悪い狼と
「ラディ」
村長夫婦と旅人とラディと、四人と一頭で囲んだ食卓で、食事を済ませたあと、土間でロトカと共に、食事をしていた、ラディを呼ぶ。
「おいで」
シウィが足を洗うのに使う桶に、ぬるま湯をはって、さあ来いと、手招きする。
「おっ、おお、ほんとにやんのか……」
「おいで」
たじろぐラディを、もう一度呼ぶ。
「あーうん。行く行く」
やって来たラディの足を、軽く洗い、しっかり拭く。
「イウジェナ?」
ああ、勝手に相棒を、連れ出すのは、良くないか。
「ちょっと、ラディ、借ります、ね」
断って、シウィとラディと共に、階段を昇る。
「お湯用意して、先に入ってしまうから、待ってね。シウィ、石鹸とか、貸してあげてね。あと、昔のブラシ、借りるよ」
「え、あ、そう、だよな。え?大丈夫か、オレ、ここにいて。オスだぜ?」
「シウィもいつもいるから、大丈夫」
なんだか困惑した様子のラディを、軽くとりなして、手早く自分の湯浴みを済ませる。わたしが、お湯から上がるなり、シウィが入れ替りで、湯に浸かる。
「残り湯……まあそうか、もったいないもんな……」
「わたしは、身体洗ってから、お湯に入ってるし、シウィは、綺麗だから」
「ああうん。汚いって言ってるんじゃないぜ。ただまあ、嫉妬されそうなんだよなあ」
ラディと話しながら、自分の髪を乾かす。きちんとしないと、シウィが怒るから、髪や肌の手入れも、しっかりする。
「なんか、良い匂いする」
「ん?なんだろ。花?蜜蝋?あ、植物油?」
フンフンと鼻を鳴らして寄って来るラディに、手を近付ける。
「いろいろ混ざってるな。でも、嫌な匂いじゃない」
「そう。良かった」
シウィの手入れに使うものも、基本は同じようなものだ。
そんなやりとりをしているうちに、シウィがお湯から上がる。洗面器と手桶にお湯を取ってから、ラディを呼ぶ。
「シウィを、洗うから、そのあいだ、温まってて、ね」
「おう」
頷いて、お湯に浸かる、ラディに問う。
「ぬるくない?」
「んー?適温適温」
目を細めるラディを横目に、シウィを洗う。洗い終えたら、お湯で流して、タオルで水気を取る。水気が十分に取れたら、地肌と毛に、保湿液と保湿用のオイルを付ける。肉球には、蜜蝋のクリームも。そこまでしたら、火鉢の前で、シウィが自分で毛を乾かす。
「ラディ、温まった?」
「ん。バッチリだぜ!」
言って上がろうとしたラディを、少し留め、盥のなかで、毛に付いた汚れを軽く落とす。
「ん。上がって良いよ。洗うね」
「おう。……誰かに洗われるのは、初めてだ」
「そうなの?旅人さんは?」
宿に泊まればお湯は貰えるし、夏場なら、川や湖で水浴びしても良い。
「あいつは、オレの身の回りの世話したりしないよ。メシはくれるし、怪我すりゃ手当てはしてくれるけど、そんだけ」
「そう。触られて、嫌なとことか、もっとしっかり洗って欲しいとか、あったら、言ってね」
村のユキオオカミに、洗って嫌がられたことはない、けれど、洗われることに、慣れていないラディでは、また違う、かもしれない。
「んー」
「旅人さんは、あんまりラディに、触らない、の?」
「まあ、オス同士だしな。乗せるとか、荷物をくくるとか、そんくらいだな」
そんなもの、なのだろうか。
「あ、お互いの性格にもよると思うぜ?オス同士だって、触るの好きなやつはいるし。とくにユキオオカミは、寒いところに住むオオカミだからな。くっついてお互いあったまるのが、普通なんだろ」
な、と、声を投げられたシウィが、ぱたん、と、尻尾を振る。どうやら、肯定らしい。
「イウジェナは、姫なんだから、甘えて良いんだよ。みんな、嫌がんないだろ」
ユキオオカミに触って、嫌がられたことはない。
「オレも大丈夫。慣れてないってだけで、イウジェナに触られるのは、嫌じゃないぜ。これが、むさい男とか、無遠慮なガキとかだったら、断固拒否だけどな!」
「ありがとう」
許可が出たので丁寧に、念入りに洗う。
「なあ」
「なあに?」
「シウィのときより、長くね?」
それは。
「シウィは、綺麗だから」
わたしが湯浴みのたびに、便乗している、シウィと、おそらく狼生初の、石鹸洗いのラディ、では、汚れの年季が、全然違う。
「遠回しに、オレは汚いって言ってる?」
