摂理に逆らう
「まだ浸けるのか?」
「うん。まだ浸ける」
「浸けるだけだから手間はないけど、時間がかかるんだなー」
「そうだね」
鞣し液に浸した皮を、撹拌しながら、頷く。
どんな手段を取ったとしても、鞣しは手間と時間がかかる。放っておけば、朽ちるものを、朽ちさせない、と、言うことは、それだけ、大変なことなのだ。
「これ、何日浸すとか、決まってんのか?」
「ううん。決まってないよ」
液の濃度、皮の状態、撹拌の頻度や程度、気温や湿度、さまざまな要因で、浸透に掛かる時間は変わる。
「じゃあ、見た目でわかる?」
「見た目、だとわからない、かなあ?」
色が変わるわけでもないし、ふやけてくるわけでもない。
「におい?」
「匂いでもない」
オオカミくらい嗅覚が、あれば違う、かもしれないけれど。
「じゃーどーやって、浸け終わりを見極めんだ?」
「おおよその期間は、だいたい一緒、だから、それで、少し乾かしてみて、状態を見る、みたい」
「伝聞だな」
胡乱な目のラディ。
「それだと、仕上がりが、安定しない、からね」
「イウジェナはどうしてんだ?」
「わたしは」
わたしに、皮の鞣し方を、教えてくれた、村長は。
「皮の声を、聴いてる」
「声?喋るのか?皮が?」
「喋りはしない、けど」
大きく色が変わることも、ふやけることも、匂いが変わることも、濡れた状態の手触りが変わることも、ない。それでも、少しずつは、変化があって。おそらくその、すべてを感じ取って、村長は、声、と言っているのだろう。
「こうして、撹拌していると、今だ、と、思う時機が、あるの」
わたしは、それを、基準にして、いる。
皮の鞣し方を、覚えたい、と、言ったとき。村長の妻は、女の子が、そんなこと、と、良い顔をしなかった。けれど、村長は、イウジェナが望むなら、と、村長の息子たちのお古だけれど、道具を与え、丁寧に、教えてくれた。わたしが、せっかくの皮を、駄目にしてしまっても、怒らず、何度も、何度も、手本を見せ、練習をさせて、くれた。
村長が、鞣し液に、浸した皮の、撹拌を、任せてくれて、一緒に状態を見て、浸透が足りない、足りた、と、教えてくれた。
だから、わたしは、村長と同じように、皮の声を、聴くことが、出来る。
レース編みや、料理を、教えてくれたのは、母だ。けれど、糸の紡ぎ方や、染色を、教えてくれたのは、村長の妻で。シウィの世話の仕方を、教えてくれたのは、父。獣の狩り方、捌き方は、村の老爺に教わった。戦い方は、行商の、長をしている男から。剣は育ての父の、形見だ。
「……大事に、育てて、貰ったんだよ」
脈絡もなく、呟く。
母も育ての父も、父母祖父母を早くに亡くしていた。ほかに、親族もいなくて。
だから、村に、わたしの血縁は、母だけ、だった。
けれど、それで、冷遇された、なんてことは、なくて。衣食住、だけじゃない。知識も、知恵も、技術も、惜しみなく、分け与えて、貰った。
上手に混じれなかったのは、打ち解けられなかったのは、わたしにも原因があって。だから、村には、恩しかない。仇は、持たれて、いるばかり、だ。
「そうか」
だから。
だから、本当は。
「この皮を、売れば、しばらく、楽に生活が、出来る」
ユキオオカミの皮は、高い。たとえ一度に卸したとしても、買われるときは、きっと、バラバラだ。バラバラに、買われて、細切れで、商品にされる。毛皮のマントや、敷布にされれば、細切れは免れるかも、しれないけれど、親兄弟は、共には在れない。
「でも売るにしたってしばらくは、出さない方が良いだろう?」
ラディはわかっていて、わたしに優しい言葉を口にする。
「うん。すぐ市場へ、流せば、騎士の獲物を、横盗りして、儲けたと、恨まれかねない。王命を受けた騎士の、妨害をした、とでも、判断されれば、投獄、処刑も、あり得る」
一年か、二年か。ほとぼりが冷めるまで、待った方が良い。それは、確かだ。
けれどそれだって、事情を話して、遠くに行く行商にでも売ってしまえば、どうとでもなる話、で。
それに売り出せないことだって、そもそも、古い毛皮でなく、仔狼の毛皮を、渡していれば、起こらない問題、だったから。
櫓番の、交代を、申し出て、いない。このところは、シウィと入れ替わりで、ずっと、この作業場に、詰めている。
恩がある。大事に、育てて貰った。けれど。
手を洗い、椅子に腰掛けて、レースを編む。
屋根と壁があって、鞣し液が凍らないよう、火の入った暖炉もある。けれど、広いばかりの作業場は、寒い。
撹拌は、付きっきりでなくても、良い作業だ。
「だよな」
ラディが短く答えて、わたしの足元に寝そべる。触れていなくとも、そばに体温の高い毛皮がいれば、温もりを感じる。
「ユキオオカミの、毛皮を、売らなくても、生活は出来る、から、危険を冒す、必要は、ないよ」
「そうだな」
わたしの手元を見て、ラディは頷く。
「イウジェナの、レース、綺麗だもんな!」
「ラディも欲しい?」
いろいろ、お世話になった、と思う。レース編みの小物くらい、お礼に渡しても良いと、思うくらいは。
「んー、オレは破いちまいそーだからなー」
ラディがパタリと、尾っぽを振ったあとで、言う。
「レニィには、見せてやりてーな!気が向いたら、灰色の糸で、肩掛けを編んでくれよ」
ああ、愛しているのだな、と、思う。
これが、愛で、だから。
「うん」
ラディの毛並みに似た、灰色の糸を作ろう。オオカミの背中が覆えるくらい、大きなショールが編めるように。
「楽しみにしていてね」
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