強欲の犠牲者
※近衛騎士隊長視点
「お湯、ありがとう、ございました」
寸足らずの服に身を包んだ男が降りて来る。居間を見渡して、首を傾げた。
「イウジェナは」
「シウィさんの湯浴みをしているでしょうから、まだしばらく掛かりますよ。どうぞ先に、おあがり下さいな」
村長の妻が男を手招いて座らせ、その前に膳を並べる。
「シウィの」
「いつもイウジェナの残り湯を貰うんですよ、シウィさんは綺麗好きだから、露天の温泉は嫌なんですって」
まるで隣人の噂話でもするように、村長の妻はオオカミの話をする。否。真実この村の人間にとっては、ユキオオカミは善き隣人なのだろう。荷馬であり、農耕馬であり、番犬であり、護衛であり、友人であり、相棒であり、家族でもある。それがこの村のひとびとにとってのユキオオカミであり、生活を支える命綱なのだ。失えば、生活が立ち行かなくなる。
ほかの家に泊まった部下達は、無事だろうか。大事な隣人の子を殺した大罪人として、針の筵に座らされてはいないだろうか。
この村は、我々を歓迎しない。受け入れない。今すぐにでも、立ち去るべきなのだ。
だが、なんの戦果も持たず、怪我だけして帰れば、我々は。
どうすれば良い。なにが出来る。
ぐるぐると、まとまらない思考を巡らせて、どれほど時間を過ごしただろうか。
ギッ
階段の軋む音に、はっと顔を上げる。
真っ白なオオカミを引き連れて、少女がこちらへ降って来ていた。白銀の髪、雪白の肌、青みがかった灰白色の瞳の、美しい少女。身を包むのは簡素な生成りの服だが、引き連れるユキオオカミの白さもあいまって、雪山の神でも舞い降りたのではないかと錯覚する。
「イウジェナ」
男が少女の名を呼ぶが、少女は男ではなく、こちらを見ていた。先程は見向きもしなかった、こちらを。
少女が静かに、こちらへ歩み寄って来る。その手にはなにか、抱えられているようだ。
あれは、まさか。
「二度と、ユキオオカミを狩ろう、などと、考えない、と、誓いなさい」
立ち止まった少女が、座ったままの私を見下ろして言う。
「誓うならば、これを、差し上げます。これを持って、出て行き、二度とこの一帯に、ユキオオカミを狩る目的で、立ち入らぬ、こと。あなただけでは、ありません。あなたの主に仕える、すべてのものが、です。それが、条件」
少女が、これ、と示したのは、丁寧に鞣された、真っ白の、大きな毛皮だった。毛並みと大きさから見て、ユキオオカミの成体、それも、かなり大きい個体のものだろう。
「イウジェナ、それは、」
村長の妻が、慌てたように少女へ歩み寄る。
「いいんです。わたしには、シウィがいるから」
そんな村長の妻に、少女は首を振って答える。
「ユキオオカミが、これ以上、傷付けられずに、済む、なら、惜しくは、ありません」
「でも、イウジェナ」
言うなとでも、言うように。少女がふたたび首を振る。
「毛皮を手に、入れなければ、帰らない、のでしょう、このひとたちは。子殺しの悪鬼に、早く消えて欲しい、のです」
ああ、この娘は、少しも、許してなどいないのだ。昨日は、弔いを優先したから引き下がっただけ。いまは、自分の復讐心を満たすより、ユキオオカミ達の平穏を優先しただけで。
けれどこの毛皮を受け取って戻れば、王命を果たすことは出来る。立派な毛皮だ。昨日殺した六頭の仔狼などより、ずっと立派で、より、国王陛下を満足させそうな毛皮。
「私に、国王の命を覆せるような発言力はない。だが、雪深い地に住む民にとって、ユキオオカミがどれほど大切な存在かは、必ず伝える。ヒトがユキオオカミを狩ろうとすることが、どれだけ愚かかと言うことも。その毛皮を譲ってくれると言うなら、可能な限り早急に、ここを出て行くと約束する。もちろん、その毛皮の対価も払う」
「お前たちからの対価など受け取るものか。疾く去り、二度と顔を見せるな」
憎しみのにじむ目で、少女は我々ひとりひとりを睨む。オオカミのような、苛烈な視線だった。
しかし、ひどく丁寧に、少女は毛皮を置く。傷付けないように。それこそ、ヒトの遺体を扱うように恭しく。
「約束を違えるなら、今度こそ、その首落とします」
言うだけ言って、同じ空間にいるのも不快だと言いたげに、少女は私から離れる。
「ごめんなさい。いまは食欲が、なくて。あとで、頂きます」
村長の妻へそう告げて、居間を出て行く。
「イウジェナ」
男がそれを追って、立ち上がる。
「あの、食事、ごちそうさまでした、美味しかったです」
早口に村長の妻へ告げて、少女を追い掛ける。
私の前に、真っ白な毛皮が残された。
「それは」
言わずには、居れなかったのだろう。
村長の妻が、こちらを見る。
「イウジェナが生まれる前に、この村を訪れた旅人が、生まれる子の祝福にと、イウジェナの両親に渡したもので、あのこの持つ、数少ない、家族との思い出の品です。イウジェナが強盗に殺されなかったのは、熱を出して、呪い師の家で療養していたからで、その毛皮が燃えずに済んだのは、高熱にうなされるイウジェナが、寒い思いをしないようにと、イウジェナの両親が、毛皮をかけてやったから、で。イウジェナが、両親から与えられた、最後の愛情が、その毛皮です」
村長の妻の言葉は、震えていた。
「それを、村のために、あの子は……」
あの少女はどんな気持ちで、この毛皮を差し出したのだろうか。
村長の妻の話が本当ならば、これは十年以上前に死んだオオカミの毛皮だ。けれど汚れも傷も黄ばみも虫食いもなく、美しい毛並みを保っている。それほど大切に扱い、丁寧に手入れをして来たのだろう。
親の形見とも言えるものを差し出しても、少女はユキオオカミと村を守ろうとした。我らはあの少女に、親の形見を差し出してでも止めなければ、どんなことをするかもわからない下郎と、思われている。
栄誉ある、宮廷近衛が、落ちたものだ。
悔しい。情けない。恥ずかしい。
けれど我々がここで取った行動を思えば、反論の余地もない。言い訳すら、浮かばない。
子殺しの悪鬼。それが我々の行動に対する、この村からの評価なのだ。
ユキオオカミの毛皮を献上するように。
それが国王陛下の、我々の主の、命だった。
目の前に置かれた、毛皮を見下ろす。
立派な毛皮だ。国王陛下も、きっと満足する。
満足して、ほんのいっとき自尊心と欲を満たして、あとはもう、宝物庫にしまい込んで見向きもしないだろう。いままで欲して手にして来た、あまたの品と同じように。
これはひとりの少女の、掛け替えのない宝だと言うのに。
ほんとうに、これを我々が、手にして良いのか?
問いの答えなど、私にはわかりはしなかった。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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