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言いようのないストレスが、眉間にシワとなって現れる。そんな俺の背中をサンダース先輩はニカッと笑って力いっぱい叩く。痛い! 痛いです!
「そんな辛気臭い顔すんなって! ほら、日本の諺で幸せが逃げるって言うんだろ?」
「惜しいなシロエ。幸せが逃げるのは溜め息だよ」
「そうだっけ? まぁ、同じ意味だよな!」
同意を求めるように肩を叩かれ、被害を最小限に抑えるため曖昧に頷く。
そんな事よりも、だ。さっさと代表の件を諦めて解放してほしい。俺の同意がなければ代表にはなれないはずだから、このまま拒否し続ければ大丈夫なはずだとは言え、このまま押し切られないとも限らないので言っておかなくてはいけない。
何故ならば、ただでさえシロエ先輩という裏の代表支配者にいいように実権を握られていそうな状況なのだ。そこに俺が納まるだなんて…いやいや絶対に有り得ない。
例え彼等が今三年生だとしても、そのまま高校に持ち上がる学校だから意味ないわけだしな。
だから懐柔しようとしても無駄なのだ。
「大介、代表ってのはな。確かに大変な仕事ではあるが、楽しいことだってあるんだぞ?」
「あぁ、権力を持つっていうのは本当にいいものだよ」
「仲間との信頼関係だって築けるし、人を采配する立場ってのは、自分の実力を発揮できる素晴らしい役職だ」
「そう、自己顕示欲も満たされるしね」
サンダース先輩の説得力のある言葉も、アルテミス先輩の自分勝手な見解で相殺される。俺は嫌だな、そんな理由で注目浴びるの…
ていうか、アルテミス先輩の不純な動機に寒気がする。まさか、自己顕示欲のために代表代行とかもやってたのかと、今までのアルテミス先輩に対して抱いていた見方に間違いがないことを裏付けられた気がした。
「とにかく、何を言われようとやらないものはやりませんから」
「そう言わずにさぁ。頼める奴なんて、大介ぐらいしかいないんだよ」
「それはどうでしょうかね。今の理由を総合すると、シルヴィー辺りとかが適任な気がしますが」
特に自己顕示欲の件は、奴にぴったりだ。そう思って提案したが、やはりと言うべきか二人は難色を示した。
「シルヴィーなぁ。奴自身はそう悪くはないんだが、ちょっとばっかし自己中だからなぁ」
「上に立つ者としての中立性を欠くんだよね」
却下されるとは思っていたが、一番適任な気がするんだけどな。特に、目立つこととか率先してやりたがりそうじゃないか。
でもまぁ、あれに仕切られるのも怖いって言えば怖いけどな。ここは一つ、友人を売ることになるが推薦してみるか。
「じゃあ、蒼実なんてどうです? 彼は人に好かれる性格だし、誰に対しても中立でしょう?」
「中立って面じゃあ確かにな。しかし、押しに弱そうだからなぁ」
「第一、リーダーシップを取れるようなタイプじゃないしね」
「慈悲の心が強すぎるって言うか、誰に対しても強く言えなさそうだろ」
「いつもくっついてるロイドも、蒼実の言葉だと例え左が正解でも右と言われたら右に行きそうだしね」
まるでロイドは蒼実の犬だな。いや、俺も密かに番犬だって言っちゃってはいるけども。
皇凛は規則破りの常習犯だし、シャオファンは気弱すぎる。純一は無口で何考えてるか分からないし…って言っても俺はなりたくない。
「大介、そんなに代表やりたくないのか?」
「勿論です。代表をやらないためにならなんでもしますよ」
「そこまで強く拒否する必要はなくはないかい?」
とかいいつつ人の肩に手を置かないで下さいよ。密着するなんて怖すぎます!
