第30話 女神様の巫女は女神様の(闇深)神話について語る
アルティシーナ神は自分の父親であるディシウス神に恋をした。
そしてディシウス神もまた、自分にそっくりな、娘であり、孫であるアルティシーナ神に恋をした。
両者は愛し合っていたが……
しかしメルゴス神は両者が愛し合うことを認めなかった。
それはアルティシーナ神はメルゴス神に似た容姿の美少女だったからである。
メルゴス神はアルティシーナ神に自分の立場を奪われることを恐れた。
アルティシーナ神はメルゴス神を恨み、そして憎んだ。
また自分に匹敵する、母親の美しい容姿に嫉妬を抱いた。
一方ディシウス神もまた、日頃からしつこく、そして時には正妻の立場すらも要求してくるメルゴス神を目障りに感じていた。
またそれなのにも関わらず、自分の兄である海神ナパトと関係を持ち続けたことにも不満を抱いていた。
そして……当時のディシウス神の正妻であるユーラ神は、夫と浮気をするだけでなく、正妻の立場すらをも奪おうとするメルゴス神を殺したいほど憎んだ。
斯くして……
三者の利益は合致した。
その日、ディシウス神はメルゴス神をベッドに誘い、一緒に寝た。
ユーラ神はメルゴス神に気付かれぬように、眠りの神をけしかけて、メルゴス神を深い眠りに落とした。
そして……ベッドの下に隠れていたアルティシーナ神は、金剛の鎌を手に持ち……
「その両目、『梟の瞳』と『蛇の瞳』を抉り、その権能を簒奪したと言われています。後の流れは同じです。メルゴス神は醜い姿に代えられ……そしてアルティシーナ神の差し向けた英雄によって打倒されます」
リコリスが語り終えると、レオニダスは尋ねた。
「でも、その話は間違いだろ? だって……アルティシーナ神は処女神だ。ディシウス神と関係を持つことはできない」
「この話には続きがあるんです。母を天界から追放し、晴れて十二柱神の一柱となったアルティシーナ神とディシウス神は互いに関係を結ぼうとするのですが……二人の間に生まれた子供は男児ならばディシウス神を弑逆してその王位を奪い、そして女児ならばアルティシーナ神に対してメルゴス神と同様の仕打ちを受けさせる……という予言が、二人の耳に入るんです」
結果、二人は互いに関係を結ぶのを諦めた。
しかしそれでもディシウス神を愛していたアルティシーナ神は、ディシウス神以外の神と関係を結ばないことを示すために、処女神の誓いを結んだ。
というのである。
(愛する人のために処女であることを誓う……素晴らしい愛の物語。やっぱり私って素敵だわ)
ティシアは自画自賛した。
しかしレオニダスとアレクサンドラの両名は、そうは思わなかったようだ。
何とも複雑そうな表情を浮かべている。
「まあ……少なくとも、私たちの神殿はこの話を採用していません。私たちは、メルゴス神が反旗を翻した方の神話を支持していますよ。ほら、ナパト神とメルゴス神は愛人関係にあったでしょう? つまりメルゴス神は弟の王位を奪おうとする海神と手を組んで、ディシウス神を追い落とそうとしたが、先にこれに気付いたアルティシーナ神と、そしてナパト神の裏切りによって敗北した。辻褄が合うと思います」
アルティシーナ神の『寝取り神話』の方はあまりにもアルティシーナ神への印象が悪すぎる。
そのためアルティシーナ王国ではあまりこの神話はメジャーではない。
『反逆神話』の方が語られている。
もっとも……それはつまり、地域によっては『寝取り』神話の方が主流の場所もあるということだが。
「だが……『反逆神話』と『寝取り神話』ではアルティシーナ神への印象がかなり変わるな。前者は母親の反逆にいち早く気付き、世界の秩序を防衛した英雄神だけど、後者だと嫉妬深い、醜い心を持った女神になる」
「でも……確かに、アルティシーナ神は二つの側面を持っているわよね。武具を持って戦う英雄神としての姿と、怒りで女性を醜い蛇や蜘蛛に代えてしまう女神。どっちもあり得る話だわ」
レオニダスとアレクサンドラの言葉に、リコリスは頷いた。
「その通りです。アルティシーナ神の本質は『叡智』と『愚痴』。勇猛で叡智溢れる英雄神と、そして嫉妬深く愚かな女神、二つの矛盾した側面を併せ持つのです。二つの全く異なる神話のエピソードは、そんなアルティシーナ神の本質をよく表していると言えますね」
そして……リコリスはレオニダスとアレクサンドラに尋ねる。
「お二人はどっちの神話がお好きですか?」
「俺か? 俺は断然『反逆神話』だな。……アルティシーナ神と話したが、悪い人……いや、神じゃない。ちょっと気難しいけど、面白いところもあるし」
「私も何だかんだで助けて貰ったからね……」
レオニダスとアレクサンドラは、『寝取り神話』はあまり好きではないようだ。
二人にとってはアルティシーナ神は恩人なのだ。
そのアルティシーナ神を悪く言うような神話は好きになれない。
