第34話 女神様は父親からの求婚を断る
「まあ……でも、忘れてはいないけど、恨みはないですよ? お父様」
アルティシーナ神は柔らかい笑みを浮かべて言った。
そしてゆっくりと、ディシウス神に近づく。
「だって、今は私はあなたの娘で、そして孫ですからね。祖母と母とは違う。あなたにとっても、そうなんじゃないですか?」
「……まあ、な」
アルティシーナ神も、ディシウス神も古い神格を持った、強大な神である。
そのため多少、神話が書き換えられた程度では記憶は失わない。
しかし失わないのは記憶だけだ。
アルティシーナ神とメルゴス神とメルティシア神は確かに同一の神だが……
アルティシーナと、メルゴスと、メルティシアは別人である。
アルティシーナにとって、メルゴスは母で、メルティシアは祖母だ。
自分ではない。
感情や意思、性格は共有していないのだ。
どこまで行っても、神は神。
どうしてもその考え方は神話に縛られる。
アルティシーナ神はディシウス神を父、または祖父としか見れず……
ディシウス神はアルティシーナ神を娘、または孫としか見れない。
「だから、お父様が私に酷いことをしない限りは私はお父様に逆らいません。メルゴス神の愚は犯さない」
「そうか、なら結構だがな。……良いか、結婚をするなら、俺としろ。それ以外は認めない」
「結婚をする予定はないけど……そうだね。子供が欲しくなったら、お父様を頼りましょう」
アルティシーナ神が処女を守るのは、ディシウス神の支配から逃れるためである。
しかし……アルティシーナ神が処女であることは、ディシウス神にも利益がある。
アルティシーナ神が処女でいるうちは、他の神々と交わる、夫婦になることはできないからだ。
ディシウス神にとって最悪の事態は、ナパト神やハウリス神、またはプロムセス神のような自分と匹敵するだけの力を持つ神とアルティシーナ神が手を組むことである。
ハウリス神はともかくとして、ナパト神はかつてメルゴス神と愛人関係になり……
ディシウス神の王権を狙った前科がある。
決して油断することはできない。
アルティシーナ神が処女神なのは、両者の妥協の産物なのだ。
「……そんなに俺と結婚するのは嫌か? 満足させる自信はあるぞ」
「それはユーラ神を見れば分かりますよ」
アルティシーナ神はディシウス神の正妻を思い浮かべた。
ディシウス神に関係を迫られ、あれほど必死に抵抗したユーラ神は……
今ではディシウス神が他の女に手を出すと、烈火のごとく怒り狂う。
嫉妬を抱くということは、それだけディシウス神のことが好きであることの裏返しだ。
「天空神、ディシウス。あなたはこの惑星を包む、天球を支配する神。この世のあらゆる者、大地も海も草木も人も、全てあなたの内側にいる。だからあなたはこの世の支配者、神王、絶対神。そして……家父長制の守護神であり、この世の男性を象徴する存在であるあなたは、女を支配する権能を持っている」
ポーロワ神やマレアス神も、同じ男性神として女性を支配する権能を持つが……
やはりオリジナルのディシウス神の力は別格だ。
「あなたの男根を受け入れて、屈服しなかったのは、この世でメルゴス神だけです。そして……私も、何度も支配から逃れる自信はありません。あなたの支配は、心地良過ぎてしまうから」
支配されることは、楽だ。
全てを委ね。全てを決め、そして守ってくれるのだから。
ひたすら快楽に身を委ねる。
それはとても幸福なことだ。
しかし……それでもアルティシーナ神は自由の身でいたかった。
「それは残念だ。だが気が変わったらいつでも声を掛けろ」
「まあ、変わる予定はありませんけどね」
アルティシーナ神は肩を竦めた。
「……ところで、今、話題に出たユーラ神のことだが。お前、どういう対策を練っている?」
「対策とは?」
「レオニダスとアレクサンドラを守る対策だ。……あの女の目から隠し通すのは難しい。何か、あの女の呪いを跳ねのける手段は用意してあるのだろうな? レオニダスから恨みを買うのも、失うのも問題だぞ」
もう巨兵大戦まで時間がない。
新たに半神を作り出す余裕もないのだ。
レオニダスは神々にとって必勝の策、兵器であり……また弱点でもある。
