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trip  作者: 水澤シン
旅の途中〜魔物の王〜
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思い出話と頼み事

 前魔王が見込んだゼシスの手腕は確かなもので、何も無くなってしまった魔王の城を彼が立て直すのにかかったのは、ほんの半年程度だった。世界は一つになったように、賢王と呼び若い魔王を祀りあげた。

 それからゼシスは、一度は他人を信じることを止めてしまった。一番傍にはマーラだけを置き、二人きりの時にだけ、マーラにだけ昔のあだ名を許し、他の誰も見ようとはしない。好きだった街にも行く事が無くなって、城に籠るようになった。

 信じているのはマーラだけ。生きるか死ぬかの瀬戸際で自分とゼシスの命を天秤にかけ、ゼシスを取った彼女だけだと。

 ずっと見つめているだけだった瞳が、今度は自分だけに向いている。それは嬉しいことであると同時に、だが自分が望んでいたものではなかったとマーラが気付くのにもまた、時間はかからなかった。

『ゼス』

『どうした、マーラ』

 魔王としての執務中、普段は例え二人きりでも仕事中は別だとして「魔王様」と呼んでいたマーラが突然口調を砕いたことで、ゼシスは驚いたように振り返った。

『わたし、結婚しようと思うの』

『……は?』

 間抜けな声を出すゼシスの方は見ず、本棚を前に書類や資料の整理を続けながらマーラは更に言葉を重ねた。

『正確にはまだ婚約だけどね。子供だし、適齢期になるまでは』

『いや、そうじゃねぇだろ。何を……だってお前、』

 戸惑うゼシスが言いたいことも分かっている。彼はきっと、マーラがどれほど自分を好きか知っていた。だからこそ、他の誰かとなんて、想像もつかなかったのだろう。

 だけどマーラは、この時もう引かないと決めていた。

『ゼス。わたしはね、このままでもいいの。両親を魔物に殺されて、独りになったところで召し抱えられた城で、あなたに出逢って、恋をして。わたしの世界は、あの時からあなただけだったから……このまま完結したって構わないの』

 だがそれは、あくまで「自分だけなら」の話だ。

『あなたは違う。そうじゃない。魔王として、人と向き合わなきゃいけない。どれだけ裏切られても、自分の民を信じなきゃいけない。閉じ篭ってわたしだけの世界にしちゃダメなの。わたしが好きになったのは、そんなゼスじゃないもの』

『マーラ──』

『あなたは確かに、賢王と呼ばれるに相応しい人よ。強く聡明で、知識も力も使い方を間違えない。それなのに、そんなあなたが世界を閉ざしてしまえば、外の世界の人達はどうなるの。今まで出逢ってきた人、これから出逢う人、その中に居るかもしれない、あなたにとって必要な人達は』

 もしあの日のゼシスが今の彼なら、きっとマーラに声をかけることなどなかっただろう。もしこれまでのゼシスが今の彼なら、きっと城外から子供達をお相手役になどと召し抱えることも無かっただろう。

 従来通りの魔王一族の過程を辿っていたなら、出逢うことのなかった二人。これは、出逢ってしまったが故の悲劇ではない。出逢えたからこその、優しい物語なのだと、マーラは信じていたかったのだ。

『だから、あなたのために、わたしはあなたを二番目にするわ』

 自分以外にも、信じられる人は居るのだと、知って欲しかった。あなたを見てくれている人はちゃんと居るからと、拙い言葉ではなく、伝えたかった。


 ほどなくしてマーラは、城外で出逢った男性と婚約をした。それは、結婚を機に城を降りるという意思表示。

 その婚約を境にゼシスは更なる才覚を見せていき、少しずつ元の彼に戻っていった。時折城を抜け出し「お忍びの視察だ」と街へ降りたり、時には勝手に旅に出てしまったり。だけど城では人一倍仕事をする。

 ある日旅から戻ったゼシスが「婚約者に」と女性を連れ帰った時は、驚きはしたが安心もしたものだった。


「それがフローラ様。それから、セル坊やを連れて来たのもほんの二年後くらいだったわね」

「……俺が逢ったのは、フロルさんとの婚約のすぐ後だったそうですから」

 それからのゼシスの人柄なら、多少は知っている、とセルも頷く。城を放って随分長く故郷でのことに付き合ってくれたし、彼のおかげだと言えることも少なくなかった。

「あなた達が来た時ね、彼を『ゼス』って呼んでることが、すごく嬉しかったのよ。あの日以来、わたし以外が呼ぶのを聞いたことが無かったから」

 言って、本当に嬉しそうにマーラは笑った。また昔のように呼ばせても良いと思える者が、近しい者として認め心を許せる者が現れた証だと思った。

 それを聞いてセルは、なるほど、と言った。初めてマーラに会った日、ゼシスを『ゼス兄』と呼んだ途端に、元々歓迎ムードだった彼女からの対応が更に親身になったのは、それ故か、と。

「まあ、俺も嬉しかったですよ。初めは偽名を名乗られてたくらいだったし、本名を教えてくれるどころかあだ名まで呼んで良いと思ってくれたのかって」

「偽名?」

 くす、と微笑んで言うセルの発言に、えっ、とシーラが反応した。そんなことは聞いたことがない、と。

「そう、偽名。今俺が使ってるこの“セル・クロム”って名前は、元々ゼス兄が使っていた名前を俺にくれたものなんだ」

 実を言うと、俺もあまり本名を晒せない立場でね。なんて軽い調子のセルに、思わずシーラは言葉を失う。

 だが考えてみれば、思い当たるふしはあった。よく知った仲のような発言をしていたギトスも確認するようにセルを呼んでいたし、マーラだって開口一番、セルを見て別の名前を紡ごうとしていたのではないだろうか。

 そう考えると、セル……『勇者』なんて、とてもゼシスらしい名前だとも思う。

「じゃあ……本名は、聞かない方がいいの?」

「今はまだ。いずれ時が来たら、ちゃんと話すから」

 本当に『その時』が来るのなら。

 静かに穏やかに、だがどこか寂しい響きを持った声で言って、セルはマーラに視線を戻した。この話に続きはあるのか、と。

「話が逸れたついでに、先にセル坊やに頼み事をしても良いかしら」

「え……はい、何でしょう?」

「数日前にね、近くの村が魔物に襲われたらしいの。命からがら逃げて来た人がこの街に身を隠しているのだけど、その魔物があまりにも危険だから、退治してもらいたいのよ」

 それは、旅のちょっとした路銀を稼ぐのに請け負ういつもの依頼と変わらないような内容。だがそんなものは、言われたその日に誰かに頼むものだ。例えば、街の自警団や首都からのの警備兵、旅の傭兵など。

 数日も経っていて、わざわざ頼む相手を選ぶというのは何か理由があるのだろう。安請け合いはしない方が良さそうな話だ。

 その辺りを分かっていない様子のシーラが、何故魔物退治をセルに、と怪訝そうに首を傾げていた。

「魔物の数は一匹。だけどその一匹の魔物退治に行って、街の自警団も警備兵も、腕に覚えがあるって自信満々に向かった旅の傭兵も、誰も戻って来ないのよ」

「一匹に?」

 不穏な気配に、セルばかりか薄々気付いた様子のシーラも顔をしかめた。

 そう、と続け、マーラは声を落とす。

「聞いた話だとその魔物、ゼスとフローラ様を殺したものと特徴が一致するの」

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