18
その日の夕食の席。
タッシェにそっと告げるのかと思いきや、ハイドラは全員が揃っている夕飯の席で堂々と昼間宣言したことを告げた。
そしてやっぱり許可じゃなくて報告だった。
まさかこんなところで報告されるなんて思っていなかった。
吃驚した以上に撤回や拒否を絶対させない気概を感じる。
そして両親に賛成された。
なんだかハイドラへの信頼度が高い。
いいことだから別にかまわないけれど、解せない。
この報告にはリルルが手放しで喜んだ。
「全部倒してもらいなさい」
なんてことを言い放つくらいには。
そんなわけにはいくか。
そういうことで昼間のハイドラの提案はあっさりまとまってしまった。
早々に来週あたり、森へ行くことが決定したのだった。
□ □ □ □
二人でテーブルについて、真剣な顔でペンを動かしていた。
二人というのは語弊がある。
ハイドラは余裕のある表情で、レイスリーネは真剣だった。
ただいま二人は勉強中である。
入学式前にテストがあるので、ハイドラにわからないところを教えてもらっているのだ。
そもそも平民もいるけれど、学園入学は貴族の義務なので試験で合否が決まるなんてない。
ただたんに自分のレベルを知っておきなさいというテストだ。
正直、レベルの把握なんて一回目の中間考査でいいじゃないかと思う。
レイスリーネはそれなりの学力はあるけれど、やはり得意不得意はある。
現在その不得意科目をハイドラに教えてもらっている最中だった。
「ハイドラって教え方うまいよね」
「それならよかったです」
ノートを見ながら、レイスリーネは感心したように頷いた。
「噛み砕いてくれるから、こんがらがったところが、ちゃんとほどけていく」
「もともとレイスリーネの理解力があるからですよ」
「いやあ、それはどうかな」
ハイドラの力がとても大きいと思う。
レイスリーネの理解力は一般レベルなので、こんなに早く苦手意識がなくなるわけがない。
ちょうど一息ついたところだったので、レイスリーネは腕をグンと上に伸ばした。
固まっていた筋肉がほぐれて気持ちいい。
「私は後継者教育もほぼ終わっていますからね。同年代より少し有利なので教えられるだけですよ」
「この年でほぼ終わってるのも詰め込み教育すぎて虐待だと思う」
思わず真顔になってしまった。
公爵家は悪くないことは一応わかっているけれど。
苦い顔になってしまう。
ちょっと説教案件ではなかろうかとレイスリーネは憤った。
そんな言葉を交わしていると、部屋のドアが開いてタッシェが入ってきた。
「あれ、お父様どうしたの?」
「バレンチェイド公爵からの伝言だ」
「父上からですか?」
タッシェの言葉に、ハイドラの背が今まで以上にピッと伸びる。
「ベアトリーチェ様との婚約は、あちらの有責で破棄されたそうだ。その際にいくつか条件をつけたそうだから、あとで確認してもらう」
「よく受け入れましたね」
確認という言葉に頷きながらも、ハイドラは驚いた顔そのままにまじまじとタッシェを見つめた。
「てっきり解消かと思っていたんですが」
「王太子殿下が働きかけてくださったらしい」
「殿下が……」
ハイドラがぽつりと零すと、タッシェが訳知り顔で頷いた。
「殿下はベアトリーチェ様を事あるごとに矯正しようと奮闘されているそうだからな。おそらくご自分が即位したときに不穏分子を手元に置いておきたくないんだろう」
妹に対してなかなか辛辣らしい。
レイスリーネは王太子のことはほぼ知らない。
知っているのはひとつ年上ということだけだ。
「王太子殿下ってどんな方?」
「穏やかな方ですね。そして公正な方でもあります。だからいつもベアトリーチェ様をたしなめていましたよ。ベアトリーチェ様はそれが嫌だったようで殿下から距離を置いていました」
「ベアトリーチェ様ってこの先、大丈夫なの?」
大丈夫じゃない気がする。
それが顔に丸出しだったのだろう。
ハイドラが苦笑した。
「新しい婚約を結んで降嫁するか……ご本人は公爵の爵位をもらうつもりのようでした」
「今のところ、その予定はないだろう」
ハイドラのあとに続くようにタッシェが口を開いた。
その声には呆れが滲んでいる。
「高位貴族は年が多少離れていても打診すればと思っているかもしれないが、ハイドラ殿の扱いを見ているから、どこも速やかに相手を見つけて婚約を結ぶ動きがある。かといってあの時ベアトリーチェ様の横にいたのは伯爵家の次男だそうだから、嫁いだところで平民だ」