「野生のオオカミなら、こんなものだよ」
「わあ、歯に衣着せた肯定」
自然の匂いが付くことは、悪いことじゃない。狩りで獲物に、気付かれにくくなるし、ものによっては、虫除けにもなる。皮脂だって、寒さや雨の対策になるし。
本当は、シウィのように、洗い過ぎる方が、良くないのだ。皮脂を流してしまうから、保湿対策が必要になる。
「オオカミなんだから、それで良いんだよ」
それでもシウィが、清潔を保とうとするのは、わたしの部屋で、共に暮らすからだろう。
「でも、念入りに洗うのな」
「その方が、手入れの効果が、良く出るから」
地肌をよくよく、揉み洗う。
「鞣される皮になった気分だぜー」
「ラディを皮にして売るなら、一年手入れして、来年の冬毛の頃が、良いね」
一年間、食事と手入れに気を配れば、来年の冬毛はきっと、シウィほどではなくとも、良い毛質に、なっているはずだ。
「怖いこと言わないでくれよ」
「先にラディが言ったのに」
尻尾の先から念入りに洗い、顔まで石鹸まみれにしてから、お湯でよく流す。
「はいおしまい。さっぱりした?」
「なんか、いろいろ、搾り取られた感じ」
「これからちゃんと、搾り取った分、補うからね」
タオルで水気を取ったら、保湿液をたっぷりと。それから、保湿オイルを塗り込める。
「ん、やっぱ良い匂いだな」
「気に入ったらなら、ラディにも、作って、あげようか?」
「イウジェナの手作りなのか?」
「うん。村の、呪い師に、教わって」
呪い師も、敬われてはいるものの、どこか、村のものと、一線を画しているところがあって。だから、彼女のそばは、比較的居心地が良い。手伝いで、駄賃を貰ううち、ちょっとした知識や技術を、教えてくれるように、なった。
彼女も、独り身で、夫も子もいない。もしかしたら、同じように、独りで生きていこうとしているわたしを、後継にしてくれようと、考えているのかもしれない。
「へえ。すごいな。皮も鞣せて、レースも編めて、軟膏も作れるのか!しかも、獣も狩れて、捌けて?糸も紡げる?」
「まあ、そうだね。道具と材料が揃えば」
「この村を出ても、問題なく生きて行けるな!」
手が、止まる。
「ん?終わった?」
「ああうん。あとは、毛を乾かしてからね。シウィと、交代して」
「わかった!シウィ、場所変わってー」
ほてほて、と、離れて行くラディの、揺れる尻尾を見ながら、思う。
確かに、たとえば村を出て、ユキオオカミの群れに、入ったとして。ユキオオカミが狩った獲物の、皮を貰い、それを鞣して売れば、生計は立てられる、だろう。行商に付いて行っているお陰で、ものの売り買いの仕方も、貨幣価値も、理解している。ユキオオカミを従えていれば、わたしひとりでも、足元を見て買い叩かれることは、ない。
乾いたシウィの毛に、追加で保湿オイルを馴染ませ、ブラシで丁寧に梳きながら、考える。
無理に村に、残る必要は、ない。
ユキオオカミは、群れに、入れてくれると、言っている。
ユキオオカミと人間では、子も授かれないから、結婚する必要も、ない。
それに。
「シウィは、綺麗だね」
誰よりも白く、美しい毛皮。
ユキオオカミの、群れに混じれば、シウィの伴侶も、見付かる、かも、しれない。
「なあやっぱり遠回しに、オレは汚いって、言ってない?」
「ラディも綺麗になるよ」
「綺麗になっても、剥いで売らないでな?」
笑う。やっぱりラディは、可愛い。
「売らないよ。見違えた姿を、旅人さんに見せて、驚かせてよ」
「えー?あいつ、朴念仁だし、きっと気付かないってー」
ラディの言葉に、シウィがフスン、と、鼻を鳴らす。
「あ、それは言えてる」
「?、シウィはなんて?」
「イウジェナと同じ匂いがするから、それには気付くだろうって」
同じ匂い。そうだ。シウィとわたしでは、手入れ道具の、配合が、違うから、匂いも、違う。けれど、シウィの手入れをするから、わたしにも、シウィの手入れ道具の、匂いが付く。
「そしたら、なんでって、訊かれるから、イウジェナに手入れして貰ったんだって、自慢出来るな!あーでも、そんなこと言ったら、めちゃくちゃ嫉妬されるんだろうな」
「なんで嫉妬?」
「あいつ好きだもん、イウジェナのこと。好きな子に、ほかのオスが、大事にされてたら、嫉妬するよ」
……なるほど?
