#7 絆
リバはコヨのあとを追っていた。
崖下の道だ。左手は広大な水田地帯だが、急斜面の茂みが覆いかぶさっているような道で、月のない夜にあっては真っ暗闇だ。
とはいえそれは人間の場合であって、モミョ族は夜目が利く。リバは風上にならないように注意しながら距離をとって追っていく。足音はまったくない。
(おかしい。あの人の匂いがまったくしない。だから目で見てはじめて気がついたんだ……。あ……あのときからだ……。圭と特訓して蘭々へ向かっていたとき、あの人に会った。あの後からだ、感じなくなったのは……。てっきり今度は本当に市内から離れたんだって思ってたけど……よくよく考えたら全然感じないなんておかしい……! あのとき何かされたんだ! ああ……ちゃんと考えればすぐに気づいたはずなのに……! どうしてボクは肝心なところで役立たずなんだ……!)
水田地帯が狭まって、遠かった小貝川の堤防が近づいてくる。蛇行する小貝川が高台に急接近するからだ。堤防へ登ればずっと明るくなって、しかし目の前には暗闇よりも黒い霧が渦巻いた。
(!!)
実体はここにはなく、ただフードと仮面に憑依しただけのもの。それでいながらなお強大な力をもつ存在、珠兎だ。
リバは本能的に飛び退いた。
「くくく……、達者か、リバよ」
「な……なんの用だ!! あんたとはもう関係ないはずだ!!」
「お前に無くともこちらにはあるのだ。いささか手駒が足りぬゆえ、お前のようなものでも、無いよりはましというわけだ」
相手を無視してリバは油断なくあたりを探る。
(こんなヤツに何いわれたってどうでもいい! そんなことでいちいちいらつくなんて、時間の無駄だ! ボクが今しなくちゃいけないことは、コイツを突破して先へ進むこと……!)
「まあよい。もはやお前の意思なんぞ、どうでもよいのだ」
「ふん、二度と操られるものか! あんたが掛けたユーグネアはルクが壊してくれた!」
「ならば、もう一度施せばよいだけのこと」
「そう簡単にいくもんか!」
「……」
今度は珠兎がリバの言葉を無視した。
「我にひれ伏せ」
指先で空中に紋様を描く。次の瞬間、猛烈な激痛がリバを襲った。しかしリバは血走った両目で珠兎を睨み返す。
「ぐぐぐ、ま、負けないぞ! 負けてたまるか!!」
「……」
「ままま、まえのボクとは違うんだ!! こんなものでは——屈さない!!」
リバは前脚を勢いよく振り降ろした。珠兎を切り裂くが、相手は寸前でふわりと躱す。
「なるほど。まあ仕方がない、本気を出してくれよう」
「なっ……!!」
「愚か者が。我がはじめから手の内を見せるとでも思ったか!」
「な……な、うわあああ……!!」
力が急激に強まる。頭が破裂するような苦痛にリバは地面を転げ回る。
「ああ……っ! ああ……。……」
歪んだ表情が沈黙を結ぶ。リバは無機質に珠兎を見た。
「ふん、簡単なことよ」
「……」
「来るが良い」
珠兎は空中を浮遊したまま背中を向けた。それを、リバの翼が刃となって切り裂いた。
「な!?」
「負けないと……いったはずだ!! ゼェ……ゼェ……これで……」
しかし全身の痛みもなくならない。仮面とローブは不気味に揺らめいて再び浮かび上がった。
(!!)
「単純な奴め。お前の考えることなんぞ、見え見えだ」
すさまじい力が全身を締め上げ、これまでの激痛が取るに足らないものであったことをリバは理解する、
「ぐあああ……!!」
「我にこれほどの力を使わせた者はかつておらぬゆえ、褒めてやろうか」
「あああああああああ……!! ああ……。……。……」
それは沈黙というより無だった。何も無くなってしまった真っ白な両目がぼんやりと視線を垂らす。珠兎は見下げる。
「まあ、すでに精神は破壊されてまともに感じることも思うことも無かろうが。まったく素直に従えばよいものを——」
いい終わるかどうかの瞬間、リバは翻って三本の尻尾で薙ぎ払った。
「な……なぜ……」
その言葉をもいわせない。返す刀でリバの翼は仮面を切り裂く。ローブはその残骸の上に落ちた。
「ハア、ハア、ハア……」
リバは全身で激しく息をしながらも痛みが遠のいていくのを感じていた。珠兎の気配はもうない。
「やった……やったよ……」
へたり込んで、そして尻尾を見つめる。
一つには圭からもらった飾りひも、一つにはつぐみからもらったヘアゴム、一つにはルクフェネからもらった飾りひも。
「みんなありがと……。ケイが頑張れってずっと声をかけてくれたから、こころを失わなかったんだよ。グミが負けちゃダメって尻尾にしがみついて引き戻してくれてたから戻ってこれたんだよ……。ルクも……すごく怖かったけど、それくらいでくじけたら許さないって、ものすごい形相で叱ってくれて……」
星明かりの夜空を見上げる。息が整ってきたのを確かめて、リバはまた走りはじめた。




