善い狼と
夜番は、それ以上、なにごともなく、終わった。
シウィと共に、食事を取り、眠る。
雪に閉ざされる村では、冬に育てられる作物などない。夏の間に刈り取った山羊毛や麻を紡ぎ、紡いだ糸でレースや毛織り布を作る。あるいは獣を狩って、肉や毛皮を得ることもある。それらを行商で売って、食糧を手に入れるのだ。
だから、冬のリンの村は、人気がない。みな、家や作業場に籠って黙々と、手工業に励むのだ。
鎧戸を閉めれば日差しも遮られ、昼間だろうと静かに眠れる。
眠って、起きて、皮の鞣しに手を付ける。塩漬けしていない親二頭を先に。仔狼の皮も塩抜きを始める。今日は、夜番ではないから、時間に余裕がある。
外傷がないから、親の毛皮の方が、綺麗だ。成体としては小さいが、それでも、売れば良い値が、付くだろう。
「ん、イウジェナ、なにやってんだ?」
皮鞣しの作業場に向かう途中、通りがかったラディに、訊ねられる。
「それ、ユキオオカミの毛皮だよな。なにするんだ?」
「なににするかは、決めてない、けど」
「うん?」
あれ?毛皮をなにに加工するかを、訊かれたかと思った、けど。
「ごめん、今、なにしてるか、って言う話、だった?」
「うん」
「皮を、鞣しに、行くんだよ」
「かわをなめし?」
知らないのか。
ああでも、旅人が皮を、鞣すことはない、だろうから、無理もない、のか。
「えっと、いきものの、死体を、放っておくと、腐ったり、カビたり、乾いてカピカピに、なったり、する、でしょう?」
「なるな。だから、その前に食わねーとなんだ」
「うん。でも、毛皮は、マントとかに、したいから、腐ったり、カビたり、カピカピに、なったりすると、困るの」
「臭い服は嫌だな。カピカピも、着心地が悪そうだ」
ラディの鼻筋に皺が寄る。オオカミだけあって、鼻が良いのだろう。シウィも臭いのは嫌いだ。
「だよね。だから、腐ったり、カビたり、カピカピに、なったり、しないように、処理をするの。それが、『鞣し』。今日は、皮に付いた肉片とか、脂肪とかを、削ぎ取って、腐敗やカビ、臭いの原因を、取り除くの」
「へえ」
ふんふんと頷いて、ラディが感心した顔になる。
「確かに、ニンゲンが着てる毛皮って、脂の臭いが薄い気がするな!それに、カビねーし、やらかい!」
「もちろん、ずっと傷まないわけじゃ、ないけどね。でも、丁寧に鞣した皮は、すごく長くもつよ」
「イウジェナが持ってた毛皮も、昔の毛皮だったもんな。ニンゲンって、すげーな」
「人間は、オオカミと違って、自分の毛皮が、ないからね」
ほかの獣の、皮を剥いで着なければ、寒さでたちまちに、死んでしまう。
「なー、見ててもいーか?なめすって、どんなことすんのか、気になる!」
「べつに、構わない、けど」
オオカミが、そばにいるのは、気にならない。
作業場に着いて、作業の準備をしながら、興味深そうに、ひょこひょこと周りをうろつく、ラディに告げる。
「今日だけじゃ、終わらないよ?」
「えっ」
ラディは表情の端々に、愛嬌があって、可愛い。
「そんなに掛かるのか?イウジェナ、ちゃんと寝られるか?」
「ずっと、付きっきりでは、ないから、大丈夫だよ」
準備が出来たので、せっせと、毛皮の内側、余分な肉や皮膚、を削り取って行く。削り足りなくても、削り過ぎても、品質は落ちる。毛皮の、出来を左右する、大事な作業、だ。
これは、大事な毛皮だから、絶対に、綺麗で、長く保つ毛皮に、しなければ。
「こうして肉や脂を、削いだら、よく洗って、汚れや脂肪を、落として、水気をきったら、鞣し液に、漬けるの。今日の作業は、漬け始める、ところまで。それから、鞣し液に浸した皮を、時々撹拌したり、畳み方を変えたり、しながら、鞣し液を、毛皮によく、浸透させるの。十分浸透したら、乾かして、完成。この、浸透と、乾燥に、時間が掛かるの」
「どれくらい?」
「皮の種類や、厚さ、使う鞣し液や、気象条件にも、よるけれど、だいたい、一週間から、二週間、くらいかしら」
ほえー……と、ラディが、感嘆の声を、上げる。
「ニンゲンの毛皮って、そんなに手間が掛かってたんだなー」
「そう、だね。鞣し方の、方法次第、では、もっと掛かることも、あるみたい」
「もっと?」
「半年とか、一年以上、掛けたりもするって、聞いたことが、あるよ」
ぽかーんと、目も口も開けたラディの、間抜け面に、笑ってしまう。
「ね、オオカミは、自前の毛皮が、あることに、感謝した方が、良いよ」
「おう。おう!いま、生きてていちばん、この毛皮に感謝したわ!場所によっては、暑くて死にそうになるから、涼しそうなニンゲンが羨ましいとか思ってたけど、違うな!毛皮万歳!オオカミ最高!!」
うんうんと頷くラディに、そうだね、と相槌を打つ。
「確かに人間は、自前の毛皮がない分、服で、暖かい格好も、涼しい格好も、選べるけれど。服、って言う道具がなければとても、生き延びられないもの」
「だな。うんうん。旅の途中も、雨宿りしなきゃだったり、気候に合った服を、手に入れなけりゃいけなかったり、手間が掛かってたな、ニンゲンは」
そうそう、と頷く。
「自前の毛皮と違って、服は破れたら、勝手に治らないし、ね」
「不便だな、ニンゲンは!」
「そうだね」
「でも、服は、その日の気分で変えられるだろ?そこは、楽しそうだと思う」
