第29話 女神様の巫女は女神様の神話を語る
後日、四人はいつもの喫茶店に集まっていた。
「それでレオニダスがこう、っぐっと……」
「もうやめてくれ、ティシア……」
ティシアがアレクサンドラとリコリスにレオニダスの雄姿を伝えていると……
レオニダスがこれを咎めた。
「ええ! ここからが良いところなのに」
「もうそれ、五回目だろ」
「良いじゃない。何度も言った方が覚えられるでしょ?」
「……覚える必要って、あんのか?」
レオニダスは苦笑いを浮かべた。
それからアレクサンドラとリコリスに尋ねる。
「お前らも飽きただろ?」
「ん……まあ弟の雄姿には興味あるけど、さすがに五回はね……」
「えー、私はもう少し聞いていてもいいですよ?」
「ほらね? 聞きたいって言ってるじゃん」
「もう片方は聞きたくないって言ってるぞ」
レオニダスがそう言うと、ティシアは肩を竦めた。
そんな二人の様子を見て、アレクサンドラは笑みを浮かべた。
「でも、やっぱり直接見たかったな……レオニダスの雄姿」
「私も見たかった……」
リコリスもアレクサンドラの意見に同意する。
「まあ、こうして生きていられるだけでも幸運だから、アルティシーナ神には感謝しないといけませんが」
それからリコリスは呟いた。
石にされた間の記憶はないが……あのまま何も気付かず、殺されていたらと考えるとゾッとする。
「なあ、リコリス」
「何ですか? レオニダス様」
「アルティシーナ神ってのは、善神なのか? 悪神なのか?」
レオニダスの直球の質問にリコリスは苦笑いを浮かべた。
アルティシーナ神の話題になり、三人が自分をどう認識しているのか、興味が出たティシアは口を挟まずに聞き耳を立てることにする。
「基本的に悪神というものはいませんよ、レオニダス様。神々は……皆、私たちのことを考えてくださっています」
「でも、ユーラ神とかいるじゃない」
アレクサンドラが口を挟んだ。
リコリスは頷く。
「何といいますか……神々が愛しているのは、全人類、人間という種族全体であって、個々の人間ではありませんから。ユーラ神は家庭の、そして一夫一妻制の守護神です。ですから一夫多妻制に繋がりかねない、浮気や私生児の存在は許容できないのです。だから秩序を示すために、天罰を与える……それが彼女の職務なのですよ」
お二人にとっては、迷惑な話かもしれませんが。
と、リコリスは末尾に付け加えた。
(まあ、本来ユーラ神が罰するべきは浮気をした夫なんだけどね……この世界の家族制度は家父長制。つまり妻は夫に逆らえない。家族制度の守護神であるユーラ神は家父長制を守護する義務がある、というか彼女は家父長制の内側で、初めて神々の女王として振舞える。だから夫であるディシウス神には、最終的には絶対に逆らえない。征服された地母神の悲哀だね……)
結婚し、妻である以上はその妻という属性からは逃れることはできないのだ。
だからこそ、ティシア――アルティシーナ神――は処女を貫いている。
処女として、未婚であるうちは誰からも支配されないからである。
まあ……大きな括りでは、ディシウス神を家長とする神々の支配体制の内側にアルティシーナ神もいるのだが。
それでもかなり自由に……
そう、例えば人間に紛れて学園生活を満喫するなんてことができてしまう。
「まあ……確かにアルティシーナ神もそういうようなことを言ってたな。自分は好きで罰しているわけではないと……じゃあ、リコリス。アルティシーナ神はどういう神様なんだ?」