そろそろこのやり取りに嫌気がさして来る。ストレスで胃がキリキリしてきた。
「俺は、大介ほど適任な奴なんていないと思うんだけどな」
「そんなの買いかぶり過ぎですよ。俺にはそんな実力はありませんから」
「なってみてからつく実力もあると思うんだけどね」
「今のが全力です。これ以上は無理ですよ」
「それは駄目だ! 自分で自分の限界を決めるなんて良くないぞ!」
そんなの、俺の勝手だと思うんですが。てか、急に熱くなりすぎだろサンダース先輩。
「僕は、大介になってほしいんだけどなぁ」
「どうしてですか」
「どうしてって…それを理由に、君を自由に操れるからだよ」
耳元で囁かれた言葉に、サーっと血の気が引いた。この人、やっぱり影の代表だ! 高等部に行っても、中等部を牛耳る気なんだ!!
アルテミス先輩の恐ろしい計画に気付いて、なんとしても代表にはならないぞと決意を新たに、敵前逃亡を図った。
先輩達から逃げて学園棟まで来ると、全力疾走で乱れた息を整えるため何度も深呼吸を繰り返す。落ち着いてから考えることは、アルテミス先輩の呪いの言葉。俺を操るって、あんなにも嬉しそうに言わなくてもいいだろうに…
やはりあの人は危険人物だなと改めて認識しながら眉間を抑えていたら、ふわりとした香りと共に人が現れた。
「やっほー大ちゃん! こんなところで会えるだなんて、まさに運命だね!」
「偶然だと思います」
妙にハイテンションな宮田先輩がそこにいた。思わず間髪入れず冷たい視線を送りながら否定してしまったが、よく考えたら彼は先輩だった。生意気な態度になってしまい申し訳ありません。
しかし、自由人な宮田先輩は特に気にも留めなかった。
「今日の俺ってばツイてるね!」
「俺は厄日ですけどね」
嫌なことばかりしか起こらないなんて、本当に厄日である。朝から現時点まで、何一ついいことがないのだから。
とにかく早く帰ろう。
「それでは、俺はこれで失礼します」
「あ、待ってよ大ちゃん! 一緒に帰ろ?」
「嫌です。さようなら」
「ちょっとは考えてくれてもいいじゃん! 大ちゃんのいけず~!」
いや、いけずでもなんでもない。もう先輩かどうかなんてどうでもいい。俺のことは放って置いてくれ。
大体、この人と歩いていたら針の筵じゃないか。今朝の再現なんて俺はしたくない。
一人の方が気が楽だし、むしろ一人がいい。足早に立ち去っていたはずだったのに…苦もなく追いついて、隣りを歩く宮田先輩。コンパスの差に軽く殺意が芽生える。
振り切ろうにも降り切れなかったので、無駄な抵抗を止めて歩調を緩めることにした。嬉しそうに話しかけてくるのを曖昧な相槌で返しながら、疲労感を抱えながら帰路に着いたのは言うまでもない。
本当に色々あった始業式だったなぁと、まるで昔のことのように思い出しながら顔を洗う。今日は遂に、歓迎祭の日だ。つまり、2泊3日のお泊り初日である。
朝から気が重いのは当然のことながら、取りあえずお泊り用荷物の確認を済ませて下に降りる。
「おはよう大介。よく眠れたかい?」
「おはよう父さん。ちゃんと睡眠は取ったよ」
眠りはした。異様に目が冴えちゃった時間はあったけども…
地味な顔だが癒される笑顔の父さん。俺の遺伝子は確実にこの人からなのだと分かる平凡顔である。そんな父さんが、当然の如く朝食の支度をしていたので俺もお皿を出したりして手伝った。
なんで母さんが作らないのかって? そんな、台所に立って料理を作るのは女性だけだなんて考え方は古臭いですからね、とかいうカッコいい理由ではない。
母さんは美人だけどどこか抜けたところがあって、家事全般において、特に料理が苦手だった。作りたくないのではなく、作りたがるのだがとんでもない物を作ってしまう才能があるのだ。
3歳児の子供心にそれはトラウマになり、しばらくご飯を嫌がったことがあると聞かされれば、どれほどのものか想像に難くないだろう。食欲より命を優先するという本能的行動によって、その後生まれた弟はそれを食べずに済んだのだから兄としての使命は全うされたと言ってもいいだろう。感謝されたことはないが。
