三十三話 入学編その二(保健室に変質者が現れました)
次に俺が目を覚ました場所は、白い天井と白いカーテンで閉ざされたベッドの上でだった。意識を失った俺を、ルビーとリリーの二人が保健室に運んだのだろう。ベッドの傍らには居ないため、実際はどうなのか分からないが。
さて、と俺は起き上がって考える。あれから、どれほどの時が経ったのか。時計はあるのだろうが、生憎とカーテンに阻まれて確認出来ない。
仕方なく、俺はベッドから降りてカーテンの外に出る。そこは確かに保健室で、周囲を見渡してみるが人は居ない。出掛けているのだろう。
改めて、壁に掛けられた時計を見やれば、時間はそれほど経っていないようだった。ざっと数十分と言ったところか。案外、気絶していた時間は短かったようだ。
「この時間なら、まだ一限目の授業は終わらないか」
独り言を言って、俺は溜め息を吐いた。最初の授業をいきなり欠席してしまった上に、その理由が気絶とはどうなのだろう、と。
「そう言えば、二人はどこ行ったんだ? まさか、真面目に授業なんて受けるわけないしなぁ」
授業など関係なく保健室に留まっていそうな二人が居ない。これは不自然だ。誰かに連れられて授業に出されたのか、はたまた。
そこまで考え、保健室の入り口に意識を向ける。不意に誰かの気配を感じた。いや、正解には扉に付けられたスモーク製の小窓越しに、隠れるようにして向けられた視線を。どちらにしろ、そこに誰かが居る。
「誰だ。居るんだろ、そこに」
先程まで何も感じなかったと言うのに、突如として感じた気配。自ずと発する語調も強くなる。
「やあ、もう気が付いていたんだ。早いね」
果たして、入ってきたのはラファエロだった。
予想はしていた。だが、実際にそうだと分かってしまうと、この状況が酷く悪いものに思えてくる。リリーの話によれば、ラファエロは勇者だ。それもかなり上位の実力を有している。そこにきて、ルビーと、下手をしたら前世の俺とも事情があるときた。そんな人物と一対一で対峙するのは、悪手以外の何物でもない。
無意識に身体に力が入り、警戒してしまう。視線もラファエロから逸らせない。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。今はまだ、何かするつもりはないから。ただ、君と二人で話したかったから会いに来ただけ。他意は無いよ」
「それを素直に信じろって? ルビーに何か吹き込んで、脅してたのにか?」
「ふふ、君は相変わらずだね。脅してはいないよ。あれはただの再会の挨拶。それだけだよ」
「あの空での攻撃も挨拶代わりだと? ルビーを常に監視してたのもか?」
後退りしそうになる足を踏み留め、平静を装う。ラファエロは危険だ。今、改めてそれを感じる。話し掛けられているだけだと言うのに、プレッシャーが際限なく襲ってくるようだ。背中で、冷や汗が流れるのが分かった。
一方で、ラファエロの常に貼り付けている微笑みが増す。それに伴って、プレッシャーさえもが増したのには堪えたが。
「それも気付いたんだ。凄いね、痕跡は消したはずだったのに。でも、安心していいよ。許可も出てないし、まだその時じゃないから。本当に今は何もしないよ」
「許可? お前の後ろに誰が居るんだ。何企んでる」
「それは言えないかな。ヒントを与えてもいいけど、今の君には分からないだろうし」
ラファエロのその言葉に、俺は確信した。やはり、俺とも何かしらの因縁がある、と。その何かは俺には見当もつかないし、ラファエロが何を考えているのかも分からない。だが、少なくとも良いことではないのは確かだ。ラファエロを見ていて、それだけは察する事が出来た。
「今日は話をしに来ただけ。そう言ったよね? だから、話をしよう。いや、忠告、と言った方が正しいかな」
「忠告?」
「そう、忠告。この状況は君が招いたものだ。君に全ての責任がある。無駄な抵抗は諦めて、大人しく従うべきだよ。ただただ従順に、ね」
「何を、言ってるんだ?」
意味が分からない。ラファエロは何が言いたいのだ。前世の何かの事を言っているのか、それともまた別の……。
しかし、ラファエロは俺の困惑を余所に微笑む。これ以上の事は口にする気がないようだ。
「今の君にはまだ分からないよ。でも、忠告はしたから。僕の言ったこと、忘れないでね。心に刻んでおいて」
それだけ言って、ラファエロは反転する。じゃあね、とそのまま保健室から立ち去ってしまったのだ。
俺はラファエロを追い掛けるが、既に廊下には居らず、忽然と姿を消していた。一体何だったのか。心の中に、蟠りだけが残る。静寂な廊下で、俺は頭を掻き乱していた。
その後、俺は再び保健室に戻って適当な椅子に座り込み、考える。だが、ラファエロの言葉が俺の中で反芻する。天井を仰ぎ見て気持ちを落ち着かせようとしても、上手くいかない。苛立ちだけが増していった。
こうなってくると、考えるのはやめた方が良さそうだ。余計な苛立ちを覚えてしまって仕方ない。
それよりも、と時計に視線を移した。まだ授業は終わっていない。ベッドに戻って横になろう。そちらの方が少しは気も安らぎそうだ。
それから、授業が終わる頃まで俺はベッドで休んだ。寝れはしなかったが、幾分か気持ちは楽になったと思う。なかなか、快適なベッドだった。
授業終了のチャイムが鳴り、ものの一、二分だろうか。ルビーとリリーの姿が保健室にはあった。
「クロ、もう大丈夫なのか。まだ寝ていても構わないんだぞ」
「やめとくよ。まだ失いたくないものもあるし。手をわきわきさせるな」
「クロ、一応癒やしを施しましょうか。顔色が少し優れないようですが」
「大丈夫だって。心配してくれて嬉しいけど、脱がなくていいからな?」
全く、この二人はいつも通りで嬉しいやら困るやら。おかげで先程まであった苛立ちも消えている。それに関してだけは助かったが。
少しの間、そんな日常茶飯事な会話を続けたが、結局俺はラファエロの件については何も話さなかった。どうにも、この二人には話せなかったのだ。
ラファエロに何かされたわけでもない。これ以上の余計な心配は掛けたくなかった。
「と、そろそろ次の授業始まるな。行かないと」
「ぬっ、駄目だ。クロは寝ていろ」
「そうですよ、クロ。しっかり休むべきです」
「俺が行かないと、二人ともここに居座るだろ。いいから、行くぞ」
横暴だ、鬼畜です、と二人が騒ぎ立ててきたが知ったことか。と言うか、横暴でも鬼畜でもない。ただの正論だ。俺は二人の文句を無視して、保健室の使用者記入欄にある項目それぞれに記入していく。
それが終われば、次はさっさと二人を連れて保健室を出て行くのみ。そうして、俺は保健室を無事に無人にしたのだった。
後に、カリキュラムの大半が二人と被っていた事実が判明し、歓喜と悲鳴が廊下に響き渡った。教室だけならまだしも、授業でさえとは……。先が思いやられる。
それに、何故二人ともカリキュラムを組めているのだ。授業内容も知らずにどうやったのか。その答えは存外、簡単に分かった。リリーが教えてくれた。
え、何。クリスが二人の分もやってくれた? 俺が受けそうなカリキュラムで? へぇ……。クリス、また裏切ったな!?




