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早朝に起床すると、レイスリーネは朝の日課を済ませて風呂に入った。
クラシカルだけど、レースやフリルが上品にあしらわれた可愛らしいワンピースが本日の装いだ。
レイスリーネの髪の色なんかを考えれば少し地味だけれど、ハイドラとの第一日目なので少し真面目な感じにと思い、無難にまとめあげた。
辺境ではいつも大げさではないけれど可愛らしいワンピースを好んで着ている。
王都でもワンピースを着て出歩いている令嬢はいたけれど、ドレスの人間も多い。
動きにくいのでレイスリーネはワンピース一択だ。
廊下を歩いて朝食に向かっていると、あれと首を傾げた。
まだ寝ているはずの人物が前方から歩いてくる。
案内役の使用人が先導する後ろから、ハイドラの姿が見えた。
「もう起きたの?」
昨日のやりとりの通りに、くだけた口調で話しかけるとハイドラは小さく目礼した。
「おはようございます。早起きは癖なので気にしないでください」
「でも……」
「今までより深く眠れたので体は軽いです」
「ハーブティー、安眠効果のもの選んだんだ。効いたみたいでよかった」
レイスリーネは満足気に微笑んだ。
「わざわざ、ありがとうございます」
儀礼的にハイドラが微笑む。
にこにこと笑いながら、レイスリーネはハイドラの浮かべる完全に仮面としての笑みを絶対に剝ぎ取ろうと、山賊みたいなことを考えていた。
「朝食に行こう。この時間ならお母様はいるはずだから」
タッシェは仕事の関係上、一緒に食事をするのは夜だけだ。
寂しがっているけれど、何でも口を出したがって自分で仕事を増やしているので自業自得だとレイスリーネは思っている。
食堂に入ると、すでにリルルが席へとついていた。
「おはよう」
「おはようございます」
二人が朝の挨拶をして席に座ると、すぐに食事が運ばれてテーブルに並べられる。
リルルがハイドラの顔を見て、貴婦人らしい笑みを浮かべた。
「よく眠れたかしら?」
「おかげさまで、しっかりと眠らせていただきました」
「レイスリーネが酷すぎるハーブティーを持っていこうとしていたから、阻止しておいたわ」
リルルの言葉にレイスリーネは紅玉の瞳をじろりと母に向けた。
「失礼にもほどがある」
「真実でしょう。レイスリーネはせっかちすぎるのよ。お茶を淹れるには余裕が大事なんだから」
リルルの辛辣な言葉にレイスリーネはむぅと頬を膨らませた。
年々リルルの小言は増えていっている。
レイスリーネにもう少し繊細さを持ち合わせてほしいらしい。
外見はこれ以上ないくらいに繊細なのに。
その様子をハイドラが微笑ましそうに見やった。
「昨日はハーブティーをありがとうございます。美味しかったです」
「いいえ、仮にも婚約者であり療養中の人間に妙なものを飲ませるわけにはいきません」
「お母様」
とうとうレイスリーネが憮然と呼びかけるけれど、リルルは知りませんと言わんばかりにツンと顎をそらして聞き流す。
その様子に内心、嘆息してからカトラリーを手に取った。
ときおり談笑しながら食事を進めていて、ふとハイドラの皿を見るとほんの少ししかまだ食べていなかった。
二人に比べて食べるのが遅いのだ。
「苦手な味付けだった?」
「まさか!」
レイスリーネの言葉に、ハイドラは驚いて皿から顔を上げた。
前髪のあいだから目が丸くなったのが見える。
そしてバツが悪そうに一瞬視線を動かした。
レイスリーネが黙って待っていると、観念したかのようにおずおずと口を開く。
「その、言いにくいのですが……」
「かまわないわよ」
リルルの促す言葉に、ハイドラは迷ったように一瞬口を閉じてから話し始めた。
「食事をまともに食べる時間がなくて、隙間時間に最低限を無理やり流し込んでいたんです。父と弟は心配していたのですが、ベアトリーチェ様の要求と勉強を優先すると、そうならざるを得ず。なので必然的に食への興味が薄れて……」
「ええ!」
ハイドラの言葉に、レイスリーネは淑女とは呼べない声量で素っ頓狂な声を上げた。
「こんなにゆっくり食事を食べるのも数年ぶりで、少しとまどっていると言いましょうか……」
「あの王女殿下と婚約したのって十歳って言ってたよね。つまり五年もそんな生活!?」
「体に悪いわねえ」
リルルも思わずといったように眉をひそめた。
「もう少し胃に優しい料理にすべきだったわね」
「いえ!大丈夫です」
リルルの言葉に、ハイドラが弾かれたように否定の言葉を吐いた。
「胃が悪いわけじゃありませんので、気にしないでください。少しとまどっただけですので」
つまり、見た目通りに寝不足で栄養不足だったのだ。
(だから肌も髪もパサパサなのか)
一瞬でイラッとした。
おもわず口をへの字にしそうだ。
だって銀髪だって艶が戻ったら絶対に綺麗に決まってる。
肌だって同じ。
どちらも栄養満点になれば、瞳の月色がよりいっそう映えることだろう。
「決めた」
「え、何を決めちゃったのかしら、レイスリーネ?」
「顔色よくなって元気になったら、街に出て美味しいもの食べよう」
リルルの言葉はあっさりと無視した。
ハイドラはレイスリーネの言葉に少し不思議そうに首を傾げている。
