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四十九話 入学編その三(日常に帰る、です)

 身体を支えるだけの力を失い、ラファエロは拘束によって何とか立っている状態だった。それと同じくして、ハル達の動きも止まった。ラファエロの支配下から解放されたと見るべきか。


 俺はナイフをラファエロから引き抜き、様子を窺う。俯き、力無い姿を見れば、それも必要無さそうではあるのだが。


「まさか、この身体を殺さずに僕を倒すとは思わなかった。それも、前世むかしの君ならともかく、現世いまの君にとはね。流石、矛盾なんて馬鹿げた本質の力を持つだけはある」


 そう言って、顔を弱々しく上げたラファエロの胸には傷跡一つ無かった。それを見て、俺は安堵の息を吐く。成功だ。


 俺が何をしたのか。それは既にラファエロが語っている。矛盾を本質とした力を使ったに過ぎない。あの時、ラファエロの背後に現れたのもその力のおかげだ。その場に確かに居るが、同時にその場には居ない。居ないはずの場所に、だが、同時に存在する。そこに在りて、そこに在らず。


 そこに確かに存在する身体を貫き、だが、貫かない。そこに存在しないはずの精神支配を貫けず、だが、貫ける。そうした、矛盾した事象を発生させる。それが俺の本来の力であり、逸らす能力はその副産物に過ぎなかったのだ。


 もちろん、限度もある。特に今の状態ではこの精神支配だけを貫くことも難しかった。成功したからこそ良かったものの、下手をしたら俺自身が矛盾の力に飲み込まれていただろう。飲み込まれた場合、どうなるのかは自分でも分からない。そう考えるに、我ながら無茶をしたものだ。


 と、それはともかく、俺には気に掛かることがあった。それというのも、何故ラファエロは無抵抗だったのか。これが気掛かりで仕方なかった。


「何で無抵抗で刺された。お前なら拘束があっても何か出来ただろ」


「ここが潮時だった、それだけだよ。これ以上は、君が死んでしまいそうだった。何より、僕は君ほどお気に入りではないからね。あまり遊び過ぎて、あの方に消されるのは困る」


 独断でやったことだからね、とラファエロは言った。事実、と受け取るべきだろう。でなければ、無抵抗に刺された意味が分からなくなる。何か企んでいるのならともかく、この様子ではそれもないだろう。


「おっと、そろそろ限界のようだね。この身体はお気に入りだったのだけど」


「待て! ハル達はどうなる!」


「問題ないさ。僕が直接精神支配したわけではないのだから。あくまでも、この身体を起点に支配していたに過ぎない。それに、信用ならないならそのナイフで同じように刺せばいいだろう?」


 そう言って、ラファエロは余裕の笑みを浮かべて消えていった。あとに残ったのは、ラファエロの入れ物と化していた青年の身体のみ。ラファエロは本体の方に戻ったようだ。


 俺がしたのはあくまでもラファエロの精神支配を破ること。ラファエロは傷一つ負っていないだろう。だが、少なくとも青年は解放出来た。今はそれで良しとしておこう。


 ラファエロとの会話が終わり、少ししてルビーが近寄ってきた。俺の傍らに着くと、ラファエロだった青年の身体を一瞥して口を開く。


「クロ、ラファエロは死んだのか」


「死んではいないけど、消えたよ。少なくとも、この人の身体からは。ラファエロの本体は別にある。それがどこにあるのかは分からないけど、しばらくは大人しくしてるんじゃないか」


 事実を告げたが、返答はなかった。ルビーも思うところはあるだろう。ラファエロについても、俺についても。だが、口に出すことは決してなかった。


 一度長く目を閉じ、再び開くとルビーは言った。そうか、と。それだけだ。それ以降、ルビーは何事も無かったかのように、拘束を解いた。


 見れば、それに合わせてシスの方も拘束を解いたようだ。倒れ伏す青年の姿だけが目に映る。


 ルビーはそのまま青年に近寄り、襟を掴むと運んできた。乱暴な動作だが、ルビーの心情を考えれば分からなくもない。俺は何も言わず、クリス達と合流する事にした。


 程なくして、クリス達と合流を果たした俺は、まずリリーに結界の解除を頼む。次いで、アリアにもハルを運んでくるよう頼んだ。既に動かなくなったハル達を一ヶ所に集め、青年もそこに寝かせる。