朝ご飯も夕飯も、男三人でローテーションして作っているわけだが、今回は俺が歓迎祭で丸二日は居ないので二人には苦労を掛けることになる。出来ることなら行きたくないんだけど、という本音はしまっておく。
「父さん。俺が学園に泊まる間、晩御飯はどうするんだ?」
「あぁ、それなら慎介がやってくれるそうだよ?」
それなら安心だと、胸を撫で下ろす。母さんが料理を作る隙を作らなければ皆が安泰だ。
テーブルに料理を並べ終えると、ちょうど慎介が入ってくる。
「あれ、兄貴居たのかよ」
「そりゃ居るだろ。ここは俺の家でもあるんだし」
「じゃなくて、何とか祭とかいうやつは?」
「今日からだ」
気のない返事でそうだったかと返した慎介は、ソファーに胡坐を掻いて座りながら片手で新聞を読んで頭を掻いていた。こいつ、何処の親父だよ。小5の癖に…
朝から新聞を読もうと思うのが凄いなと思っていたら、今度は母さんがパタパタとやってくる。
「いっけなぁい。今日も寝坊しちゃったわ」
いや、あなたはいつも寝坊してるだろとは言ってはいけない。しかも、寝坊したかという割りにきっちり化粧しているのだが、それも突っ込んじゃいけないところだ。
我が家では、暗黙の了解ですっぴんを見ようとしてはいけないことになっている。母さんの学生時代の写真とか見る限り美人なので、すっぴんでも大丈夫そうなのに何故か頑なだ。まぁ、見なくても別にいいけど。
俺を見つけた母さんは、さすがは親子な反応をする。
「あら大ちゃん、居たのね」
居ますけど何か? 親子そろってこの反応。昨日家に帰ってきてた事をもう忘れてしまったんですかと聞きたいよ。
特に談笑するということもない普通の食卓だが、皆で穏やかに朝食や夕飯を囲むというのは、我が家のルールだ。
遂にやって来てしまった憂鬱な一日の始まりに溜め息を吐きながら、校門を抜けて特別クラスに向かうところで発見してしまう。勘違いだと思いたいが、どう考えても勘違いではなさそう。
バッチリ目が合っちゃっているので、避けては通れないよな。
「だ~いちゃん! おっはよ~う!」
「おはようございます」
デジャブだな。このハイテンションで近付いて来るのは二人ぐらいしか知らない。皇凛か、宮田先輩である。今回は後者。
そして恐ろしいことに、宮田先輩の遙か遠くに会いたくない人ベスト3に入っている人が居るではないか。連続して厄日が来たと思うよりも、疫病神に憑かれていると思った方が早いかもしれない。
まさか少しずつこっちに近付いてきているだなんて、それはきっと俺の思い違いだ。そうに違いない…などと否定しても無意味である。
「やぁ、大介。おはよう」
「大介、おはよう!」
「……おはようございます。アルテミス先輩、サンダース先輩」
目の錯覚にしては物凄くリアル。これはやっぱりホンモノか?
でも確か、宮田先輩とアルテミス先輩って…
「おはよう、シロエくん、シェスカくん」
「よぉ。おはよう、基春」
「おはよう」
にっこり笑顔だが、殺伐としたオーラを纏うアルテミス先輩。本当に、この二人は仲が悪い。正に水に油な人達なのだ。
顔を合わせる度に一気に空気が凍り付く。何の因果か、そこに居合わせる確率が高いんだよな。最悪なことに…
「大介は貰っていっていいかな? うちのクラスの生徒だし、今日は歓迎祭で大忙しだしね」
「でも、別に今すぐってわけじゃないんでしょ? だったらもう少し一緒に居させて欲しいなぁ~」
笑顔のまま睨み合う両者。その姿は正に、竜虎合い見える、だ。
もうホント、いい加減にしてくれよ。あなた達の争いに巻き込まれたくないんだからさぁ。
早く終わらないかなぁなんて思いながら見守っていたら、サンダース先輩が楽しそうに囁いた。
「大介、モテモテだな!」
嬉しくねぇ~ですよ! そもそもの話、彼等は俺がどうのこうのの前から仲が悪かったことはリサーチ済みだ。つまり、この争いの火種が俺だったかどうかは分からないだろう、まだ…恐らく多分。
俺は関係ないと思いたい。




