第9話 聖女の光と、悪役令嬢の影
あれから、二年半が過ぎた。
最終学年の秋。校庭の並木は、薄紅色の花から、燃えるような赤い葉へと姿を変えている。
卒業まで、あと半年。
私のノートは、赤い線で消された項目だらけになっていた。
『ヒロインにはとにかく優しく』→効果なし
『王太子との婚約は穏便に解消』→書類紛失
『国外の親戚に連絡を取っておく』→断られた
『信頼できる味方を増やす』→全員離脱
ページをめくるたびに、胸の底が重くなる。
(それでも、まだ断罪されたわけじゃない)
そう自分に言い聞かせて、私は今日も、学園の門をくぐった。
その日、学園の大聖堂に、全校生徒が集められた。
高い天井にステンドグラスの光が落ちて、床に色とりどりの模様を描いている。
祭壇の前に立っているのは、白い礼服をまとった司祭と、その隣で、胸の前で手を組むミナだった。
「これより、聖なる祈りの儀を執り行います」
司祭の厳かな声が響く。
ミナが、そっと目を閉じた。
その瞬間だった。
祭壇の上に飾られていた、枯れかけた白い花束から、ぱあっと光が溢れた。
しおれていた花びらが、ひとひら、またひとひらと、瑞々しく開いていく。
そして、聖堂全体が、柔らかな金色に包まれた。
「おお……!」
「奇跡だ!」
あちこちから、どよめきと歓声が上がる。
司祭が、震える声で宣言した。
「間違いございません。ミナ・リーヴェ嬢は、聖女として覚醒されました!」
割れんばかりの拍手。
その中心で、レオンハルトが一歩進み出て、ミナの手を取った。
「ミナ。君は、この国の宝だ」
「殿下……!」
頬を染めて微笑む二人の姿は、まるで一枚の絵のようだった。
私は、聖堂の最後列で、ただそれを見つめていた。
(……聖女覚醒イベント、ね)
画面の中で、何度も見た場面だ。
ヒロインが聖女として認められる、物語の最初の山場。
この日を境に、ミナの人気は爆発的に高まる。
そして、悪役令嬢に向けられる周囲の目は、一気に厳しくなる。
「あんな素晴らしい聖女様をいじめるなんて、許せない」
プレイヤーとして見ていた時は、そう思ってもらうための演出だと、冷静に理解していた。
それが今、自分の身に降りかかろうとしている。
その予感は、数日後に、現実になった。
「聞いた? ミナ様が、階段から落ちて怪我をなさったそうよ」
「ええ、足首を捻挫されたとか。それがね、突き落とされたかもしれないって」
「誰に?」
「決まっているでしょう。あのローゼンベルク様よ」
廊下の角で、そんな会話が聞こえてきた。
足が止まる。
心臓が、どくんと嫌な音を立てた。
(私……? その時間、私は図書室で課題を書いていたのに)
けれど、私が潔白を証明する前に、噂は、尾ひれをつけて広がっていった。
目撃したという令嬢が、三人も現れた。
アルヴィンが「お嬢様は図書室におられました」と証言しても、人々は首を横に振った。
「護衛騎士が主人を庇うのは当たり前だ」
「身内の証言など、信用に値しない」
誰も、私の話を聞こうとしない。
聖女の怪我は、それほどまでに、学園の人々の心を揺さぶっていた。
その夜、私は、父の書斎に呼び出された。
重厚な机の向こうで、父は、両手を組んで、険しい顔をしていた。
傍らには、母が冷たい視線で立っている。
「セレスティア。聖女様の件は、聞いている」
「お父様、誤解です。私は何もしておりません」
「真偽は、問題ではない」
父の声は、静かで、だからこそ恐ろしかった。
「聖女様は、国の宝だ。その聖女様に敵意を向けたと見なされることが、公爵家にとってどれほどの損失か、わかるか」
「ですが、お父様……!」
「余計な騒ぎを起こすな。王家にも、聖女様にも、決して逆らうな。それが、お前に求める全てだ」
喉の奥が、ぎゅっと詰まった。
味方になってくれるはずの家族から、そんな言葉を聞くなんて。
「……もし、無実の罪を着せられた時は」
「その時は、その時だ」
母が、ふいと目を逸らした。
「公爵家のために、お前一人が泣くことになっても、仕方のないことよ」
部屋の空気が、凍りついた気がした。
私は、ゆっくりと、頭を下げた。
「……はい」
それ以外に、言える言葉が、なかった。
自室のバルコニーに出ると、冷たい夜風が頬を刺した。
空には、欠けた月が、白く浮かんでいる。
私は、手すりに額を押しつけて、目を閉じた。
(私は、どうしたら……)
味方は、誰もいない。
家族も、友人も、使用人も。
この世界の全てが、私を悪役にしようとしているみたいだった。
卒業まで、あと半年。
それは、断罪までの、カウントダウンだ。
震える吐息が、白く曇って、夜の闇に溶けていった。