 そこまでし終わった頃、クリスが顔をしかめながら傍らに寄ってきた。おそらくは、俺のズタボロ具合を見てだろう。自分でも若干気持ち悪いくらいだ。


 案の定、クリスは近寄ってきた直後に俺を寝かせ、リリーに治療を頼んだ。俺も気が抜けて立っているのも辛かったので、願ったり叶ったりだ。


「クロ、無理をし過ぎです。よく今の今まで立ち回っていられましたね。クロはアリアとは違うんです。あまり無理をすれば、それだけ命を縮めることになるんですよ?」


 返す言葉も無い。自覚がある分、不用意に言葉が出てこないのだ。その代わりに、苦笑を浮かべることで応える。だが、それを皮切りにして次々に説教が降り注いできた時には、その苦笑も引っ込めることとなった。


 説教の内容は最初こそ、俺に対する心配から来るものだったが、次第にそれはあらぬ方向に突き進んでいった。端的に言おう。キスの件だ。何気に余裕があったのか、全員がその場面を目撃していた。


 それだけならば、まだどうにかなった。目撃していたと言っても、遠目からであり、戦闘中だったのだから。その全貌までは明らかではなく、多少濁した事実を、契約に必要だったことを説明するだけでよかった。


 しかし、ここでルビーが口走ったのだ。曰く、口の中を舌で蹂躙され尽くした。舌を絡め取られ、唾液を飲まされ、飲ませた、と。


 そして、俺は否定出来なかった。言葉に詰まり、間が空いてしまった時点で、言い訳のしようもなくなってしまったのだ。契約に必要だった、その一言が喉に張り付いて口から出てくれなかった。


 と言うか、だ。その時の記憶をルビーが鮮明に持ち合わせていることに動揺した。白けた視線をルビー以外の全員から受けて、その動揺に拍車を掛けた。治療されているはずなのだが、精神的ダメージを負っているとはこれ如何に。


