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図書室に入ると、いつものテーブルにハイドラがいた。
レイスリーネに気づいて立ち上がる。
近づいてもどういう態度をとったらいいかわからなくて黙っていると、ハイドラが頭を下げた。
銀色の髪がさらりと流れる。
「昨日はすみません」
「えと、あの、頭上げて」
レイスリーネの言葉にハイドラはゆっくりと頭を上げた。
そのお月様色の瞳がまっすぐにレイスリーネを貫く。
「昨日は私の言い分だけで一方的に叱ってしまいました」
「いいよ、わかってる。ハイドラは間違ってない」
「だからってあなたの今までを否定していいわけではありません。すみません、あなただって次期辺境伯のプレッシャーなんかがあったと思いますから」
ハイドラの言葉にレイスリーネはぱちりと瞬いた。
プレッシャーの有無なんて、誰にも気にされたことはない。
「わかるの?」
「なんとなく。私もそれなりにプレッシャーを与えられる立場だったので。ベアトリーチェ様に一切の瑕疵をつけてはいけないと」
「本人が無駄にしちゃったけどね」
小さく笑えば、ハイドラも同じように笑った。
(お月様、昨日みたいに怖くない)
昨日の目だって怖かったけれど、綺麗だった。
けれど、レイスリーネはこっちの方がいい。
「だからあんなに感情的になってはいけなかった。でも、あなたが自分から危険に飛び込んでほしくない。自分を犠牲にしてほしくないんです」
「そんなつもりは」
「自覚があるでしょう?自分が頑張ればいいと」
その言葉に何か言いたくてはくはくと口を動かすけれど、何も言葉は出なかった。
「一人で頑張らないでください。今は私がいます。できれば隣に立たせてほしい」
そこまで言って、わずかにハイドラの目が瞠られた。
一瞬目が伏せられて、睫毛が頬に影を落とす。
「ああ、なるほど。そういうことか」
何か腑に落ちたようにハイドラがぽつりと呟いた。
まるで納得できる答えを見つけたような反応だ。
そして何かを決めたような、強い光が瞳に宿る。
何だろうと小首を傾げると「なんでもありません」と言われた。
「あなたは、ずっと一人で頑張ってきたんだと思います」
その言葉に何だか虚勢が張れなかった。
「……家族には見栄張ってた。しっかりしたところしか見せたくなかったよ。ハイドラには駄目なところを怒られるくらい見せちゃったけど」
「見せてもいいんです。私は見せてくれた方が嬉しい」
「嬉しい?」
「隠してたことを見せてしまうくらい気を許しているということでしょう?」
「そんなんじゃないよ」
何だかむずむずとした感覚に、ぷいと子供っぽくそっぽを向いた。
「でも無茶をしたら怒ります」
「じゃあ隠す」
「隠すのは駄目です」
「何それずるい」
「ずるくて結構。私はあなたを大切に思っています。ただそれだけを、覚えていてください」
微笑んだハイドラは、はじめて会ったときよりも柔らかくて優しい表情をしていた。
その顔を見ながら半年前とは全然違うなと思ったところで、あと数週間で学園の入学式だと思いだした。
このままいけば、二人は婚約者として王都に戻ることになる。
これはハイドラの安全と療養のためのもので、レイスリーネが勝手に決めた婚約だ。
ちゃんとハイドラの安全が確保されたら、解消するべき婚約。
次期辺境伯と公爵家の嫡男なのだ。
どちらも責任ある立場なのはわかっている。
そのことに思いいたると、ひどく胸のなかが気持ち悪くなった。
出来ればもうちょっとこのままでいたいと思う。
「あのさ、もうすぐ入学式じゃない」
「? そうですね」
ここにいるから騒がれないだけで、社交デビューの夜会で何があったかは広がっているだろう。
半年たっているけれど、同じ学年は全員見ている。
このまま婚約していていいのかと、レイスリーネの頭に疑問が浮かんだ。
(あっちに行く前に婚約解消した方がいいのかな)
このままレイスリーネが婚約していたら、ハイドラに新しい婚約者なんて出来ない。
けれど、まだベアトリーチェが婚約していない以上、安全は確保されていないのだ。
疲れ切ったハイドラの姿を思い出す。
(あの場所には、絶対に戻したくない)
かと言って、堂々と婚約者として胸を張れるかというとそうはいかない。
自分を卑下する気はないけれど、レイスリーネは他のご令嬢と自分があきらかに違う自覚がある。
どうしようと堂々巡りをしていると、「レイスリーネ?」と顔を覗き込まれた。
それに思わず眉を下げる。
「どうしました?」
「いや、さ。もうすぐ入学式じゃない?この婚約したまま王都に行くのってハイドラにとってよくない、かなって」
「いいえ」
しどろもどろに口を開くと、間髪いれずに返事をされた。
ぱちぱちと何度もレイスリーネの睫毛が上下する。
「私はあなたといられて嬉しいですよ」
「嬉しい?それは、私がハイドラを助けたから?」
「一応そうですね」
「一応?」
「一応」
どういう意味だろう。
けれど、こう言うということは嫌ではないということだろうか。
「ええと、じゃあ婚約はこのままでいいの?」
「このままがいいです」
「そっか」
自分が好きな満月のような目にまっすぐ見られて、なんだかはじめて恥ずかしいと思ったレイスリーネは、ごまかすように顔を少し下に向けてパールピンクの髪で隠した。