「思うのですが、お父様。あなたがユーラ神と話し合えば解決するのではないですか?」
「お前、怒り狂った時の姉上がどれだけ怖いか、そして面倒か知らないだろう? あいつは聞き耳を持たんぞ。例え、戦に勝つためと説明しても、まるで理解しない……いや理解しようとしない」
「ヒステリー女ってやつですねえー、ああ、嫌だ、嫌だ。……まあお父様の日頃の行いが悪いのもありますが」
よりにもよって、なぜユーラ神と結婚したのか。
アルティシーナ神には理解できなかった。
もっと温厚な女神は他にもいるだろうに、と。
「で、どうするつもりだ? 策はあるのだろうな?」
「ありますとも、お父様。だからご安心を」
「……どうして俺に教えてくれない?」
「お父様はユーラ神を誤魔化しきる自信があるのですか?」
するとディシウス神は目を逸らした。
いつも誤魔化しきれず、浮気がバレているのだ。
ディシウス神は嘘をつくのが致命的に下手な上に、分かりやす過ぎる。
「あなたは普段通り、振舞ってください。それも込みで作戦を立てていますから」
「お前がそう言うなら……分かった。信じよう」
ディシウス神は頷いた。
普段はアホそのものだが……アルティシーナ神は間違いなく『知恵』の女神なのだ。
与えられた仕事は必ずこなす。
「お父様はあまり挙動不審にならないように、気を付けてくれれば大丈夫です。……では私はそろそろ戻ります。明日は朝から学校があるので」
「……楽しいか? 学校は」
「中々愉快ですよ」
「俺も行こうかな?」
「女教師や女子生徒が突然、休職・休学する事件が多発することになりそうですね。洒落になりませんよ、来ないでください」
アルティシーナ神はそう言って梟に姿を変え、飛び立った。
「……そんなに信用無いか? 俺の下半身は」
先程、孫兼娘を強姦しようとした男は呟いた。
「……アレクサンドラが結婚?」
ティシアは首を傾げた。
そう……唐突にアレクサンドラの結婚が決まったのだ。
お相手はポーロワ神……ではない。
隣国の王子である。
「アレクサンドラは納得しているのですか?」
「してねぇよ。勝手に結婚を決められて、怒ってる。……直接、相手の国に行って断ってくるつもりらしいぜ」
レオニダスは不機嫌そうに言った。
妹、ないしは姉が望まぬ結婚を強いられようとしているのだ。
不機嫌にもなるだろう。
「ポーロワ神のことを話せば破談になると思いますが……アレクサンドラ様はそのことをアルティシーナ王に言わないのですか?」
リコリスが尋ねた。
ポーロワ神が目をつけている女を、他の男に嫁がせる。
それは間違いなく、ポーロワ神の逆鱗に触れる行為だ。
「言ったさ。でも、嘘だと思われているみたいだ」
「まあ、神様と恋人なんて普通信じないからねぇ」
結婚したくないが故の嘘、駄々を捏ねているだけと思われるのがオチだろう。
「どうしようか? ついて行った方が良いかな?」
「アレクサンドラはあなたほどじゃないけど強いし、それにポーロワ神が黙ってないよ」
「そうですよね……むしろアルティシーナ王と、相手の王子様の身を心配するべきかもしれませんね」
ポーロワ神は男性を病気にして殺す、『白銀の弓』を持っている。
間違いなく、ポーロワ神はアルティシーナ王と、相手の王子に向けて、矢を放つだろう。
そんな話をしていると……
一陣の風が吹いた。
ティシアは目を見開き、立ち上がった。
「どうしたの? ティシア。そんな、血相を変えて」
「何か、急用でも思い出したのか?」
リコリスとレオニダスは尋ねた。
ティシアは頷く。
「……ちょっと緊急の用事ができたから。席を外すよ」
そう言ってティシアは走り去っていく。
「あいつさ、定期的にどっかにいなくなるよな……」
「……やっぱり、私の勘は合っているかも」
「勘?」
「いや……その、根拠は薄いんですけどね……」
さて、人気のない路地裏にティシアはやってきた。
そこには……
一柱の神がいた。
伝令神、トルトメスだ。
「アルティシーナ、急いでくれ」
「分かっています」
ティシアは梟に姿を変え、天上へと飛び立った。
トルトメスも風に姿を変えて後を追う。
ついに、ユーラ神がレオニダスとアレクサンドラの存在に気付いたのだ。