確かに、村の娘たちは、日々、服や装飾品を、工夫して、楽しんでいるみたいだ。自分のために、凝ったレースを、編む子もいる。そもそもレースが、誰かがおしゃれを、楽しむためのもの、だろうし。
わたしは、あまり、おしゃれに興味はない、けれど。
それでも、着心地が良くて、丈夫な服が良い、と言う好みは、あるし、目立つ髪を、隠せるように、フードのある服を、つい、選んでしまう。
「うん。傷んだら、すぐ、変えられるし、ね」
「あっ、イウジェナ、今、失礼なこと、思わなかったか?オレの毛皮、傷んでるって、思ってないか!?」
実際少し、荒れているから、ラディの毛皮は、シウィより、触り心地が悪いんじゃないかと、思う。
「シウィは、綺麗好きだし、わたしが、いつも、毛皮の手入れ、してる、から」
「む。確かに、ニンゲンの女の子がするみたいに、入念な手入れはしてないけど!」
「ふふ。今晩、わたしが手入れ、してあげようか?」
夜番に行かないから、時間はある。
「気にはなるけど、シウィが怒らない?あと、あいつにも、嫉妬されそー」
「洗って、乾かして、ブラシをかけるだけだよ」
あ、でも、と、続ける。
「シウィは、綺麗好き、だから、お湯はシウィが、使ったあとね」
「なあそれ、イウジェナの部屋に、オレを入れようとしてない?怒られるってー、シウィにもロトカにも、あいつにも」
「?」
縄張りが、と言う話なら、土間に入れている時点で、ロトカは許している。シウィだって、見回りで離れているあいだに、こうしてラディがわたしに、近付いても、跳んで来たりはしないから、かなり、気を許している、と思う。
「なんで?」
「オレ、ヨソのオスだぜ?どこの馬の骨とも知れないオスが、大事な娘におめおめ近付いたら、男親は許さないから」
なるほど?
「でもわたし、ラディの好みじゃないでしょ?」
「まあ確かに、オレの好みは灰色の毛並みが岩に馴染む美狼だけど」
「なら、平気だよ。散髪屋みたいなもの、でしょ」
シウィ以外でも、汚れたユキオオカミを、洗うことはある。それで、シウィやロトカから、怒られたことはない。その場合は、温泉でだから、部屋には入れないけれど。
「うーん……ま、いっか、じゃあ今夜。よろしく頼むな。ぴっかぴかにしてくれよ!」
ラディはしばし悩んだ、ようだったが、最終的には、気にしないことにした、らしく、明るく言って来た。
それからも、ラディは興味深そうに、わたしの作業を、見守っていて。
雑談をしながらの、作業は、自分の思考に、沈み込むことも、なく。
「やー、楽しかった!ありがとう、イウジェナ!」
「わたしこそ、楽しかった、ありがとう」
見てみたい、なんて、ラディの、気遣いだったのかも、しれないと、思い至ったのすら、今日の作業が、終わってからだった。
「仔狼の方は、もう漬けてるのか?」
「ううん。仔狼の方は、一回塩漬けに、しちゃったから、塩を抜いてるの」
「塩漬け?」
「騎士から、隠してたから、もし騎士が、長く居座って、鞣しの作業が出来なくても、傷まないように」
実際は、騎士がすぐ去ってくれたので、塩の無駄使いだった、けれど。
「ああそっか、肉や魚も、塩漬けすると長持ちするもんな!」
「原理は一緒だね」
ラディといると、落ち込む隙もない。
「セーカツのチエってやつだな。塩漬け肉や干し肉のお陰で、狩りが出来ない日も飢えずに済む!」
ふんふんと、機嫌良さそうに歩く姿が、可愛くて、つい、上機嫌に揺れる頭に、手が伸びる。
触り心地はやっぱり、シウィの方が良いけれど、温かさは一緒だ。
「イウジェナは、よく、なでるなー」
「あ、ごめん、つい。嫌?」
「嫌ではないぜ。でも、オオカミって、ニンゲンからしたら、怖いもんだろ?市街地とかじゃ、遠巻きにされるぜー。オレ、こんなに優しくて格好良いのに」
オオカミは。恐れられる。その通りだ。だからこそ、行商にはユキオオカミを、引き連れて、行くのだから。
「ラディは、怖くないよ」
ラディだけではない。多くの、野生動物も。
「わたしが、ラディの大事なものに、手を出そうとしない限り、噛み付いたり、しないでしょ」
「まあ、オレは善いイワオオカミだからな!あ、でも、気を付けろよ?世の中には、悪いオオカミも、いっぱいいるからな!」
むん!と、険しい顔を造って、警告したあとで、でも、と、ラディが表情を、ゆるめる。
「ユキオオカミは、強い、つか、でかいからな。シウィのそばにいりゃ、悪いオオカミは寄って来ないぜ。だから、危ないとこでは、シウィのそばを離れんなよ、イウジェナ」
「うん。わかった」
「素直でよろしい。ま、オレもそばにいりゃ、守ってやるけどな!」
もしも、旅人の申し出を、受けたなら。
「……うん。ありがとう」
ラディの、言葉通り、守られることも、ある、のだろうか。
「番としての好みじゃないが、仲間としてはイウジェナ、好きだからな!任せてくれよ!」
どややん、と、宣言するラディは、やっぱり可愛くて、笑って両手で頭をなでたら、さすがに嫉妬されるからよせ!と怒られてしまった。
嫉妬って、誰がするんだろう。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
鞣しは素人なので作中の話は信頼しないで下さい
続きも読んで頂けると嬉しいです




