第10話:王宮からの通告と、読まなかった注意書き
ルディ王国のローガン侯爵邸に、王宮財務局の査察官が来た。
婚約解消から数週間。エレノアからの返済請求に応じられず、裁判所が財産保全を命じたため、すでに屋敷の高価な調度品には目録の札がついていた。
だが、今回の訪問は借金だけの話ではなかった。
「工事専用口座から、貴殿の私的な支出へ金が移されています。説明を求めます」
査察官が並べたのは、帳簿の写しと宝飾店の受領書だった。
会計係からの報告を受け、財務局は支払先への照会を進めていたのである。
「一時的に借りただけだ。返せば済む」
「返済する予定があったとしても、無断で使ってよい金ではありません」
セドリックは唇を歪めた。
「エレノアの仕事だ。あいつが上手く処理していれば――」
査察官は、別の紙を置いた。
彼女の引継書にあった注意事項と、セドリック自身が署名した出金指示だった。
「エレノア嬢は止めています。こちらでは、あなたが担当者に別帳簿へ記載するよう命じていますね」
逃げ道を塞ぐものが、どれも彼自身の署名だった。
扉のそばには、領地から戻ってきたローガン侯爵が座っていた。
息子へ実務を任せ、結果だけを受け取ってきた父親も、監督責任を問われていた。すでに領地の会計と工事は王宮の管理人へ移され、家の支出も厳しく制限されている。
「セドリック。まず、聞かれたことに答えろ」
「父上まで私を疑うのですか!」
「疑いで済むうちに、お前の帳簿を見るべきだった」
侯爵の声は疲れ切っていた。
セドリックは顔を背けた。
リリアンの姿は、もう屋敷になかった。
数日前、セドリックから預かっていた鍵で宝飾品の保管庫を開け、中の品を持ち出していた。換金を頼まれた商人が、売却を制限された目録にある品だと気づき、警吏へ知らせたのだ。
追及を受けた彼女は、セドリックから贈られた品と、屋敷の所有物が混じっていることを認めたという。
贈り物だと思っていた品の購入日まで調べられ、工事資金の流用がさらに明るみに出た。
「リリアンが勝手にやったことだ」
「持ち出しについては、本人から聞いています。こちらの購入を指示したのは、どなたですか」
また、セドリックの署名が示された。
査察官は七日後の出頭日を告げた。
その場で身柄を拘束する命令はなかったが、照会には応じ、呼び出しを無視しないよう念を押された。
彼らが帰ると、セドリックは椅子へ崩れ落ちた。
「……エレノアなら、何とかする」
かつて返済が滞りそうになった時、取引先を回ったのは彼女だった。
期限を延ばしてもらい、自分の金まで貸してくれた。その結果だけを見ていた彼には、今回も同じことができるはずだと思えた。
その金がもう戻っていないことも、彼女がどれほど頭を下げたかも、考えようとしなかった。
夜になると、彼は残っていた自分の小遣いをかき集めた。
国境へ行って、直接言えばいい。代理人からは拒絶の通知が来たが、本人が書いた返事ではない。手紙は誰かに止められているのかもしれない。
彼女が自分の意思で返事をしないという可能性だけは、認められなかった。
その夜、セドリックは侯爵家の馬車ではなく、国境へ向かう夜行の乗合馬車へ乗った。
狭い席に苛立ち、到着まで何度も時計を見る。
彼が膝に握りしめていたのは、エレノアへ贈った指輪だった。
返却されたものを突き返せば、まだ元通りになると思っていた。
翌朝、屋敷では会計係が、ようやく決裁された支払指示を受け取っていた。
王宮の管理人が、使用人の給与と工事費を優先して払うと決めたのだ。
止まっていた仕事は、エレノアを呼び戻さずに動き始めた。
彼女にしかできなかったのではない。
彼女以外の誰にも、責任を取らせるつもりがなかった者が、一人去ったのだった。