「聞いてんのかよ、兄貴」


 はいはい、聞いてますよ。聞いてますとも。だから、お腹グリグリするのはやめてくれ。普通に痛いから、激痛だから。重傷の人にする仕打ちじゃないよ、それ。


 しばらくの間、そんな事が延々と繰り返され、俺は腕を治してもらった。ただし、腹の傷は悪化したので、治療に意味があったのかと言われれば首を傾げるほかない。


「――で、兄貴。どうやって帰んだ、この部屋から」


 辺りを見渡し、切り出したのはクリスだった。未だ冷たい眼差しだということは置いておくとして、その台詞を俺は訝しんでしまう。何を言ってるんだ、と。


「そんなの、普通にドアから出ればいいだろ?」


「そうだ、部屋から出るには窓なり扉なりから出るよな? じゃあ、その出入り口はどこにあんだ?」


 そう言えばありませんね、とリリーが同じく辺りを見渡して呟く。それを皮切りに、次々に肯定の声が上がる。そして、俺もようやく理解した。


「……無いな」


 ラファエロは最後の最後で、とんでもない置き土産を残していった。完全に密室と化した部屋に、俺達は取り残されたのだ。


 それを自覚してすぐにルビーを見やる。ラファエロとの関わりは俺の次に深い。俺には分からない事ももしかしたら、知っているのではないか。淡い期待を寄せる。


 だが、ルビーから返ってきた答えは無情なものだった。


「私を見ても解決策はないぞ、クロ。私よりもラファエロに詳しいクロの方が案を出せそうなものだが」


「出せたら見てないって」


 淡い期待ほど、儚く散るものもない。そう実感した瞬間だった。


 しかし、落ち込んでいる暇もない。重傷者が二人に、意識不明の者が六人。合わせて八人の状態が悪い。これを改善するには、早急に外に出る必要があるのだ。


 何より、ラファエロが居なくなり、この部屋が今後どうなるのかも分からない。救援も望めないのだから、早くに対策を講じなければならないだろう。


「クロ、心配いらないよ! 私に任せてー!」


 打開策を閃くために思考をフル回転させていたところ、アリアの声が掛かった。何だ、とそちらに意識を向ければ、アリアは自信満々の様子で胸を張っていた。


 一体何をするつもりか。そう問おうとした瞬間、アリアは軽く踏ん張って腕を生やした。呆気に取られたのは言うまでもない。


 何かが違う。思っていたイメージと何かが違う。こう、光の粒子が集まる感じで、腕が再生すると思っていた。だが、実際はズボッと音が聞こえて、文字通り生えてきたのだ。もっとも、再生工程がグロテスクではなかっただけマシなのだろうが。


 何というか、改めてアリアが竜なのだと理解した。と言うか、だ。レジストされている、などと言っていたわりに、ふん、の軽い力みで腕が生えるのなら、最初から生やせと思うのは俺だけだろうか。まさか、今やったら出来たと言うわけではないだろう。


「あ、生えた」


 ……今やったら出来たようだ。それでいいのだろうか。神竜の名が泣いている気がした。


「それで、アリア。腕が生えたのは分かった。けど、それでどうするんだ」


「えーと、この空間をぶち壊す!」


「うん?」


「手当たり次第に暴れて、破壊してみる!」


 いや、言い方を変えればいいわけではない。そんな事で俺は問い返したわけではないのだ。俺が問い返したのは、もっと根本的な事。


「アリアさん、アリアさん。それ俺達も巻き込まれるから。こんな特殊な異空間、下手に破壊したら巻き込まれて最悪死んじゃうから」


「と言うことは?」


「ボツです。ありがとうございました。お帰りは壁の向かう側です」


 と言うことだ。アリアは落ち込んでシスに慰められている。いや、アリアの頑張りは否定しない。ただ、それとこれとは別と言うだけだ。俺はまだ死にたくはない。


 さて、アリアの案を否定した事で、再度思案の時が来た。アリアはシスに任せ、残った者で頭を突き合わせて策を練る。


「んじゃ、私の能力でこの空間を再構築ってのはどうだ?」


「再生の力か。制御し切れる自信あるか? この異空間がどんな構造してるか分からないんだぞ?」


「……分析かその類の能力あれば何とかだけどな」


「ルビーとリリーにそんな能力は?」


 そんなものは持っていない。二人は首を横に振って、そう言った。二人の肩書きを考えれば仕方ない。分析などとは程遠い肩書きだ。


 では、他の代案は無いか、と尋ねてもみたが、これも芳しくない。


「私はあくまでもサキュバスだ。夢や幻を現実に干渉させることは出来ても、異空間そのものをどうにかする術はない」


「私も同じです。神霊や錫杖があれば何か出来たかもしれませんが……」


 気落ちした様子の二人。こちらが申し訳なくなる。だが、そうも言っていられない。何がしかの方法を思い付かねば、慰めの言葉も意味はなさない。


 正直に言えば、俺の力を使えば脱出は出来なくもない。矛盾の力で、この異空間からの脱出も可能かもしれない。ただ、俺にそこまでの力が扱えるのか、それが問題だ。


 自分の存在、器に大半の力を割いている今、出来る事もあまり多くはない。だが、器に割く力を減らして扱えればどうだ。


 そこまで考えたところ、クリスに突如として頭を叩かれた。


「これ以上無茶するつもりなら、腹の傷抉ってやっからな」


「いきなり何言って」


「クロ、考えが口からだだ漏れしていたのに気付かなかったのか?」


「私もその考えには反対です。これ以上はクロの身が持ちませんよ?」


 どうやら、知らず知らずのうちに考え事を口から垂れ流しにしていたらしい。あまりいい策とは言えない代物で、クリス達には明かすつもりはなかったのだが。


 知られてしまっては仕方ない。この方法は破棄するしかないだろう。使おうとすれば、即座に沈められるイメージしか分からない。そんな方法、破棄するしかないではないか。


 その旨を三人に伝え、事なきを得た。いまいち信用に欠ける、と言わんばかりに疑われたが、一応の納得はさせた。問題は無いはずだ。


 しかし、これも使えないとなるとどうしたものか。クリスの提案が最有力ではあるものの、賭けに出るには今一つ足りない。俺とクリスの二人だけならともかく、今回は失敗した際の代価が多すぎる。少なくとも、クリスが制御出来ると確信を持てなければ、実行には移せない。