「美味しいもの、ですか?」
「美味しいもので刺激したら、きっと食欲も戻るから」
「力技すぎるわよ。どうしてそんなに強引なのかしら、この子」
リルルが呆れたようにため息を吐く。
レイスリーネはやっぱりそんなの無視して、ハイドラににっこりと笑った。
妖精じみた見た目に、ふんわりと華やかさが加わる。
「約束よ」
「約束、ですか」
「うん、おススメがいっぱいあるから楽しみにしてて」
外見の雰囲気とは裏腹にレイスリーネが胸を張ると、一瞬ポカンとしたあとで肩の力が抜けたようにハイドラの強張りが少し取れた。
「では楽しみにしています」
今は瞳はどうなっているのだろう。
うずうずと前髪をかき上げたい衝動に駆られたけれど、そんなことをしたらリルルにありえないくらい叱られるのが目に見えている。
テーブルの下で手をわきわきと動かしながら、じっとハイドラを見やった。
(やっぱり前髪で目が見えない……邪魔だな。切るか)
レイスリーネは心中で勝手にハイドラの髪型を決めてしまった。
もう前髪を切る以外の選択肢はない。
「ハイドラは、その前髪にこだわりがある?」
「いいえ?時間が惜しくて切っていなかったらこうなっただけです。ベアトリーチェ様には野暮ったいと罵られる原因でもありました」
「その王女殿下のせいで時間とれないのに?」
意味がわからないという顔をすれば、ハイドラは仕方なさそうに小さく苦笑した。
でもこだわりがないのなら僥倖だ。
今すぐにでも切り落とそう。
「じゃあハイドラの前髪切っていい?」
「それはかまいませんが」
戸惑いながらも頷いたハイドラに、レイスリーネもよしよしと頷いた。
「じゃあこのあと切るね」
「待ちなさいレイスリーネ!まさかあなたが切るつもり!?」
「そうだけど」
リルルの言葉に頷けば、当のリルルが真っ青に顔色を変えた。
信じられないものを見るような視線を、レイスリーネに向けてくる。
なんだその目は。
「得意なメイドを呼ぶのからやめなさい」
「何よ、そんなに取り乱して」
「忘れたのあなた。まかせてと従弟の髪を切って、ほとんど髪が無くなったことを!」
リルルの悲鳴じみた言葉に、ハイドラの顔があからさまに引きつった。
そんな顔をするのはやめてほしい。
「かなり前のことを根に持つのは、どうかと思う」
「ハイドラさんだって手慣れた人の方がいいわよね?」
「そうですね。ぜひその人達にお願いしたいです」
リルルの早口に、ハイドラも早口で返した。
そこまであからさまな反応をしなくてもいいじゃないか。
唇を尖らせて不満を表してみたけれど、二人共視線があわなかった。
結局メイドに切ってもらうことになり、朝食が終わったあとレイスリーネとハイドラは別室へと向かった。
現在、髪が体につかないように首から下へ布を巻いたハイドラが、大人しく髪を切られている。
少しずつ露わになっていく目元に、レイスリーネはわくわくとした面持ちでソファーに腰掛けていた。
ちなみにハイドラは髪が目に入らないように閉じているので、瞳は見えない。
「お嬢様、後ろはいかがいたしますか」
「伸ばしたままがいいかなと思うんだけど、ハイドラは?」
「私は特にこだわりがないので、お任せします」
「じゃあ前髪だけで。あ、毛先だけ整えてね」
レイスリーネの指示通りに、メイドが鋏を動かしていく。
静寂のなかに、シャキシャキと髪を切る音だけがしていた。
「お嬢様、出来上がりました」
「ありがとう」
メイドに声をかけると、手早くハイドラの切った髪を片付けて部屋を出てしまった。
残ったのは二人だけだ。
久しぶりの明るい視界に違和感があるのか前髪を指でつまむハイドラを見て、レイスリーネは思わず真顔になった。
改めて見ると、顔がいい。
以前視界に顔が入ったときは瞳にしか意識がいっていなかったし、夜会では不健康な顔色とくたびれ感の方が目立っていて気にしていなかった。
再び思う。
顔がいい。
整っている顔は格好いいとかそういう軽い感じではなく、美術品のようだ。
もしくは繊細に作られた人形。
(す、すごい)
思わずひれ伏しそうだ。
隈も酷いし肌も荒れて、髪も艶がなく生気もない。
それなのにこの暴力的な美。
元気に完全復活したらどうなるんだと、レイスリーネは恐れ慄いた。
「レイスリーネ?」
「ハッ」
意識が遥か遠くに飛んでいたのを、ハイドラの声が呼び戻した。
慌てて、立ち上がったハイドラへと向き直る。
「おかしいですか?」
少し困ったように眉を下げられ、レイスリーネは淑女あるまじき勢いで首を横に振った。
そして改めてハイドラに満足気に笑う。
手を伸ばして、銀髪の少し手触りの悪い前髪を指先で梳いた。
ハッキリと見えるようになった満月のような瞳が、わずかに揺れる。
「これで、いつでも見れる」
ふわりと微笑むと、レイスリーネの白い頬がほんのりと色づいた。
お気に入りが視界に入って、とてもテンションが上がる。
にこにこと指先はそのままに瞳を見つめていると、ハイドラがぎこちなく目線を逸らした。
気まずそうな様子に、あんまりじろじろ見ても居心地が悪いかと思い至り、今日はこのくらいにしておこうと指を離す。
ハイドラがどこか安心したように一歩レイスリーネから距離をとった。




