魔王殺しの魔物
思いもしていなかったことに、セルもシーラも息を詰まらせた。
ゼシスを──大切な人を殺した魔物が、今、すぐ近くに居るかも知れない。ある筈だった未来を奪ったモノが、すぐそこに。
ピリッ、と空気が張り詰めたことに気付いて、シーラはセルに視線を向けた。出逢って数日、その間見てきた穏やかな、むしろ間抜けとも言える彼の雰囲気は消え、鋭利な刃物のような空気を纏っている。表情だって、見たことが無いほどに鋭い眼でまっすぐ前を見ていた。
「お受けしましょう」
はっきりとしたその言葉に、確固たる意志が見える。だがシーラは、まずい、と思った。
確かにセルは強かった。見た目からは想像がつかない剣さばきで魔物を倒し、シーラが魔法で応戦する必要もないくらい。父の墓前での言葉通り、確かに守ってくれていた。それでも、強いのは剣術だ。術力を持たない彼が、前魔王の力を奪い扱う魔物に対抗出来るのか。考えるまでもなく、答えは『否』だ。
「ちょっと……何考えてるのよ! 死にに行くようなものじゃない!」
「そうだな。警備兵や傭兵でも敵わないってことは、頭もそれなりに回るんだろう。それでも俺はやるよ。そんな危険な魔物を野放しにしてはおけない」
強い眼で言い、それに、と続ける。
「俺は死ぬ気はないよ。やらなきゃいけないこともあるし、故郷だってそのままにしておくにはまだ不安定なところがある。何より、シーラの水晶球の欠片、集めないとだしな」
ようやく、少しだけ表情を緩めた。いつもの穏やかさが垣間見えて、だけどシーラは安心など出来ない。
次の言葉を探していると、マーラがぽんとシーラの肩に手を置いた。
「むしろわたしは、あの魔物を倒せるとしたら、セル坊やくらいだと思ってるわ。彼……アシュヒト坊やが居れば、尚確実だともね」
「そうですね。確かに、出来るならアシュヒトの手は借りたいかな」
新しい名前が出て、セルの身近な人だろうかと思う。アシュヒトとは『隣人』の意味を持つ言葉だ。流れから考えるに、これもセルと同様、ゼシスに与えられた名前なのだろうか。
そう言えばいつだったか、ある旅から帰ってきた父が母にぼやいていたのをふと思い出した。
──『今回の模擬戦闘、すごかったぞ。あいつら二人がかりとはいえ、この俺に膝をつかせやがった』
魔王と呼ばれるほどの精力と術力を持ち、兵達にも劣らない剣術を扱い、策士でもある。そんなゼシスに膝をつかせる程の実力を持つ者が居ると。悔しそうに、だが誇らしげに笑っていた父の姿が蘇る。
もしかすると、それがセルと、そしてアシュヒトという者なのだろうか。だとしたら、彼の力を信じてみてもいいのだろうか。
「手紙鳥を飛ばしてみるか。アシュヒトに放ったやつは随分早くに戻って来てたから、近くに居るなら協力を頼めるかも知れない」
事情が分かれば、あいつがそれを断る筈がない。
絶対の信頼を込めたようにそう言って、手早く紙とペンを出して来たマーラに礼を言っては手紙を書き始める。
手紙鳥の使い方には二種類ある。はっきり場所が分かっている者に送る場合に、「この地のこの家に入れてくれ」と送り出すものと、旅人などの居場所が不特定で分からない者に送る場合に、「特定のこの人物に渡してくれ」と送り出すもの。後者はその人物の特徴が分かる何かも教えなくてはならず少々面倒で、頻回に手紙を交わす仲の者が居ればその者とのやり取り専用に自分で手紙鳥を育てる方が早いとさえ言われている。
恐らくアシュヒトとは、今はセルのように旅でもしているのだろう。
「……ねぇマーラ、その間に聞いてもいい?」
「ええ、何かしら?」
「あたし、正直四年前のあの日のこと、あまり覚えてないの。マーラはあの時にあったこと、何か知ってる?」
はっと、マーラはシーラを見て、セルも聞き耳を立てた。一瞬考え込んだ様子になったマーラだったが、ふぅ、と息を吐き出して頷く。
「あの日もわたしは、メグを連れて城に向かっていたの。初めに聴こえたのは魔物の咆哮、それから、ゼスがフローラ様の名を叫ぶ声。メグをギトス様に預けて行った先で目に入ったのは、セシル様を抱え込んで背中から血を流し倒れていたゼスと、そこから少し離れた場所で既に息絶えていたフローラ様の姿だったわ。大熊の姿だった魔物は左肩から右脇腹にかけて斬り疵があったから、あれはゼスがつけたものなのでしょうね」
いつもより少し早口で、一気にそれだけを言い切る。そして、それ以上は分からない、と。自分に分かるのはそれだけなのだ、と。
「何とかしなくちゃって、どうしようって思ってるうちにようやく城の警備や魔王の護衛達が駆け付けた時には、もう魔物の姿は無かったの」
逃げられたんだと気付いたのは、ゼシスとフローラの死が確認され、幼いセシルが眠りについた頃だった。先程もセルが「頭もそれなりに回るんだろう」と言った。ならば魔物も察したのだろう、あんなひどい疵を負った状態では、残りの魔王──セシルを殺すどころか、警備や護衛にすら勝てないと。
その後は、既に城からは客人となっていたマーラは街へ帰ることになり、城内の者達で始末を済ませたのだという。
話を聞きながらも書き終えた紙を手紙鳥に託して飛ばし、その後またセルが二人の傍へ歩み寄る。
「マーラさん。その魔物の特徴を、出来るだけ細かく、分かるだけ教えて下さい」
見たのはほんの一瞬だったかも知れない。気も動転していただろう。そんな中で見たものの記憶なんてものは、不確かで頼りないものなのかも知れない。
だけどセルは、敢えて聞いた。かつては魔王ゼシスの傍らで、最も近くで働いていた彼女の経験値を信じて。




