第3話 破滅回避計画、始動
十六歳になった春。
私は、王立学園の正門の前に立っていた。
白い石造りの門と、その向こうに続く並木道。桜に似た薄紅色の花が、風に舞っている。
ゲームのオープニングで見た光景そのままだった。
(来てしまったわね……)
喉の奥がきゅっと締まる。
ここから卒業までが、すべての勝負。
「お嬢様、顔色が優れませんが」
すぐ隣から、落ち着いた声が降ってきた。
振り向くと、騎士の制服をまとったアルヴィンが、気遣うように私を見下ろしている。
十八歳になった彼は、背がすっかり伸びて、私より頭一つ分も高い。
整った顔立ちと、黒髪に映える青灰色の瞳。入学前から、令嬢たちの間で「ローゼンベルク家の護衛騎士様は素敵だ」と噂になっていたらしい。
「大丈夫よ。少し緊張しているだけ」
「無理はなさらないでください。何かあれば、すぐに僕を呼んでくださいね」
「ええ。ありがとう」
私は深呼吸して、並木道へと足を踏み出した。
頭の中で、破滅回避計画の三本柱を、もう一度なぞる。
一つ、ヒロインには、絶対に意地悪をしない。
二つ、王太子殿下とは、必要以上に距離を置く。
三つ、味方を増やして、孤立しないようにする。
(大丈夫。この四年間、ずっと準備してきたもの)
そう自分に言い聞かせた、その時だった。
どんっ、と、背中に軽い衝撃が走った。
「きゃっ!」
高い悲鳴とともに、足元に、何冊もの本が散らばる。
振り返ると、栗色の髪をした小柄な少女が、尻もちをついていた。
淡い桃色の瞳。守ってあげたくなるような、小動物めいた雰囲気。
(……っ!)
間違いない。
ゲームのヒロイン。ミナ・リーヴェ。
入学初日の最初のイベント、「ぶつかりイベント」だ。
ゲームでは、この場面で、セレスティアはこう言い放つ。
「平民上がりが、どこを見て歩いているの! 私の服が汚れたらどうしてくれるのよ!」
泣き出すヒロインを、冷たく見下ろして。
それが、すべての因縁の始まりだった。
画面の前の私は、いつも思っていた。
どうしてこの悪役令嬢は、もう少し優しくできないのだろう、と。
まさか自分が、その台詞を言う側になるなんて。
私はすぐにしゃがみ込んで、散らばった本を拾い集めた。
「大丈夫? 怪我はない?」
ミナが、驚いたように顔を上げる。
「え……あの……」
「こちらこそ、ぼうっとしていてごめんなさい。立てるかしら」
手を差し出すと、ミナは目を丸くして、それから、おずおずと私の手を取った。
「あ、ありがとうございます……! 私、ミナ・リーヴェと申します。今日から、ここに通うことになって」
「私はセレスティア・ローゼンベルク。私も今日から、同じ学年なの。どうぞ、仲良くしてね」
精一杯の、柔らかい笑顔を作る。
(よし。イベントは回避できた。これで、第一関門は突破よ)
けれど。
ミナの唇が、ほんの一瞬だけ、きゅっと歪んだ気がした。
笑っているのに、目の奥だけが、笑っていない。
「ありがとうございます、セレスティア様。とってもお優しいんですね」
その声は、甘くて、可愛らしくて、それなのに、背中に冷たいものが走った。
(……気のせい、よね?)
私は軽く会釈して、その場を離れる。
背後から、ミナの視線が、じっと私を追ってくるのを、肌で感じていた。
入学式の会場である大講堂は、新入生たちのざわめきで満ちていた。
やがて、新入生代表の名が呼ばれ、一人の青年が壇上に立った。
金色の髪に、碧い瞳。
整いすぎた顔立ちは、どこか作り物めいて見える。
王太子レオンハルト殿下。
私の、婚約者。
「……お久しぶりでございます、殿下」
式の後、形式どおりの挨拶に向かうと、レオンハルトは、ほとんど私を見ないまま頷いた。
「ああ、セレスティアか。変わりないようで何よりだ」
「恐れ入ります」
会話は、それだけ。
四年間、婚約者としての顔合わせは何度もあったけれど、一度も、彼の目に温度が宿ったことはなかった。
(ゲームの設定どおりね。政略結婚で、愛情はない……)
むしろ、好都合だ。
どうせ解消するつもりの婚約なのだから、深入りされないほうがいい。
「では、失礼いたします」
私は一礼して、その場を離れた。
背中に、視線を感じる。
けれどそれは、私に向けられたものではなかった。
講堂の端で友人たちと談笑するミナを、レオンハルトの碧い瞳が、じっと追っていたのだ。
(もう、始まっているのね)
恋の始まりを告げる、最初の視線。
ゲームの中の、ヒロインと王太子の物語が、今まさに動き出している。
私はぎゅっと、扇を握りしめた。
その時、そっと、隣に人の気配が寄り添った。
「お嬢様」
低く、囁くような声。
「何も間違っていません。お嬢様は、完璧でした」
アルヴィンだった。
誰にも聞こえないくらいの、小さな声で。
「僕が、見ていましたから」
その言葉に、肩の力がすっと抜ける。
(……この人がいてくれて、本当によかった)
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
彼の瞳の奥に、静かな炎のようなものが灯っていたことに、私はまだ、気づいていなかった。