 慎重に、さりとて迅速に決めなければならないこの状況。危険を冒すべきか、まだ何か案が出ることを信じて考えるか。それを決めるきっかけを作ったのは、話し合いに参加していなかったシスだった。


「……ん! ……クロ……分析……承諾……」


 挙手とともにそう言ってきたシスに全員が驚いた。シスの言葉を解釈するなら、分析は自分がやる、となるのだ。それが事実ならば、問題は殆ど解決したも同然だ。これを驚かずにはいられない。


「シス、本当に出来るのか」


「……可能……理由……邪神……」


 邪神だから出来る、と言うのはよく分からないが、シスが言うのだからそうなのだろう。邪神が万能過ぎる。もしかしたら、シスだけで脱出も叶うのではなかろうか。そんな考えさえ浮かぶが、せっかくクリスが頑張るのだ。触れないでおくのが、兄としての務めだろう。


 ともかく、これで脱出の目処は立った。あとはどうやって意識の無い者を運ぶかだが、これについてはアリアが頑張った。落ち込んでいたのが一転、シスがやるのなら自分も、と気合いを入れたのだ。


 何と、片腕に三人、計六人を担いでみせた。ふらつくこともなく、それどころか軽々と言った方が良さそうな様子だ。もっとも、担がれている側の状態はすこぶる悪そうだったが。一番下の者など、意識が無いはずなのに苦しげだ。


 可哀想だったのは女子であるはずの葉月が真ん中で、七瀬が一番上と言うことだろう。スズも一番上だと言うのに、不憫だ。ちなみに、一番下はヤマとラファエロだった青年なのはご愛嬌と言うことで。


 それから事態はとんとん拍子に進んでいった。まず、シスがこの異空間の構造を分析し、それをクリスに渡す。渡す方法としては、情報をそのままクリスの頭に送るのだ。最早、自分で何を言っているのかよく分からないが、シスは万能だった。そう言う事だ。


 しばらくして、クリスが情報を理解して行動を開始する。つまり、再生の力によって異空間を再構築し始めた。もっとも、再構築とは言うものの、実態は穴をあけるだけに過ぎないが。ともかく、ハラハラする時間の始まりだ。


 制御出来る自信がある、と言っていただけあり、クリスは殊の外上手くやっていた。だが、やはり慣れぬ事には変わりなく、途中途中に異空間が一瞬歪んだり、先の見えない穴が開いたり、と肝を冷やされる事態に度々見舞われた。


 だが、クリスに任せると決めたのだ。成るように成る、と覚悟して口出しはしない。何より、俺が不安を見せれば周りにも伝染していく。それだけは避けるべきだ。


「――兄貴、繋げた。あと頼む」


 程なくして、クリスが疲れ果てた様子でそう言った。そして、直後に力無く崩れ落ちていく。ぎりぎりで受け止めたが、かなり体力も精神力も消耗したのだろう。クリスの意識は朦朧としていた。


「ありがとな、クリス。お疲れ様」


 労いの言葉が届いたかは分からないが、クリスは笑みを浮かべて眠りについた。今はこのまま眠らせておこう。そのまま、ルビーとリリーに手伝ってもらい、クリスを背負う。


「じゃあ、何だ。帰りますか」


 クリスを背負い、軽い口調で告げる。最早、そこに先程までの緊張感は無い。あるのは、日常に戻る気楽さだけ。それはそうだ。あとは家に帰り、日常に帰る。それだけなのだから。