「『輝く瞳を持った者』戦乙女神アルティシーナ。戦争・守護・工芸・戦略を司る。本質は「叡智」と「愚痴」。聖獣は「蛇」と「梟」。一般にディシウスの娘、または孫と呼ばれています。両目のうち、右目の青色の瞳は、この世の全てを見通す全知の瞳である、『梟の瞳』。一方左目の赤色の瞳は、視界に映した者、そして目を合わせた者を異形の姿に代えてしまう呪いの瞳である、『蛇の瞳』。都市の守護神、貞淑な乙女の守り手としても、広く信仰されています。武装は槍の原器、世界で初めて作られた槍と言われる『愚者の聡慧なる神槍』、そしてディシウス神から借りている如何なる攻撃をも防ぐ無敵の盾、『堅き盾』です。また従属神として、空を駆ける天馬、ペガソスを従えています。処女神ですから、夫はいませんが……アグニストス神とは事実上の夫婦関係にあると目されることも多いですね」
「……最後のは違うよ」
ティシアは小さな声で呟いた。
あの変態不細工神、アグニストス神の妻として扱われるのはプライドが許さなかった。
「詳しいな、リコリス」
「ええ……まあ巫女ですからね」
自分の仕える神様の神話も知らないで巫女はできない。
と、リコリスは苦笑いを浮かべた。
「他に何か知りたいことは?」
「……初歩的な質問で申し訳ないんだけど、アルティシーナ神の誕生とか逸話について教えてくれないか? 俺、全然知らないんだよ」
神話の授業は退屈で、いつも寝ていたんだ。
と、レオニダスは言った。
リコリスとアレクサンドラは呆れ顔を浮かべる。
さすがのティシアも、これには面食らう。
……自分の姉の神話くらい、覚えて置けよ、と。
「そうですね……まずはアルティシーナ神の祖母から話しましょう。アルティシーナ神の祖母の名前はご存じですか?」
「知恵の女神、メルティシアだろ? 巨神の一人と聞いている」
「ええ、そうです。巨神……現在の十二柱神を中心とする宇宙の秩序が成立する以前に、この世を支配していた神々、旧支配者です。メルティシア神は巨神たちの中でも、ディシウス神らの勝利をいち早く予見し、プロムセス神やソールリオス神らと共に、ディシウス神たちの陣営についた神の一柱です。彼女の叡智の活躍もあり、巨神大戦はディシウス神たちの勝利に終わりました」
リコリスは要点だけを噛み砕いて説明を始める。
「メルティシア神はディシウス神の最初の妻と言われていますね。両者は結婚し、メルティシア神は子を孕んだ。しかしある時、ディシウス神は予言を耳にします。もし仮にメルティシア神から生まれた子供が男児であったならば、その子はディシウス神を上回るほどの力を有し、ディシウス神を弑逆するだろう、と。これを恐れたディシウス神はメルティシア神を丸呑みにし、解決しようとします」
これを聞きながら、ティシアは内心で思った。
……何で食って解決しようとするのだろうか、と。
堕胎させるとか、他にも選択肢はあるだろうに。
「ディシウス神は全知の女神メルティシア神を飲み込んだことで、彼女の全知を取り込み……名実ともに全知全能の神となります。さて……問題はメルティシア神はすでに妊娠し、その子供はある程度の大きさまで育っていたことです。子供はディシウス神の体の中で成長し、ディシウス神の頭まで移動します」
「良く死なないな。俺の親父は」
「神様ですからね」
頭の中を赤子に荒らされたくらいでは死なないのだ。
神々は基本的に不老不死である。
「あまりの頭痛に耐え切れなくなったディシウス神は、アグニストス神に斧で頭を割って貰います。この時に生まれたのが、アルティシーナ神の母であるメルゴス神で……」
「ちょっと、待ってくれ」
レオニダスはリコリスの話を制した。
「メルティシア神はディシウス神の最初の妻なんだよな?」
「ええ、そうですよ」
「……なんでアグニストス神がいるんだ? アグニストス神は、ディシウス神が一人でメルゴス神を産んで見せたことに焦ったユーラ神が産んだ神だって、俺は聞いたことがあるぞ?」
メルゴス神が生まれたから、ユーラ神はアグニストス神を産んだ。
