちは静かに列を作り、順番を待っていた。
清左衛門が俺の隣へ歩いてくる。
「不思議なものだな。」
「何がですか。」
「米の量は昨日と変わらぬ。」
代官は釜を見つめる。
「だが町の空気はまるで違う。」
俺は少し笑った。
「足りないのは米じゃありません。」
「……ほう。」
「安心です。」
代官はしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「お前は商人ではないな。」
「え?」
「人の心まで計算している。」
その言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
前世でもそうだった。
物流とは、荷物を運ぶ仕事ではない。
必要な物を、必要な時に、必要な場所へ届ける仕事だ。
その先にいるのは、いつだって人なのだから。
その時だった。
一人の武士が血相を変えて駆け込んできた。
「代官様!」
「どうした!」
「城主様がお呼びです!」
広場が静まり返る。
城主。
この領を治める大名自らが、俺を呼んでいる。
いよいよ、町の米問屋の話では終わらなくなってきた。