 俺達はクリスの構築した扉を潜る。この異空間に来るときは回廊から入ったが、今回は元の空間に直通だった。だが、多少扉の開く座標がズレてしまっていたようだ。


 ロッカーらしき扉から出た。奥の一番端のようだ。次いで、ここがどこか見渡す。


 若干狭さを感じる部屋にロッカーが立ち並び、制服を脱ぎかけた女子の方々。色彩豊かな下着の数々。


「えっ……」


「……き、きゃー!!」


 意気揚々と出た先は、女子更衣室でした。何でだよ。


 最初こそ恥じらいなどを見せていた女子も、瞬く間に般若の面を被る。どこに隠し持っていたと言いたくなる鈍器の数々には、恐怖しか無かった。


 と言うか、だ。クリスも以前に釘バットを振り回してきたが、あれだろうか。これが今の淑女の嗜みなのだろうか。そうだとしたら、これほど恐ろしいものもない。ラファエロとの戦いなど、大した事のないように思えるほどだ。


 じりじりと俺が下がれば、じりじりと追随してくる鬼ども。逃げ場は無い。完全に包囲されてしまっている。更に、ルビー達も次々に現れてしまい、余計に行動範囲が狭められる。


 いや、アリアだけは扉に突っかかり、出るに出れないようだ。強引に出ようとして、抱えているハル達が痛みに呻いている。見かねたルビー達が一人一人出しているが、そんな悠長な真似をしている場合ではない。そうしている間にも、包囲網は狭まってきているのだ。


「待った、ちょっと待った。状況をしっかり確認してくれ! 異常事態なんだ! 見ろ、意識が無い奴が沢山だろ!? それに、ロッカーからこの人数出てきたのだっておかしい! 頼むから話を聞いてくれ!」


 理性を失った鬼に話が通じるかは賭けだった。だが、この状況で助かるにはそれしか方法が無いのも事実。冷や汗がダラダラと滴り落ち、無音の時間が流れる。


 そして、判決の瞬間がやってきた。有罪。その言葉がもっとも正しい。鬼が金棒を一斉に振り上げる。


 せめてクリスだけは安全圏に、とリリーに放り投げようとしたその時だ。


「お待ちなさい。淑女たる者、常に理性を持ち、冷静でありなさい」


 包囲網の最奥部から突如として、制止の声が掛かった。その声に、ピタッと金棒が停止する。次いで、包囲網が意図も容易く割れる。


 その先に一人の人物が居た。制止の声を挙げた者だろう。だが、その姿はこの場において明らかに不釣り合い。


 金糸の髪は緩く幾多にも巻かれ、ティアラでも添えればさながら姫のよう。更に、普通の制服であるはずだというのに、その少女の凛としながらも儚い雰囲気と、肉付きの良い身体付きによって、一種の豪奢さを醸し出している。まだ少女だと言うのに、その美しさは傾国のと言っていいだろう。


 俺も初見ならば、確実に見惚れる自信がある。ただし、内情を知ってしまっている今となっては、いくら取り繕おうとも見惚れることはない。そう、この少女と俺は知り合いだ。とある生徒会長的な人物との縁で知り合っただけではあるが。


「グレースさん……」


 グレース・フォン・ティーヌ、生徒会副会長にしてとある国の自称お姫様だ。自称お姫様だ。大事な事なので二回言っておく。


 そんなお姫様こと、グレースさんは俺の零したものを見事にすくい上げ、返答してきた。


「ご機嫌よう、覗き魔さん」


「……いやいや、誤解ですし。たまたまここが通り道に開いただけで、覗きするつもりなんて無かったんです」


 一瞬、自分のこととは思えず間が空いてしまったが、ここはきっちり否定しておく。覗き魔扱いされては、また先程の二の舞になりかねない。それだけは勘弁願う。


 だが、グレースさんは溜め息混じりにそれを否定するかのように首を横に振る。そして、手に持っていた扇を閉じた状態で空いた手のひらを打った。


「見苦しいですよ。過程はどうあれ、覗いてしまったのは事実。紳士であるならば、それに相応しい誠意を見せなさい。ですが、ここで何時までも話していても仕方ありませんね。生徒会室に出頭なさい。そこで事情を伺います。それから申し訳ありませんが、そこのロッカーを皆様は塞いでおいてもらえますか。後程、教員の方を派遣しますので」


