海の広さを知るものが
「この村はさ」
釘打ちを終え、椅子に腰掛けた、わたしに、ラディが、言う。
「悪い村では、ないんだよな」
「そうだね」
レースを、編みながら、頷く。
もし、悪い村、だったならば、両親が、死んだ時点で、わたしは、どこへなりと、売り払われて、いただろう。
柵や、掟は、あれこれとある、けれど、孤児のわたしを、虐げることも、追い出すことも、しなかった。形見に遺った、金品も、取り上げられることなく、いまだ、わたしの手元に、ある。
「優しい村だよ」
「ああ。普通さ、怪我したっつっても軽傷だし、こんな長く、家に泊めてくれねーぜ。宿ならともかく、自分の家だもんよ」
「そうなんだ」
行商に、出るとは言っても、せいぜい一泊で、帰って来れる、場所までだ。わたしの知る、世界は、狭い。
「もっと、排他的だったり、あるいは、お互いがお互いを監視してるみたいだったり、強い権力者がいて抑圧されてたりとか、挙げたらきりないけど、ニンゲンの住処には居心地の悪い土地なんて、いくらでもあるぜ」
「そっか」
「ニンゲンの数が多い場所だと、周りのニンゲンに無関心で、隣の家に住むやつの顔すら知らないみたいな場所もあるらしいしな。でも、イウジェナやあいつなら、こう言う、みんなが知り合い同士の村より、他人ばかりの場所の方が、生きやすいかもな」
ラディの語る話は、わたしには、想像も出来ない、土地の話だ。
「ジョーシキも、場所によって違ってさ」
ラディは、楽しげに語る。
「メスは肌を見せるな顔も隠せって言う土地もあれば、ほとんど裸みたいな格好で暮らしてる土地もある。オスが偉い土地もあれば、メスが偉い土地もある。オオカミは、どこ行ってもあんま変わんないからさ、ニンゲンは、面白いぜ、見てて」
「ラディは」
この、わたしより、ずっと、広く世界を、知るオオカミは。
「人間が、好き?」
「んー?いや、十把一絡げで全部好きかって言うと、そうでもねーけど。ニンゲンってひとくくりにしたって、良いやつも悪いやつもいるからな」
あっけらかんと、言われて、それもそうか、と、思う。
「そもそも、おんなじニンゲンでもさ、全部が全部、良いとこばかりでもないだろ?オレだって、善いオオカミだけど、悪いところもあるからな」
「そっか、そうだね」
編みかけの、レースを見下ろす。
ああ、そうだ。
「この村の、レース編みは、ね、家によって、ちょっとずつ、違うの」
母に習ったから、わたしのレースは、母の家の、編み方だ。けれど。
「でも、わたしは」
基本はしっかり、母が教えてくれた。けれど、受け継いだ、編み図は、焼けてしまった、から。
「いろんな、家にね、ちょっとずつ、教わったの」
村の、大人は、親も家も、失った、わたしを、憐れんで、なかには、それならばと、大事な編み図を、写させてくれた、家もあった。ひとつふたつでは、なく、何軒も。そして、その、個々に独特な、編み方は。
「ここ」
編んでいた、レースを、ラディに見せる。
「ここの、編み方はね、毛皮を、盗みに来たうちの、ひとりが、昔、教えてくれたの」
幼い、頃から、同年代の、女性には、嫌われていた。それはたぶん、わたしが、美人、に、分類される、見た目だからで。でも、嫌われていても、優しくされたことが、ないわけでは、なかった。みな、可哀想な、わたしを、助けてくれた。
嫌なばかり、では、なかった。
確かに、わたしは、ここで、人間だった。
ああ、だから、だから。
「優しい、ひと、だったのに」
ぽた、ぽた、と、手元に雨が降る。
もし、結婚するから、真っ白な毛皮の、ケープが欲しいのだと、相談して、くれたなら。一頭丸ごとは、渡せなくても、毛織のケープの、襟くらい、毛皮で飾って、あげたのに。
だって、あのひとは、わたしに優しく、してくれたから。
「うん。そうだよな」
のし、と、膝に、温かいものが、乗る。
「イウジェナ、ここで、十七年も、生きて来たんだもんな」
寄り添う、ラディの、頭を、抱く。
「嫌いなばっかなわけないよな。好きじゃないわけないよな。それでも、駄目になっちまうもんは、あるんだよな」
ラディの、優しい声を、聞きながら、獣のように、唸る。
人間は、嘘吐きだ。信じられない。味方ではない。
でも、それでも。
ここまで、わたしを、生かしてくれたのも、守ってくれたのも、間違いなく、人間なのだ。
ほんとうは。悪いのは。駄目なのは。
駄目になって、しまうのは。
「わたしは、人間では、いられない」
愛せない。だって、どうやって、愛したら良いのか、わからない。自分も、他人も。
シウィや、ユキオオカミは、好きだ。けれど、これは、きっと、愛ではない。
愛し、愛を紡ぎ、育み、繋ぐ。
人間であれば、みな、当たり前に、やっている、その営みが。わたしには、出来ない。どうすれば、いいのか、わからない。
「ここは、苦しい。もう、いたくない。いられない。でも、じゃあ、どこに行けるの、ラディ」
堰き止められて、いたものが、決壊して。幼子のように、ラディに、すがる。
ああ、でも、ラディだって、番を持ち、血を繋いで。
「行けるとこまで、行けばいいよ」
身を、引きかけた、わたしの、耳を、ラディの声が、揺らす。
「オレが一緒に、行ってやるよ」
都合の良い、甘い、罠が。
「世界は、広いんだ。イウジェナ。いくらだって、行けるとこは、あるぜ。気の済むまで、どこまででも、行こうぜ。その先に、イウジェナの探す答えもあるかもしんねーしさ」
「答え」
「ないのかもしれないし、わからないままかもしれない。でも単純にまだ、見つけてねーだけかも、しれないぜ。イウジェナはまだ、十七年しか、生きてねーんだからよ」
一緒に探そうぜ!
まるで、ちょっとそこまで、散歩に行く、だけみたいな、軽い口調。
「でも」
「まずはオレがひとつ、大事なことを教えてやるよ」
わたしに、抱き付かれたまま、ラディが、偉そうに、胸を張る。
「『旅は道連れ世は情け』ってな!オレって言う最高の道連れが、一緒に行ってやるって言ってんだぜ?ここで頷いとかなきゃ、絶対後悔するって。な?一緒に行こうぜ」
「どっちかに肩入れは、しないんじゃ、なかった?」
「どっちにも肩入れした結果の発言だぜ!」
悪びれない発言に、思わず、笑ってしまう。
「……考えとくよ」
「おう!じっくり考えて決めて良いぜ!オレ、優しいから、待っててやる」
ああ、オオカミは相変わらず、わたしに、優しい。
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