メルゴス神はアグニストス神がディシウス神の頭を斧で砕いたことによって生まれた。
この二つは完全に矛盾している。
しかしリコリスはそれを一言で解決する。
「神話ですから。矛盾の一つや二つ、ありますよ」
「いや、おかしいだろ? だって、神話ってのは神様の過去なんだろ? 俺は実際にアルティシーナ神を見た。マレアス神もだ。アレクサンドラはポーロワ神とディシウス神をその目で見ている。それなのに全く違う過去が複数あるなんて、おかしいじゃないか!」
「私もそれ、思ったことあるわ。神話って、全然違うパターンの話がいくつもある。……でも、それっておかしいわ」
レオニダスとアレクサンドラは口々に神話の矛盾を指摘する。
リコリスは笑みを浮かべた。
「その矛盾のお気づきになられるとは……お二人はやはり半神、普通の人ではありませんね」
「……どういうことだ?」
レオニダスが尋ねる。
ここで初めてティシアは口を挟んだ。
「つまり、普通の人は気が付かないってこと。正確には気が付けないようになってる。矛盾があることを指摘できるのは、半分神の血を引いている半神か、それともリコリスたちのように修行して気付くことができるようになった巫女か、そのどちらかだね」
それからティシアは唇に人差し指を当てた。
「良い? ……あまりその矛盾は口にしない方が良いよ。神々に対する不敬になるからね。まあ……アレクサンドラはポーロワ神に、レオニダスはマレアス神か、それともアルティシーナ神に、今よりも親しくなったら聞いてみたら良いんじゃない? 気が向いたら教えてくれると思うよ」
ティシアはそう言ってから、ゆっくりと珈琲を飲んだ。
「まあ……過去が不変、絶対のものだってのはあくまで人間の視点だからね。神様にとっては違う……おっと、これ以上は言わない方が良さそうかな」
それからティシアはリコリスに対し、続きを話すように促した。
リコリスは頷く。
「さて……アルティシーナ神の母君、ディシウス神から生まれたメルゴス神は大変美しい女神でした。ディシウス神はこの美しい女神に恋をし、実の娘に肉体関係を迫ります。そして……産まれたのがアルティシーナ神です。ちなみに……メルゴス神はディシウス神の兄である、ナパト神とも肉体関係を持っています。二人の間に生まれた神の一柱が、アルティシーナ神の従属神であるペガソスです」
それからリコリスは少し、悲しそうに言った。
「しかし……メルゴス神はディシウス神に犯されたことを恨みに思ったようです。また、一説にはユーラ神に呪われ、狂気を吹き込まれたとも言われます。メルゴス神はディシウス神に対し反旗を翻し、敗北。そしてアルティシーナ神の『蛇の瞳』に呪われ、醜い姿に代えられ、島流しにされます」
するとレオニダスは声を上げた。
「聞いたことあるぞ? 確か……その後、俺と同様の半神の英雄が、アルティシーナ神の援助を受けてメルゴス神を打ち倒すんだろ? そしてその英雄は後にアルティシーナ王国の王になった」
「ええ、そうです。……どうしてそこだけお知りに?」
「英雄譚って、カッコイイじゃないか」
レオニダスがそう言うと、リコリスは苦笑いを浮かべた。
何とも、男の子らしい理由である。
「ねえ、リコリス。それって……違うパターンの神話もあるわよね?」
「ええ、まあ……大まかな流れは大体同じですけど」
「私、その……アルティシーナ神がメルゴス神を嵌めたっていう話を聞いたことがあるんだけど」
アレクサンドラは小さな、低い声で言った。
優雅に珈琲を飲んでいたティシアの手も、止まる。
リコリスは小さく頷いた。
「多分それは……ええ、あります」
リコリスは一息置いてから、口を開いた。
「アルティシーナ神の、寝取りと母殺し神話ですね?」




