第9話:あなたのための万年筆と、私だけのお誘い
ゼルク城で迎えた、二度目の月次報告会。
私が来て六週間。輸送便の組み替えは一部の路線で始まり、空荷の便と費用が減っていた。
橋の補修が済むまで変えられない路線もある。全体の効果は、冬を越して確かめる必要があった。
それでも、机上の案が実際の荷車を動かしたことは嬉しかった。
「次も、この形で進めましょう」
マルタが議事録を閉じ、担当者たちと労をねぎらう。
私は会議の調整と通商事務を任されるようになり、彼女の推薦で筆頭内政補佐官への任命を受けた。
何でも一人で処理する役ではない。必要な人へ相談をつなぎ、決裁を滞らせない役なのだと、今なら分かる。
その夜、クラウスと図書室で会う約束をしていた。
最近は、仕事を終えた後にお茶を飲むことが増えていた。私が冒険小説を読むと知ってから、彼は昔好きだった本を持ってきてくれる。
今日はその感想を話すつもりだったのに、卓の上に細長い箱が置かれていた。
「任命のお祝い、ということではない」
私が尋ねるより早く、彼が言った。
「報酬は職務規程の通りだ。これは、私個人から君へ贈りたい」
箱を開くと、藍色の軸に銀の細工を施した万年筆があった。
光を受けて、細い蔓草の模様が浮かぶ。
「いつものペン先を、何度も拭いていただろう。引っかかるのかと思って」
「気づいていらしたんですか」
「目の前で使っているからな」
彼は少し視線を逸らした。
先日、好みの太さを聞かれたのは、このためだったらしい。城へ来る文具職人に、私が書きやすい形を頼んでくれたという。
「合わなければ、調整できるそうだ。試してみてくれ」
用意された紙に、自分の名前を書いた。
ペン先が滑り、深い青の線が残る。
嬉しくて、意味もなくもう一度書きたくなった。
「ありがとうございます。大切にします」
ほっとした彼の顔が、万年筆と同じくらい嬉しかった。
私は箱を胸元へ寄せた。
「これで、もっと仕事が捗りますね」
「……仕事以外にも、使ってくれると嬉しい」
意外な言葉に顔を上げる。
クラウスは、卓の小説へ視線を落とした。
「読みたい本を書き留めるとか。友人へ手紙を書くとか。君が自分のために使う時間にも、そばにあるものを贈りたかった」
返事が、すぐに出なかった。
仕事に励む私を見てくれているだけではない。
仕事をしていない私の時間まで、彼は思い描いてくれたのだ。
私は白紙を一枚引き寄せた。
贈られたばかりのペンで、ゆっくり書く。
『次の休日、東の書店へ一緒に行きませんか。エレノア』
紙を差し出すと、クラウスが目を瞬いた。
「私に?」
「他にどなたが?」
言ってから、急に恥ずかしくなった。
机の下で足を揃える。彼はその紙を丁寧に読み、胸の内ポケットへ収めた。
「ぜひ。朝からでも構わないだろうか」
「はい。私も、一日空けておきます」
少し長い沈黙があった。
でも、埋める話題を探す必要はなかった。互いの顔を見れば、同じことを楽しみにしていると分かったからだ。
机にはまだ、未使用の紙が何枚も残っていた。
新しい万年筆で最初に書いた約束は、締切ではなく、好きになりかけている人と会う日だった。




