セルの実力
一度二手に分かれよう。マーラの家を出たセルはそう言った。シーラは街の中心付近から水晶球の気配を探って、セルは魔物についての情報収集。
どのみち魔物がゼシスの力を奪って使っているなら、アシュヒトが来ないうちから討伐に向かうのは無理を極める。だからせめて手紙の返事が来るまでは、ということだった。
だったら、と、セルが動き出す前にシーラは彼を引き留めた。
「聞きたいことがあるの」
「何?」
「クロムは……模擬戦闘で、お父様に勝ったことはある?」
あの魔物と戦うと言うのなら、知っておくべきではないかと思った。あの日聞いた、父の言っていた「あいつら」が誰のことなのか。セルのことなのか、そうでないのか。
そんなシーラの意図を察してか否か、セルはまっすぐに彼女に向き直る。
「勝ったことは、ないよ」
「膝をつかせたことは?」
「それは……一度だけ。アシュヒトと二人がかりだったけど」
とても言いづらそうに、だけど偽ることはせずに言う。本当は言いたくないんだと、だけど嘘もつきたくはないと、視線だけを落としたセルをシーラは真正面から見つめた。
「…………あれが最後になるなんて、思ってなかったんだけどな」
それは、大体四年前。あの魔物に襲撃される、ほんのひと月ほど前のことだった。
この数日でシーラがセルについて分かったことがいくつかあった。言えないことは誤魔化すが、嘘をついている様子はない。名前は偽名だったが長く使っているようで、馴染んでもいるようだからただ嘘というわけでもなく、わざわざ偽名を使うにも理由があるらしい。意外にも剣さばきは鋭く、フィールドでよく見かける程度の魔物を相手にはちょっとした運動といったレベルの強さを持っている。だがその強さもあまりひけらかしたくはないようで謙遜する。
初めは泣き虫かと思ったが、ゼシスのこと以外で泣く姿はまだ見ていない。それよりも普段はよく笑い、場を和ませていることの方が多いようだ。
そして時折、謙遜がすぎるせいか勘違いをしていることがあるようで。この件に関しても例外ではなかった。
「でもそうは言ってもゼス兄も手加減はしてただろうし、実際は最期まで足元にも及ばなかったよ」
「バカね」
どうしてこんな者を、ゼシスは自らが使っていた名を与える程気に入っていたというのだろう。相手の実力も読み違えるような者を。
「あたしはお父様とお母様が話しているのをたまたま聞いただけ、誰のことかも今まで知らなかったわ。でもこの話をした時、お父様は言っていたの」
──『いつかあいつらなら、俺をも越えられる。他の誰かだと思えば恐ろしいもんだが、あいつらだから良いんだ。やっぱ悔しいんだけどな、同じくらい、誇らしいし頼もしいと思うよ』
「本当に手加減をしていたなら、こんなこと言うかしら」
もし手加減をしていたというなら、次はもっとレベルを上げてやろうとか、そんな言葉に変わっていたかも知れない。
たった二人で、いずれ魔王にも勝てるかも知れない程の力を手に入れたというのは、実に恐ろしいことだ。だけどゼシスは本当に、心から彼らを信頼しているのだろう。だから誇らしいと言えたのだろう。
「ゼス兄が……そんなことを」
心底驚いたような表情を見せつつも、その頬は僅かに朱に染まり、嬉しそうでもある。それから、いつものように気の抜ける笑みを浮かべた。
「あの人はほんと、そういうこと俺達には言わないんだよな」
「そこは魔王としてのプライドなんじゃないの?」
いくら信用した相手でも、全てをさらけ出すことは難しい。まして魔王ともなれば尚更だろう。
民や臣下に弱い部分なんて見せられないし、時と場合によっては家族にさえ繕って見せなければいけない部分もあるのだろう。例え友人が出来たとしても、やはり「魔王」という立場は人との距離を少なからず作る。
そうか、と呟いたセルも、どこか納得した様子だった。
「そう、それが分かればいいわ。今回の魔物のことも、クロムを信用して頼ることにする」
言えば彼は、まっすぐシーラに目を向ける。何か言いたげな視線に小首を傾げ、シーラはセルが口を開くのを待った。
「シーラは、四年前にその魔物が現れた時、その場に居たんだよな」
「っえ……ええ、そうよ」
「四年前……十の歳か。幼い少女に衝撃が大きかったのだろうとは思うが……」
あまりにまっすぐな視線に、思わず目を逸らしそうになる。
「逃げたな」
「!」
ビクリと肩が震え、何とか留めていた視線をついに逸らした。見透かされたような目が、言葉が、怖いと思った。魔王である自分が、人間を怖いだなんて思ってしまったのだ。
それに、今──
「君こそ、逃げてはいけなかった筈だ。ちゃんと向き合わなければいけないことだった筈だ。ゼス兄とフローラ様の死を、魔王に向けたものでなく、家族として悲しみ悼むことは、君にしか出来ないのだから」
それは、近しい存在として傍に置いてくれていたセルでさえ、出来ないことだった。ただの友人と言うには近く、だが家族と言うには遠い存在だったから。
「二人のために……何より君のために、ちゃんと思い出して。逃げずに向き合って、ちゃんと二人にさよならしよう。俺もそこに居るから」
時間がかかってもいいから。そう言って最後に微笑んだセルを見て、確信せざるを得なかった。やはり先程感じたものは間違いではなかったと。
「お父様……」
重なって聞こえた声に、言葉に、堪えていたのに表情が歪む。
うん、と優しく言うセルはも、同じようにゼシスを思い出しているのだろうか。同じその言葉を向けられたことがきっとあるのだろう、それを思い出しているのだろうか。
一度上げかけた自分の手に視線を向けたセルが、結局その手で何かをすることはなくまた降ろす。
「とりあえずは先に、シーラは街の中心で……」
「きゃぁぁぁぁあ!!」
話途中で突然聞こえてきた悲鳴のような声に、二人は揃ってその声がした方向に向いた。街の端の方だ。
走り出したセルを追ってシーラも向かう。人々が反対に、それぞれに悲鳴をあげながら街の中心の方へと逃げていく流れに逆らって。どんどん先を行くセルとの距離は開き、追い付けない。何処からかは知らないが首都まで旅が出来る健脚の持ち主と、生まれてこの方ほとんどを城で過ごした自分とでは差が開いて当然だ。
と、ほんの一瞬、今まで感じたことのない術力が流れたような感覚があった。
「今のうちだ、早く逃げろ!」
叫ぶようなセルの声の少し後、その背中が見えたと思えば幼い姉弟らしき子供達がシーラの横を駆け抜けて行った。
顔を上げてみると、そこには剣を構えたセルと──あの魔物の姿があった。
「──っ」
ざわりと胸が騒ぐ。その姿を見た瞬間に、全てを思い出してしまった。四年前のあの日あったことを。




