人間の証明
「そう、言えば」
半乾きの親狼の、皮の肉面に、脂を塗り込みながら、ラディに、話し掛ける。
「名前」
を、聞いた記憶が、ない。
「んあ?あー、あいつのか?」
「うん」
「ねーんだ」
「ない?」
名前が?
「正確には、いま、名乗れる名前がない」
「それ、は」
どう、言う。
「生まれた土地の風習でさ。真名は番にしか名乗らないんだと。結婚して、番に教えたあとは、普通に名乗って良いらしいけどな」
「へぇ」
でも、そう言う風習ならば、
「字は昔持ってたけど、王家に下賜されたもので、国を追われたときに剥奪されたから、名乗れねーってさ。んなもん、律儀に守ってやるこた、ねーのにな」
「っ!」
親兄弟に、故郷だけで、なく、名前まで、奪われて、いたのか。
「まー、名前なんて、案外なくても困らねーもんだぜ」
「宿に、泊まる、ときは?」
「代わりにオレの名前書いてた。必要だったら、自分で新しく付けるなり、誰かに付けて貰うなり、出来んだろ。本人も、とりわけ必要と思ってねーんじゃねーかな」
そんなもの、だろうか。本当に?
名を、呼ばれない、と言うことは、ほかとの、境界線を、得られない、ことで、それは、
「必要、だよ」
名前も、それを呼ばれることも。
「そーかもな」
ラディは、あっけらかんと言い放ち。
「でも、いねーからな。現状、あいつの名前を、呼べるやつが。オレは知らねーし、前いた群れのやつらも、たぶん知らねーんじゃねーの?」
そうだ。彼は、わたしと、同じように、両親を、殺されて。わたしと、違って、家族も、知り合いも、住み慣れた場所も、ぜんぶ、奪われた、のだ。
「っ……」
ぽたり、と、手元に、滴が、落ちる。
わたしを、見上げた、ラディが、ぱたり、と、尻尾を振った。
「イウジェナは泣き虫だなー」
「ごめん」
「べつに悪いことじゃねーから、謝んなよ」
わたしの、足を敷いて、のしり、と、ラディが座る。温かい、生きている。
旅を続けて、それで、彼は。
村を出て、それで、わたしは。
いつか、どこか。
「ありがとう」
立ち止まる、場所を、見付け、られるの、だろうか。
人間は、嘘吐きだ。ユキオオカミは、嘘を吐かない。
それでも、わたしは。
いつか、人間を、信じることが、出来るのだろうか。
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