第4話:「可愛げがない」と言われた私の仕事に、値段がつきました
ゼルク城で目を覚ました時、窓の外は夕焼けだった。
洗ってもらった足の擦り傷には薬が塗られ、寝台の脇には柔らかな室内履きが揃えてある。
こんな時間まで眠ってしまった、と一瞬青ざめた。
けれど扉を叩いた侍女は、微笑んだだけだった。
「お食事をお持ちしてもよろしいですか」
早く仕事をしろ、とは言われない。
そのことが、まだ少し不思議だった。
翌日、私は城の財務室を訪れた。
室長のマルタは、年配の落ち着いた女性だった。私の経歴を聞き取ると、まず公開済みの通達と、機密を除いた輸送費の集計を机へ置いた。
「経歴の照会が済むまで、原簿はお渡しできません。この範囲で気づくことがあれば、お聞かせください」
「承知しました」
最初に目についたのは、穀物を運ぶ荷馬車の帰路が、ほとんど空になっていることだった。
地図では、少し道を変えれば製材所に寄れる。城で使う木材を帰りに積めれば、別便を減らせるかもしれない。
「ただ、橋の耐荷重と、荷台の清掃にかかる時間が分かりません。運送組合に確認はできますか」
マルタが頷く。
「組み合わせる案はあったのですが、軍の調達と民間の輸送で担当が違いましてね。契約を一緒に見直すところまで進まずにいました」
人が怠けているわけではなかった。
別々の机に載った事情を、同じ場所へ集める人が足りなかったのだ。
私は確認事項を書き出した。王国側の通行税には、条約の特例が使える可能性もある。ただし、還付を受けられるかは荷の受領記録次第だった。
大きな数字を書いて喜ぶ前に、まず証拠を揃えなくてはならない。
昼過ぎにクラウスが来た時、机の上は質問の紙でいっぱいになっていた。
「もう改善案が?」
「まだ、確かめたいことの一覧です。うまくいけば定期便を減らせますが、今ある資料だけで節減額までは言えません」
彼は紙に目を通し、マルタの説明を聞いた。
「軍の担当者を明日の打ち合わせに出そう。橋は工務官に調べさせる」
簡潔な決定に、私は思わず顔を上げた。
セドリックには「細かいことは勝手にやれ」と言われ、必要な署名一つをもらうのに何日もかかったのに。
「どうした?」
「いえ。相談に答えていただけると、こんなに早いのですね」
クラウスの視線が、一瞬止まった。
彼は紙を丁寧に机へ戻した。
「決めるのは私の仕事だ。君に、待たせた責任まで負わせるつもりはない」
その日の夕方、私は一か月を上限とする試用契約を受け取った。経歴の確認と評価が済めば、期間中でも本採用に切り替えられるという。試用中に必要な仮の就労許可も添えてあった。
担当するのは通商実務の補佐。給与、休暇、退職時の手続きが明記され、故国での婚約問題は雇用条件に含まれていなかった。
「不都合があれば、署名前に言ってくれ」
私は一か所を指した。
「成果の報告には、実務を担当した方のお名前も載せていただきたいです。私だけでは、この案は動きませんから」
クラウスはマルタを見て頷き、条項を加えた。
たったそれだけなのに、胸が熱くなった。
私は署名した。
婚約者になるためでも、誰かの機嫌を損ねないためでもない。自分の仕事を、自分で選ぶための署名だった。
立ち上がろうとした拍子に、裾が椅子へ引っかかった。
よろめいた私に、クラウスが手を差し出す。掴まると、支える力は強いのに、指先は驚くほど慎重だった。
「失礼しました。最後に締まりませんね」
「いや」
彼が少し笑った。
「契約書を読む時はあれほど動じないのに、裾には負けるのだな」
「布地とは交渉できませんので」
マルタが咳払いで笑いを隠した。
私まで可笑しくなって、声を立てて笑ってしまう。
クラウスは手を離した後も、しばらく私を見ていた。
「何か?」
「……いや。よく眠れたようで、安心した」
その声があまりに優しくて、私は契約書へ目を落とした。
書類の条件には、頬が熱くなる理由までは書かれていなかった。




