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「あの、やっぱりやめにしない?」
「駄目です」
「うぐぅ」
いつからそんなハッキリ否定出来るようになったんだ。
なんだか元気になったのも遠慮をしなくなってきたのも嬉しい。
嬉しいけれど。
(今は嬉しくない)
意見を主張するべきときは、今ではないと思う。
そんなレイスリーネの胸中を無視してハイドラは皿を持ったままのレイスリーネに、テーブルへと手をひらめかせた。
「とても楽しみで待っていました。早く食べましょう」
ここまで追い詰められれば、もう出すしかない。
「食欲無くしても知らないからね」
ええいとレイスリーネは皿をテーブルに置いてから、勢いよく椅子に腰を下ろした。
仮にも辺境伯家の令嬢なのに、かけらもその片鱗が見えない。
皿の上のアップルパイは、とても残念な出来栄えだった。
本来なら美しい網目模様になっているであろう上部が、まったく美しくなく不揃いでぐちゃぐちゃだ。
さらにいくつか穴が空いていて、その穴から中身の林檎が飛び出している。
ハッキリ言って見た目が悪い。
どうしたらこうなったという物だ。
制作者はよほど不器用な人間なのだろうと、一目でわかる出来上がりだった。
正直焦げていないのが奇跡に見える。
それをしげしげと見つめるハイドラに、レイスリーネは頬を恥ずかしさで赤らめた。
端から見たら深窓の令嬢が恥じらっているように見えるけれど、実際は可哀想なアップルパイを作った果ての羞恥だ。
「あの、あんまり見ないでよ。見た目悪いでしょ……」
「いえ、料理人じゃなくてもケーキが作れるのだと驚いています。いただいても?」
バカにした様子は一切ない。
もとよりハイドラがそんな人間だとは思っていないけれど、陰で安堵しながらレイスリーネはアップルパイを切り分けた。
その一切れを皿に載せて、ハイドラの前へと置く。
ついでに自分用も準備する。
ハイドラが一口サイズに切って形のいい唇へアップルパイを運ぶのを、レイスリーネは食べるのもそっちのけで固唾をのんで見守っていた。
「おいしいです」
「よかった」
お世辞ではない声音に、どっと肩から力が抜けた。
よく考えれば家族以外ではじめて食べさせたのだ。
そりゃ緊張もするというものだった。
「パイがサクサクしていて中の林檎と合いますね。一緒に入ってるのはクリームですか?」
「そう、アーモンドクリーム」
「アーモンドクリーム……食べたことがあるアップルパイは林檎だけしか入っていないものばかりでした」
「よくあるのはそうだけど、私は入ってる方が好きだからクリームも入れてる」
王都などでは甘く煮詰めた林檎をパイで包んだものが主流で、食感を楽しむものだ。
けれどレイスリーネはパイもリンゴの食感も好きだけれど、もう少し滑らかな方が好きだったし甘さも欲しかった。
「おいしいです。甘さもちょうどいいですね」
「少しお酒入れてるから」
甘すぎないように、ほんの数滴だけれど。
簡単な隠し味だ。
「王都で食べられるものとは全然違います」
「読んだ本の作者がお菓子研究してた人みたいで、ものすごく情熱込めて書いてたレシピなんだ」
「なるほど」
「ただ、その……私味は褒められるんだけど、どうしても見た目が綺麗に出来なくって」
恥ずかしさにもじもじと膝の上でスカートをいじるレイスリーネに、ハイドラはもう一口アップルパイを口に運んだ。
「これだけ作れたら充分凄いですよ」
「……令嬢らしくないって言わないの?許可もらうまで、散々言われたんだけど」
そもそも貴族は厨房に入らない。
お菓子作りが好きだというご令嬢もまれにいるけれど、下準備や焼くのは料理人がして飾りなどの最後の仕上げだけやったりするのが普通だ。
ことごとく平均的な令嬢とは違うのだと知られていくたびに、今まで気にしたことのない気まずさなんかをハイドラには感じてしまう。
やっぱりお菓子作りに厨房へ行かなきゃよかったかもとまで思いだしていた。
「あなたにそんなことを言うのは、あなたの魅力がわからない不粋者だけですよ」
さらりと言われた言葉に、スカートをいじっていた手が止まった。
呆気にとられてハイドラを見ると、肯定するように頷かれる。
「そう、かな」
「ええ、そうです。もう一切れ貰っても?」
「もちろん!気に入った?」
「はい。それにここに来てからおいしいものばかりで、食欲が戻りました」
「そっか、よかった」
「あなたのおかげです」
ハイドラの瞳が優しくたわんだ。
最初の頃の死んだ目でなく、しっかり光がやどっている。
(お月様、きれい)
磨くぞと息巻いていた瞳は少しずつ輝きだしたけれど、やはり自分の目に狂いはなかったとレイスリーネは思う。
自分の大好きな満月とよく似た柔らかい瞳。
「他にも作れるんですか?」
ハイドラの問いかけに、ぼんやりとふけっていた思考を追い出した。
危ない。
何だかボーッとしていた。
「何個かだけど、作れるよ」
「さっきも楽しそうでした……私も作ることに興味があります」
「え!本当に!?」
ハイドラのまさかな発言に、レイスリーネはひっくり返った声を出した。
ずいと思わず体が前のめりになる。
ハイドラはと言えば、自分の言った事がどれだけ突飛かなど気にしていないように、ことりと首を小さく傾けた。
長い銀髪がさらりと肩に流れる。
「レイスリーネが読んだ本を私も読みたいと思いまして」
「いいけど……え、作るの?本当に?」
「厨房を使う許可がもらえるのでしたら」
「それは大丈夫だと思う」
え、本当に?
頭のなかでその言葉がぐるぐる回る。
けれどやりたいことはやってほしいと思うので、本人がそう言うのならいいのではないか。
頭を混乱させながらも、大事なことは言っておかなければとレイスリーネの口から勢いよく主張が飛び出した。
「出来たら私、絶対食べるからね」
これは確定事項だ。
異論は認めない。
「かまいませんよ。上手く出来たら、ぜひ食べてください」
何故か笑顔で締めくくられ、よくわからないままにお茶会はお開きになった。
自分の見目恐ろしきお菓子を食べられたことは遺憾の意だ。
しかしハイドラがやりたいことを自発的に口にしてくれたのは嬉しい。
あまりにも予想だにしない内容だったけれど。
ついでに作ったものを食べさせてくれる約束も嬉しい。
やっぱり本当に実行するのかと不安になったけれど。
そんな乱気流のように情緒がかき乱されるお茶会で、レイスリーネはハイドラと別れたあとに何だかぐったりしていた。




