歌う狼
「シウィ」
旅人の声が、耳を揺らす。
「触れることを、許して欲しい」
顔を埋めていたシウィの腹が揺れる。動いたのだ。囲んで包んで、守ってくれていた、シウィの身体が、わたしを置いて、行く。
「グウ」
思わず背中の毛を握って引き留めれば、おいやめろとばかりの唸り声を返された。
「置いてかないで」
呟けば、フスン、と、仕方なさそうに鼻を鳴らし、それでも、隣に座ってくれる。それを良いことに、シウィに抱き付いて、顔を毛に、埋めた。
「イウジェナ」
大きな手が肩に触れて、びくり、と、肩が跳ねる。
「すまない。思い出した、のか」
振り向かない、まま、こくん、と、頷く。
なぜ、旅をするのか答えた旅人は、わたしと共に、生きたいと、行きたいと、願い、共に村を出ないかと、誘った。そうして、一目惚れだ、と、わたしの唇に、口付けた。
家族や、ユキオオカミ以外に、口付けを貰う、なんて、初めてで。驚いた、わたしは、その場を逃げ、話した内容を、すっかり、忘れて、しまった、のだ。
「イウジェナ」
旅人の手が、背をなでる。
「確かに、恨まなかったことがない、と言えば、嘘になる。なぜ、自分がと、何度思ったことか。だが、復讐をしようとは、思っていない」
「どうして?」
もし、両親を殺した強盗が、ユキオオカミに殺されておらず、生きて、いたならば。
わたしは、恨まずに、いられた、だろうか。復讐したい、殺したいと、思わずに、いられた、だろうか。
両親ではない、初めて出会う、仔狼を、殺した騎士ですら、殺したいほど、怒りを覚えた、わたしが。
「お陰で、得たものが、あるからだ」
「得た、もの」
「ああ。故郷を追われていなければ、おれは、旅に出はしなかった、だろう。旅先で見た、さまざまな景色。食べた食事。聞いた話。どれも、おれの人生を豊かに、彩ってくれた。殺されかけなければ、ユキオオカミの縄張りに、逃げ込むことも、なかった。ユキオオカミと共に暮らすなど、普通に生きていれば、あり得ない、ことだった」
もし、両親が、いまも生きて、いたなら。
きっと、イウジェナが、行商隊に混じることは、なかった。行商に出た、ことで、見た景色、得た知恵、手にした、力。いずれも、もし、両親が健在なら、得られなかったで、あろう、ものだ。
きっと、普通の娘のように、家の仕事だけを覚え、誰かの求婚を受け入れ、結婚し、母になって、いただろう。
「そして、イウジェナ、きみに出会うことも、なかった」
続けられた言葉に、振り向く。
「わたし?」
目が合った、旅人は、穏やかに、微笑んだ。
「確かに、きみは、王兄にそっくりだ。顔を見れば一目で、血の繋がりが、わかる。だが、」
不意に、旅人が、くすくすと、笑い出した。
「なんで、笑って、」
「す、まない。ふふっ、いや、おれが、きみに一目惚れ、したのは、顔を見る、前だ。それを、思い、出して」
「顔を、見る前に、一目惚れ?」
それは、どう言う状況、だろうか。
「イウジェナは、知らない、だろうな。イズラク殿が、家におれを、案内して、そのときが、初対面と、思っている、だろう」
「違うの?」
「元々、リンの村に、寄るつもりはなかった。補給が必要で、だから、この先の町に、行こうと思っていた。だが、不注意で足を、滑らせて、怪我を、した」
怪我。
「見た目に、よらず、おっちょこちょい?」
「いや、普段は、あまり、怪我をしたり、しない、んだが。それもまた、運命、だったのかもしれない」
旅人の、手が、頬をなでる。
「傾斜で滑って、転がり落ちて、その先で、白団子を見た」
「しろ、だんご?」
「ああ。歌っていた」
「うた?」
旅人が、思い起こすように、目を細める。
「『ひとつつんでは ちちのため ひとつつんでは ははのため』と歌いながら、ナナカマドの実を摘んでいた。縁起でもない歌だ、と思ったが、子供だったから、意味を履き違えて、いたのだろう」
また、旅人が笑い声を上げる。
「何頭もの、ユキオオカミに、囲まれて、すり寄られて、小さな手しか、見えなかった。だが、歌声は、のびのびとして、肉食獣に囲まれているとは、思えなかった。それどころか、『シウィも食べる?』と言って、実を摘んだ小さな手を、ユキオオカミの口許に、差し出しさえしていた」
記憶には、ない。
だが、幼い頃から、わたしは、ヒトよりも、ユキオオカミと、親しくて。薬草や薬になる実を集めて渡せば、呪い師から小遣いを、貰えると、同じ歳の子供と遊ぶより、ユキオオカミたちを連れて、森に入って、いた。
「白団子のなかの一頭が、おれに気付いて、寄って来て、『姫を害するなら、その喉笛咬み千切るぞ、小童』と脅して来た。こんなに、ユキオオカミと、親しみ、ユキオオカミに、愛される、ヒトが、おれ以外にも、いるのかと、胸を打たれた。姫と呼ばれていて、女の子と、気付いて、ああ、この子となら、旅を共にしたいと、思った」
顔も見ず、言葉も交わさず、それだけ、で?
「斜面を落ちて、怪我をしたと言ったら、そのユキオオカミが憐れんで、リンの村まで運んでくれた。そのまま、呪い師のところで、手当を受けたんだ。手当を受けて、休んでいるあいだに、ナナカマドでいっぱいの籠を、持って、イズラク殿が、来た。もしや、と思っているあいだに、呪い師と、イズラク殿のあいだで、話が進み、おれは、数日、イズラク殿の家で、療養することに、なった」
ああ、そうだ。ひとの良い父は、困ったひとを、見逃せず、よく手を差し伸べて、いた。旅人を、泊めることも、多く、感謝されることも、多かった。けれど、最期は、その優しさが、自分と妻の命を、喪わせた。
「イズラク殿に、案内されるあいだ、家に、七つの娘がいると、聞かされた。人見知りで、あまり、愛想良く出来ないかも、しれないと。おれは、高鳴る鼓動を、感じながら、イズラク殿の家に、向かい、きみと顔を、合わせた」
目を見据えられて、澄んだ翠の、けれど、暗さを含む目に、吸い込まれそうな、心地を覚える。
「顔を、見て、愕然と、した。忘れる、はずも、ない。姉の、女王の、王兄の、見慣れた、髪色だ。ジェニアナ殿の名を、聞くまでも、なかった。ここがリンの村で、きみが、彼の子供なのだと、確信し、我が身の、運命を、呪った」
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