 女子生徒らに指示を出しながらも、有無を言わさない。そんな雰囲気に、俺はルビー達を見やる。どうやら無事にアリアやハル達を救出出来たようだ。


「分かりました」


 ルビー達も問題ないとなれば、ここに何時までも居るよりはグレースさんに付いて行った方がいい。グレースさんに従い、ルビー達にも付いて来るよう促す。


 更衣室の出入り口は意外に大きく作られているので、手伝ってもらえばロッカーの時よりは出やすいだろう。慎重にアリアを更衣室が出させる。次いで、続々と更衣室の外に出て行く。


 最後にグレースさんが出て、更衣室の出入り口は閉ざされた。そのまま、グレースさんを先頭に廊下を進む。だが、程なくしてグレースさんは立ち止まった。


「話は会長から伺っています。全く、私が居たから良いようなものを。もう少しで更衣室が血の海になっていましたよ? 少しは考えて行動しなさいな」


 振り向いて、俺に告げたグレースさんの表情は呆れそのものだった。その台詞からして、俺達を助けてくれたらしい。先程のは女子生徒らに対する建て前、と言うことだろうか。


「すみません。まさか女子更衣室に出るとは思わなくて」


「仕方の無いお人ですね。取り敢えず、そこの意識の無い方々を保健室に連れて行きましょう」


 グレースさんは殊更呆れた様子で頭を振り、ハル達の状態を考慮してか行き先を保健室に変えた。それ以降はあまり話す事もせず、先に進んでいく。


「クロ、あの者は信用してよいのか?」


「大丈夫、悪いようにはされないはずだ。じゃなかったら、今頃俺は吊し上げられてるよ」


 ルビーの訝しむ気持ちも分からなくはない。女子更衣室では有無を言わさない雰囲気で、何よりもルビーの知らない人物だ。確認もしたくなるだろう。


 取り敢えずは俺の言葉を信じて一定の理解を示したが、まだ警戒感は拭えないようだ。そこまで心配する必要もないのだが。そう思わざるを得ない。何せ、似た者同志、類友、と呼んでも過言ではない人物なのだから。


 彼女を疑うと言うことは、自分自身をも疑うと言うことになる。馬鹿げた話だ。


 そうして、ルビーらと軽く会話を重ねながらグレースさんの後ろをついて行くこと、しばらく。保健室に無事到着した。


 早速中に入って保険医を捜したが、留守のようだ。人の気配は無い。


「またかしら。あの方のサボり癖は何とかしてほしいのですけれど。教員の方々も会長も黙認ばかりで困りますわ」


 グレースさんの言葉を信じるなら、ここの保険医は常時居ないらしい。それでよくクビにならないものだ。コネか腕か、流石に人徳ではないだろう。


 仕方なく、勝手にベッドを使わせてもらうことにした。俺はクリスを、アリアの方はルビー達に手伝わせる。広めに作られた保健室とは言え、これだけの人数を収容するとギリギリだった。これではもしもの時に困りそうだ。


 さて、それはともかく、ベッドに寝かせるだけ寝かし、グレースさんに向き直る。


「それで、このまま生徒会室に行きますか?」


「更衣室ではそう言いましたけれど、後日改めてで構いませんわ。今日は静養なさいませ。何なら、余っているベッドで休養してもよろしくてよ?」


「それは遠慮しときます。ここじゃ安らぐ暇も無さそうなんで」


「そう、分かりましたわ。では、後のことは任せてゆっくりなさって」


 グレースさんはその名に相応しい優雅さでもって、保健室から立ち去っていった。更衣室で告げていた通り、事後処理に向かったのだろう。面倒ばかり掛けて申し訳なく思いながらも、俺はそのまま見送った。


「終わったなぁ……」


 今度こそ、本当に終わった。そんな思いから、身体から力を抜いていく。日常に戻ってきた、それを実感するために。


 そこにルビーの声が届く。そちらを見れば、ルビーは青年の近くに居た。


「クロ、この青年はどうするつもりだ。ラファエロでは無くなったが、ICFに引き渡すのか?」


「あー、いや、グレースさんあたりが引き取ってくれるんじゃないか。ラファエロとは関係無く、その人って聖剣の使い手なんだろ?」


「はい、多分そうでしょう。元々勇者だったか、勇者の素質を持った方だったのだと思います」


「なら引き取ってくれるだろ。あの人も人材は確保しておきたいだろうし」


 自称秘密結社にも必要だが、何よりもグレースさん本人も望むことだろう。あの人は何気に乙女チックな部分があり、勇者や王子と言った存在に弱い。確実に手に入れにくるはずだ。