「はは。鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔」
「どんな顔?」
「え?ああ、鳩知らない?」
「もっと温かいところにいる、鳥でしょ」
「そうそう。んで、鳩は豆が好きなの。で、豆好きなのに豆で攻撃されたら、びっくりだろ。そう言う顔の、たとえ」
思いのほか、丁寧な説明だった。
「イウジェナさ、もっといろいろ、見てみたいとか、ない?」
「え?」
不意の話題転換に、目をまたたく。
「手前味噌だけど、旅って意外と楽しいぜ。あいつさ、まあ、イウジェナのこと、好きなのは本当なんだけど、単純に、ここにイウジェナを置いときたくないってのも、あると思うから」
こちらを向いたラディは、優しい目をしていた。
「好意なんて、都合良く利用してさ。難しいことは、ひとまず置いといて、ただ、村を出たいって言い訳にあいつを使っても、良いんだよ、イウジェナはさ」
「それは、でも」
「ぶっちゃけ、今回の件で、イウジェナはこの村を救ってんのよ。だって子殺しだぜ?許さねーって、普通、ユキオオカミは。それを、イウジェナが弔って鎮めたから、この国もこの村も無事なわけ。まして、親の形見まで、渡したんだろ?どんな恩も、仇も、それでチャラだって」
恩がある。仇を持たれている。だから、報いねば、ならなかった。
「もう十分だよ。これ以上、返さなくていい。償わなくていい。イウジェナはもう、自由になっていい」
「でも」
わたしは。
「もうこの村に、血縁もいないんだろ?なら、しがらみもないじゃんか。どこへでも、行きたいとこ行って、やりたいことやろうぜ」
軽い口調で、ラディは誘う。
「その道行きに、あいつでも、ラズウェルさんでもさ、便利なら、使ってやれよ。向こうが勝手に、姫だとか惚れてるだとかって、敬ってくれるんだぜ?良いように転がして、利用しちまえ」
クツクツと、ラディは笑う。
「イウジェナは、善い子過ぎるぜ。もっと、狡く賢く生きろよ」
さっきは、オレは善いイワオオカミだ、なんて、言っていたくせに。
「ラディ、悪いオオカミだ」
「わかってねーな、イウジェナ」
呟けば、笑い飛ばされた。
「ちょっとくらい、悪い方が、オスは魅力的なんだぜ。善良なばかりじゃ、守れないもんもあるからな!」
なるほど。
「考えとくよ」
「おう!自分の未来の話だからな!存分に悩め若人よ!」
「じゃあ、善くて悪い、イワオオカミのラディさん」
のそり、と、シウィが空けた場所を、叩く。
「良い値段が付く、毛並みにしてあげるから、おいで」
「ヒエッ、良い毛並みになっても、皮は剥がないでくれよ……」
ちょっと及び腰になりながらも、ラディがやって来る。
「剥がないよ。オオカミは殺さない」
笑って、ラディの毛に、保湿オイルを付ける。
「わたしが、善い人間で、良かったね、ラディ」
灰色の毛並みは汚れが目立たなそうで、ユキオオカミの毛皮とは、また違った需要があるだろうな、なんて、悪いことを考えながら。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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