13
しばらくハイドラの寝顔を見ながら過ごしていると、わずかに肩の上の頭が身じろぐ。
起きたかなとそちらを向くと、パールピンクの髪がハイドラの頬に触れた。
それがくすぐったかったのか、一度むずがるように小さく呻いてからハイドラの瞼が上がっていく。
お月様色の瞳がゆっくりと開いて満月になっていくのをやっぱり綺麗だと思いながら、ぼんやりとしているハイドラの顔を覗き込んだ。
「起きた?」
「うわ!?」
レイスリーネの顔と声で瞬時に覚醒したのか、ハイドラがバネを使ったように勢いよくレイスリーネから離れた。
「びっくりした」
「吃驚したのはこっちです。な、なにをして」
「肩貸しただけだよ」
まくし立てるハイドラの頬は赤くなっている。
レイスリーネがあまりの勢いにぽかんと答えると、ハイドラの眉が跳ねあがった。
前髪を切ってから表情がよくわかるようになったなと、レイスリーネとしては嬉しい。
「そんなことを無防備にしてはいけません!不埒な輩だったらどうするんです」
「でもハイドラは、実際はまだだけど婚約者だしいいかなって。不埒な輩じゃないでしょ?」
「あなたって人は……!」
レイスリーネの言い分にハイドラは思い切り呻いた。
そして顔に手をあてて下を向くと、大きくため息を吐く。
何故ため息を吐く。
「心配になる……」
何がだろう。
ハイドラの様子に元気になったなあくらいしか感想が出てこない。
何故心配されているのかと不思議に思う。
レイスリーネの不思議そうな顔には気づかず、足元に落ちたブランケットに気づいたハイドラがそれを拾い上げた。
「わざわざ用意をしてくれたんですか?」
「疲れてるなら寝ちゃうかなと思って」
「ありがとうございます」
あっけらかんと答えたレイスリーネに、ハイドラがきょとんとしたあと小さく口角を上げる。
そして逡巡したそぶりを見せてから口を開いた。
「ずっと聞きたかったのですが……どうして、あの夜会で助けてくれたんですか?今だってこんなによくしてくれています。図書館でたった三回顔を合わせただけで、お互い名乗りもしなかったのに」
ハイドラが真剣な色を瞳に称えてまっすぐにレイスリーネを貫いた。
もしかしたら裏があるのではと思われている可能性もあるけれど、レイスリーネの性格は単純明快なたちだ。
理由なんて簡単なものでしかない。
「気に入らなかったからとしか言えないなあ」
「気に入らない?」
思ってもみない言葉だと言わんばかりに、ハイドラは目を瞠った。
そうすると、ますます満月のようだ。
「図書館で会ったときに目がお月様みたいって言ったでしょ」
「そう言っていましたね」
「そのときに、なんか暗い色だなあって思ったし、お別れ言いにいったときにもう見れないの残念だなって思ったんだよね」
「そんなふうに思ってくれていたんですか……」
「でもバッタリ夜会で見つけたと思ったら、あの場面でしょ」
思わずしかめっ面になると、反対にハイドラは眉を下げた。
情けなさだとか恥ずかしさだとかの入り混じったものが滲んでいる。
「あれは……本当にお恥ずかしい」
「恥ずかしいのはベアトリーチェ様たち三人だから大丈夫」
「ふっ……不敬ですよ」
ハイドラが思わずというように吐息で笑いを噛み殺した。
ここに来てから、少し表情が変わるようになってきている。
いい傾向だ。
「今はハイドラしかいないから大丈夫」
「それで?」
「あのときハイドラの目がもう本当に死んでて」
「死……」
「そう。諦めきった感じで」
「たしかにすべて、どうでもよくなりましたね」
ハイドラがキッパリと言い切った。
こんなにハッキリとした物言いははじめてだ。
よほど今までの生活が酷かったうえに未練もなかったのだろうことが伺える。
「私は死んだ目じゃなくて、明るくて輝くお月様が見たいんだよ!って荒ぶって」
「荒ぶったんですか」
「ハイドラが最後に挨拶したとき、私と話すと元気もらえたって言ったでしょ」
「そうですね」
「じゃあ元気にしてやろうじゃないか!と」
拳をぐっと胸の前で作って力説すると、ハイドラが呆れたように嘆息した。
今の流れに呆れられるような部分があっただろうか。
「理由はわかりましたが、それで婚約までしてしまうなんて無茶にもほどがあります」
「まあ、あれは完全に勢いだよね。よく考えるより先に動くなって言われる」
「だったら」
ハイドラがさらにたしなめようとしたのを、レイスリーネは「でも」と遮った。
赤い瞳がしんなりとたわめられる。
「連れてきて、ちょっと元気そうな雰囲気になったし、目の淀みも少し減った。微かにだけど諦めたものじゃない笑い方してて、とっても満足。もっと元気にしてやる!って気持ち」
パッと花が咲いたように笑うレイスリーネに、ハイドラが一瞬息を呑んだ。
そして、細く息を吐く。
ため息のようなものは何度目だろう。
「……私はあなたを叱らなきゃいけないんですが」
「え!なんで?」
「でも叱れない」
「叱れないってどうして?いや、叱られたくはないけど」
「秘密です」
ハイドラがそっと答えた。
その顔は今にも泣きだしそうな、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべていた。