 だが、ルビーはこの答えに首を傾げる。訝しむと言うよりは、ただ率直な疑問を抱いたと言うべきか。


「ICFには引き渡さないのか? あそこはそう言った事柄を扱う機関なのだろう?」


「あー、うん。引き渡すつもりだったんだけどさ、ちょっと考え直したんだ」


「と言うと?」


「ラファエロだったなら確実に引き渡した。でも、今は違うだろ? それ考えるとさ」


 口ではそれらしい事を言ったが、実際には違う。確かにそう言った考えが無かったわけではない。だが、本音の部分では信用出来なかったのだ。ICFと言うよりは、時司と言う男を。


 あの男が、そう簡単に出し抜かれるだろうか。優秀な秘書や部下を持ち、本人もまた優秀だ。食えない男であり、出し抜かれるような事態とは程遠い人物。確証は無くとも、俺には断言できる。あの男がみすみす出し抜かれるわけがない、と。


 出し抜かれたのは、そうしたかったからだ。つまり、わざと出し抜かれた。そちらの方がしっくりくる。だとしたら、どうして出し抜かれる必要があったのか。これが分からない。分からないからこそ、青年を素直に引き渡すことに躊躇してしまう。


 ならば、あの男に引き渡すよりもグレースさんに預けた方がいい。素直に渡して思う壺になるよりかは幾分マシなはずだ。


 俺の考え過ぎかもしれないが、真実が分からない以上、一蹴するわけにはいかない。疑り深くなってしまっている、とは思う。それでも、これで良いと信じるしかない。


 何より、俺は奴が嫌いだ。少しくらい仕返ししても罰は当たらないだろう。


「クロ、悪い笑みを浮かべていますよ?」


 おっと、顔に出てしまったらしい。身体から力を抜いた代償だろうか、困ったものだ。


「そう言えば、アリアとシスは?」


「クリスとともに寝ている。疲れたのだろう、寝かせておけ」


 通りで静かだと思った。見れば、確かにクリスを真ん中にして三人で仲良く寝ている。とは言え、よくもまぁ、狭いベッドで器用に寝られるものだ。あれでは寝返りを打った時には落ちてしまうだろうに。


 だが、随分と気持ちよさそうに寝てもいる。俺まで眠気が伝染してきそうだ。


「クロも眠いのだろう? 寝ても構わぬぞ。私が起きておこう。何、邪な気持ちなぞありはせん。心配するな」


「いや、さっき言ったの覚えてる? 安らぐ暇がないって、遠回しな牽制だからね? 襲わせないって牽制だからね?」


「襲わぬと言っているだろう?」


 では、その手は何なのだろうか。ワキワキと蠢く指をどう説明するつもりなのだろうか。明らかに襲う気満々だろう。それ以外の用途があるのなら是非とも聞きたいものだ。


「ルビー、クロを困らせるのはよして下さい。さぁ、クロ。私がルビーを見張っておきますから、ゆっくり寝て下さい」


「いや、リリー? 見張るって言葉の意味、理解してる?」


「もちろんです。でなければ口に出したりしません」


 そうか。知っているのか。では何故、法衣を脱ごうとするのだろう。見張るのに必要な行為だろうか。否、断じて必要ない。


「お前らもう大人しくしとけよ!」


 心からの叫びだった。だと言うのに、


「兄貴うっさい!」


 妹に枕を投げつけられるとはこれ如何に。理不尽だ。まったくもって、理不尽過ぎる。


 だが、同時に改めて日常に戻ってきたと思ってしまった。大概、俺も毒されてしまったようだ。枕が顔に当たって、微かな笑い声を漏らす。


 ああ、まったくもって賑やかな日常だ。そんな日常でも悪い気はしない。いや、正直に言おう。こんな日常が俺には安らぎで、楽しいのだ。楽しくて仕方ない。


 その後、保健室では静寂とはかけ離れた賑やかさが花を咲かせた。それは、いつも通りの光景だった。



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