「うわあ……じゃあ公爵になって、その次男が婿入り?」
「それも可能性は低い。ベアトリーチェ様は今年学園に入学だ。殿下がそういった方針を今決めるべきではないと、陛下に陳言しているそうだからな」
王太子は仕事が出来るタイプなのだろうかと不敬なことを考えていると、ハイドラも顎に指を添えて考えるように睫毛を伏せた。
銀色が頬に影を落とす。
「王妃様がいま国内にいらっしゃいませんからね。そのせいでベアトリーチェ様があんなに自由に動けているというのもあります。王妃様はベアトリーチェ様に爵位を、とは言わないかと思いますし」
どうやらだいぶ厳しい人らしい。
現在他国を外交でまわっている最中らしく、しばらく帰ってこないのもベアトリーチェの暴挙の理由だったようだ。
「王妃様がご不在なので、陛下やベアトリーチェ様を諫められる方がいらっしゃらないんですよ」
「駄目じゃない」
「レイスリーネ」
「黙ってます」
口を開かないと主張するように両手で軽く唇を押さえる。
隣から聞こえるかどうかの吐息が聞こえて、横目に隣を見やるとハイドラの口元がかすかに上がっていた。
今そんな笑うやりとりがあっただろうかと不思議に思う。
そんなことには気づかず、タッシェが苦虫を噛んだような表情ではあと嘆息した。
「王太后様が動けば変わるかもしれないがな。厳格な方で陛下が即位するまで叱り飛ばしていらっしゃった。今は表舞台に立たれる気はないと、王都の東にある離宮にいらっしゃる」
「じゃあベアトリーチェ様はストッパー無しで、やりたい放題」
「言い方を選びなさい」
「はあい」
結局口にしてしまったレイスリーネに、諦めたようにタッシェががくりと肩を落とす。
ハイドラがこの空気にどうすればととまどっていると、気を取りなおしたようにタッシェが居ずまいを正した。
「まあとりあえず。ハイドラ殿、君は自由だ」
「あ、りがとう、ございます」
実感が湧かないのか、ハイドラがぎこちなく礼を言う。
それにひとつ頷くと、タッシェが一枚の紙を取り出してテーブルに広げた。
「それで、バレンチェイド公爵から婚約の締結書が届いた」
「「あ!」」
タッシェの言葉にハイドラとレイスリーネの声が見事に被った。
そういえばと、レイスリーネも思い出す。
言いだしたのは自分なのに、ハイドラを元気にすることに気をとられてすっかり忘れていた。
「バレンチェイド公爵のサインはもう入っている。二人がよければ、私のサインを入れて返送するが、どうする?」
「ええと……」
具体的な話をされて、レイスリーネは一瞬口ごもった。
何だか心臓の動きが早くなってきたのだ。
もはやバクバクと音まで聞こえてきそうなほどだ。
誰にも聞こえてくれるなと祈ってしまう。
(なんか、なんか!おかしい!)
内心動揺しながらもハイドラをチラリと見ると、こちらを見ていたお月様色の瞳とバチリと目が合った。
なんか心臓の動きが酷くなった気がして、パッと顔をタッシェへと勢いよく向ける。
「もちろんじゃない!最初からそのつもりだったし、サインお願いね!」
どう聞いても、ひっくり返った声だった。
自分では冷静に答えたはずだけれど、どう聞いても冷静ではない。
「レイスリーネ、無理をしなくてかまいません。私のことなら気にしないでください」
ハイドラの気遣う言葉と声に、少々イラッとした。
先ほどまでの態度と一変、勢いよくハイドラの方を向いてでかい声を出す。
「無理なんてしてないよ。ハイドラといるのは楽しんでるから、気にしないで!」
「それならいいのですが」
およそ淑女とは程遠い声で言い切ると、ハイドラが気圧されたように返事を返す。
二人のその様子を見て「じゃあサインしておくぞ」とタッシェは書類を手に、さっさと退室してしまった。
そして室内がシーンと静まりかえる。
婚約が成立した二人とは思えないくらい、重い沈黙だ。
「レイスリーネ、私のことは構わず、嫌になったらいつでも言ってくださいね」
レイスリーネはその言葉にむっとして、返事を返さずぷいとそっぽを向いた。
(まるで私が嫌々一緒にいるみたいじゃない)
ぶすっと唇を尖らせる。
そんな表情でもレイスリーネの顔は可憐で繊細だった。
たとえイライラとしていても。
(気に入らない)
一緒にいるのは楽しかったのに、久しぶりにそんな気分を味わった。