「……ティシアはどう、思いますか」
「私?」
リコリスに尋ねられ、ティシアは少し考えてから答える。
「……どっちもじゃないかな?」
「どっちも、とは?」
「どっちも真実だよ、きっと。神話なんて、そんなものだよ」
一瞬だけ、ティシアの瞳が青と赤に輝いた。
「よく来たな、アルティシーナ」
「何ですか、お父様。お話、とは」
その日の夜。
アルティシーナ神はディシウス神に呼び出された。
「あいつが『奈落』から逃げ出した」
「あいつ?」
「メルゴスだ」
アルティシーナ神は目を見開いた。
丁度、今日の昼にレオニダスたちと共にメルゴス神の話をしたばかりである。
「それにしても、奈落から、ね。どうやって?」
奈落。
それは冥界の遥か下に存在する、永遠の虚無が広がる場所であり、また原初の神でもある。
神々はこの奈落を牢獄として利用していた。
堕ちた神とはいえ、メルゴス神は神である。
そのため首を斬られた程度では死なない。
だから奈落に閉じ込めていたのだ。
「誰の手引き? 単独で逃げ出せないでしょ」
「こんなことをする奴は、あいつしかいないだろう」
「あの婆、ね。あの巨兵が簡単に倒されたのが、よほど気に食わなかったんですかね?」
原初の神の一柱。
この世のあらゆる全ての神、物、人間の大母、大地母神ガイアス。
さすがの彼女も奈落に閉じ込められている巨神たちを全て解き放つことは無理だが……
一柱、それも弱り切り、霞みのようになっているメルゴス神一柱をこっそりと解放させることはなんとかできたようだ。
「というか、よく動けますね。首もないのに」
「全くだな……ところで、頭はあるか?」
「ここにばっちりついていますよ」
アルティシーナ神はそう言って堅き盾を取り出して見せる。
その中央にはメルゴス神の頭がしっかりと埋め込まれていた。
「少なくとも、頭はもう生きてません」
「つまり脳味噌がないのにも関わらず、動いているわけか。大した執念だな。俺たちも恨まれたもんだ」
「諦めの悪い女は嫌いです」
アルティシーナ神はそう言って肩を竦めた。
これにはディシウス神も苦笑いを浮かべた。
「お前の母親だぞ?」
「それを言えば、あなたの娘で、愛人です」
二人とも、すでにメルゴス神には欠片も興味を抱いていなかった。
「来たぞ、ディシウスよ。話とは何だ?」
二人が話ていると、背後から声を掛けられた。
アルティシーナ神は後ろを振り向く。
するとそこには髭を蓄え、手には巨大な三叉槍――三神器の一つトリアイナ――を持っている。
「よく来てくれた、兄上」
「伯父様じゃない! 久しぶりですね!」
アルティシーナ神は新たに現れた神に挨拶をした。
この神の名は、ナパト。
ディシウス、ハウリスにならぶ三兄弟の一人であり、次男。
海と大陸を治める海神、『大地を揺らす者』ナパト神である。
「要件とは何だ?」
「メルゴスが奈落から逃げ出したそうですよ」
「ほぉー、あの女がか」
ナパト神は目を細めた。
「懐かしいな。今は悪神に堕ちたとはいえ、かつては吾輩の愛人だった女だ」
「へぇ、情はまだ残ってるんですか?」
「まさか、今ではただの蛇の化け物であろう? 神獣にも劣る、魔獣になど興味はない」
「ですよねー」
ケラケラとアルティシーナ神は笑った。
三人とも、メルゴス神への情は欠片も持っていない。
神話の敗北者など、ただの目障りなだけの化け物に過ぎないのだ。
「ところで首はお主が、アルティシーナが持っているのだろう?」
「そりゃあ、ばっちり」
アルティシーナ神は堅き盾に埋め込まれている頭を見せた。
ナパト神は不愉快そうに仕舞うように言ってから、首を傾げる。
「ではやつは首無しにも関わらず、動いているのか?」
「そういうことになりますね」
「何とも気持ちの悪い話だな」
動き回る首無し死体をイメージしたナパト神は、眉を顰める。
「二人に来てもらったのは他でもない。あの敗北者、メルゴス神への対処だ。見つけ次第、殺してくれ。まあ、殺しても死なないだろうが……動けなくさせればそれで十分だ。トルトメスのやつに運ばせて、奈落に放り込めば良い」
無論、言われずともメルゴス神を見つければ二人とも殺すつもりであった。
アルティシーナ神とナパト神は頷いた。
「……折角だし、一体くらいはレオニダスに殺させましょう。 厄介な呪いの目も、ないですし。練習相手には丁度良いと思いません?」
「レオニダスの教育はお前に一任している。好きにすると良い」
ディシウス神の許可を得たアルティシーナ神は、意気揚々と地上に降り、そしてレオニダスに指令を出しに向かった。
それからディシウス神はナパト神に尋ねる。
「あいつはどこまで、覚えていると思う?」
「あの様子だと欠片も覚えてなさそうだが……あの女のことだ。覚えていてもおかしくはないだろう」
二柱の神は、下界へと降りていく、梟に化けたアルティシーナ神を見送った。




