第12話:国境の向こうから聞こえた「迎えに来てやった」
国境市場の視察は、月に一度、関所と運送組合が合同で行っていた。
私が初めて参加したのは、クラウスと気持ちを確かめ合った翌朝だった。
昨夜のことを思い出すたび頬が熱くなるので、努めて報告書へ集中する。
「次は、貨物窓口の聞き取りです。閣下」
「分かった。エレノア補佐官」
彼の声も、いつもより少し硬かった。
目が合うと同時に逸らしてしまい、傍らのマルタが、笑いを隠すように資料を揃えた。
関所では、以前のように免税貨物と一般貨物が一つの列へ混じらないよう、案内板が増えていた。
すべての混雑がなくなったわけではない。荷の検査は必要だし、市場の朝はどうしても人が多い。
それでも、間違った窓口に並び直す商人は減っていた。
「昨日の雨では、こちらの庇が助かりましたよ」
最初の日に薬草を運んでいた商人が声をかけてくれた。
私は屋根を見上げ、工務官の方へ礼を向けた。
自分の書いた紙の先に、濡れずに済む人がいる。それを直接見られるのが、何より嬉しかった。
その時、旅客窓口の方から怒声が響いた。
「面会を申し込んでいるだろう! ローガン侯爵家の者だと言っている!」
肩が、勝手に強張った。
聞き間違えようのない声だった。
クラウスが私を見る。
私は小さく頷いた。
「セドリック様です」
彼はすぐに護衛へ目配せし、私たちを建物の陰へ移した。
係官の報告によると、セドリックは夜行の乗合馬車で、今朝到着したという。入国審査で滞在先を尋ねられ、私に会うと言い張っているらしい。
係は城へ照会しようとして、私たちが視察に来ていることを知ったのだ。
「面会は断れます。このまま城へ戻ることもできます」
係官が説明した。
私は通路の先を見た。柵の向こうに、埃のついた上着姿のセドリックがいる。
手に持っている小箱に、見覚えがあった。
足の裏が、あの夜の薄い靴底を思い出す。
暖かい場所にいるのに、指先が冷えた。
「エレノア」
クラウスが、低く呼びかけた。
「今、返事をしなくてもいい。座ろう」
用意された椅子へ腰を下ろし、私は息を整えた。
ここには兵士がいる。扉がある。戻れる城がある。
何より、あの人に従う必要がない。
「話すなら、柵越しで。兵士の方にも立ち会っていただけますか」
「可能です。ですが、途中で止めたくなったら、すぐにお知らせください」
私は頷いた。
手紙では伝わらなかったとしても、納得するまで説得を続けるつもりはなかった。ただ、自分の口で拒絶することを、今は選びたかった。
立ち上がると、クラウスは脇へ退いた。
前へ出る私を引き留めず、かといって一人にもしない。
その距離が心強かった。
「エレノア!」
私の姿を見つけたセドリックが、顔を輝かせた。
こんなに怒鳴っていても、まだ自分は歓迎されると思っているのだ。
「ようやく出てきたか。さあ、戻るぞ。迎えに来てやった!」
兵士たちの表情が硬くなった。
私は柵から十分に離れた位置で足を止め、背筋を伸ばした。
ここで、顔色を読む必要はない。
息を吸い、まず一つ、はっきりと告げた。
「私は、あなたを待っていたのではありません」




